植木等さん逝く
植木等さんが亡くなったという。
幼い日のブラウン管の向こうや、街に貼られた映画のポスター。
最近、なにかと昔の思い出を書いたりすることが多いが、「植木等」という存在は、子供の頃の風景のひとつだった。
戦後の昭和というものを象徴する存在のひとつだったであろうことは間違いないのだろう。
最近、「回想」というカテゴリで、幼い頃のことを思い出しながら書き綴っているのだけれど、何故こんな昔話をせっせと書いているのだろうと、ふと思った。
このまま放っておいたら忘れてしまうかも知れないから、だから、今のうちに憶えていることを書いておこう、というのもある。
いや、きっかけは、そんなところだったと思う。
でも、最近、思うのだ。
今のぼくが、どんなふうに幼い日をふりかえろうとするか、そのことを記録しておきたいのじゃないか知らん。
年をとるにしたがって、過去をふりかえる量は増えてきたと思う。
でも、過去は、ふりかえるたびに違った貌(かお)を見せてくれる。
そんな楽しみも覚えた。
十年経ったとき、ぼくの幼い頃の記憶は、また違った風景を見せてくれるかも知れない、いや、そうに違いない。
植木等という存在。
子供の頃、彼はたしかに、風景だった。
ニュースを聞いて、今は、そんなふうに思う。
十年経ったとき、ぼくにとって「幼い頃の植木等」とは何であったかという設問は、また違った答を導き出すに違いない。
とにかく、今のぼくにとって、彼は昭和の風景だった。
八十歳。
父とはひとつ違いである。
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