長瀞で川にはまった話

冬野由記

2007年03月17日 02:54

 昨夜、身体に異変が起きて急遽病院に行ったのですが、おかげさまで今は平常に戻っています。
 ご心配いただいた皆さん、ありがとうございました。
 こんな時間に記事を書いているのだから、まあ大丈夫でしょう。

 横でTVが、いろんな番組が最終回だと言っています。
 ああ、「ゆるナビ」も終わっちゃうのか・・・けっこう気に入ってたんですが。
 一方「怪奇大作戦」がリメイクされるらしい。旧作もあわせて4月末に放送されるらしい。これは楽しみです。
 いろんなものの変わり目、節目なんだなあ、と妙にしんみりしているのは、やはり少し体調の所為もあるのかもしれませんが・・・・

 さて、コメントレスにも書きましたが、私は、普段はどちらかというと心配性で、小さなことを気に病む性質(たち)なのですが、何か突発的な出来事が起きたときには、かえって頭がひんやりとして落ちついてしまう癖があります。
 もっとも、そういう傾向は、本来は身を守るためのパニック体制がととのわないので、本当に危険なときにはかえって危ないのだ、というようなことを聞いたことがあります。

 体験をひとつ・・・・

 若かりし日、秩父の長瀞に友人と遊びに行ったことがありました。
 渓流(といっても激流ですが)沿いに歩きながら写真を撮っていたとき、川縁で低い視点から日光に煌く流れをとらえたくて、ポンポンと川岸に向かって降りて行ったのですが、足元の石に苔でもついていたのでしょう、ツルリと滑ってそのまま渓流にとぽんと落ちてしまいました。
 さっきも書いたとおり、渓流と言っても「ライン下り」なんてものを売り物にしているような流れです。上から見た感じでは想像がつかないほど深く、速い流れでした。
 足が立たないので、そのままスゥッとはまって頭まで水に入ってしまいます。目の前には水中の岩や岩々にぶつかって逆巻く水と水が巻き上げる泡が見えます。そして、自分が立ったままの姿勢で川の流れに押されながらけっこうな速度で流されているのがわかります。
 頭は妙に冷めてました。不思議なほど落ち着いていて、手足をばたつかせることもなく、まっすぐに立ったまま人形のように流されてゆく自分を眺めている、といった感じです。

「きゃー! 落ちた・・・誰か助けて!」
 友人の声が水上から聞こえます。

 浮かんでは沈み、三回目に沈んだときに、水に押されながら周りを観察していた私は、水中に大きな三つの岩が並んでいるのが見えました。

「右の岩は危ないな。まんなかの岩を足がかりにして左に向ければ岸側の岩に取りつくことができる」

 そう思ったときには、右手を思い切りかいて真ん中の岩の左に回りこんでました。
 足でこれを思い切り蹴って左の岩へ・・・そうして計画通り、岩にとりついたところへ、彼女の声を聞きつけて岸に集まってくれた三人の男性が私に手を貸してくれ、無事に岸に上がることができました。

 今もって、あの落ち着きがどこから出てきたものかさっぱり分からないのです。
 本当に、普段の私は小心者の慌てんぼうなのですから。

 助けてくれた人たちにお礼を言って岸から離れたものの、身体は全身びしょ濡れ、友人は泣いているし、カメラは水に浸かってしまったし(カメラはずっと持っていたのですよ、これも呆れます)、とにかくどこかで休ませてもらおうと道を歩いていると、早春で客も居ない小さなペンションを見つけて、そこの風呂場でとにかくぬれた衣服を脱いで乾かしてもらうことにしました。
 シャツはなんとか生乾きでもいいのですが、ジーンズがなかなか乾かない。
 すると友人が、たまたま着替えを持ってきたとかで、グレーのスラックスを出してきてくれました。

「○○クンならはけるでしょ」

 女ものでしたが、当時の私はかなりスリムだったのでなんとかはけました。
 おかげで、電車のシートを濡らすことなく、なんとか家にたどり着くことができたのでした。

 しかし、川遊びとハイキングってことで、たしかに服が濡れる可能性はありましたが、ちゃんと着替えを用意してくるというのには、女性というものは準備がいいものだと感心しました。私は、そういう準備には無頓着なところがありましたから、おかげで助かりました。


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