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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2009年05月04日

「老い」ということ(北方謙三の小説から)

 前回の『本』カテゴリの記事でも採りあげた北方謙三ですが、彼の「日向景一郎シリーズ」の『風樹の剣』を読みなおしていたら、「老い」について、こんな行(くだり)がありました。

 「老いるということがわかってきた。・・・・弱くなるのではなく、面倒になるということだ・・・」

 心身が弱ること・・・体力とか、気力とか・・・によってではなく、「なにごとも面倒になってきた」ことで「老いた」ということを実感する、すさまじい邪悪な強さをもつ老剣客が、そんな独白をするシーンがあります。
 なんだか、ひどく実感、納得してしまいました。
 ただ、これを逆にとれば、何事も面倒に思わない過ごし方をしている間は「老い」を遠ざけることができる、ということになりそうです。単に若さを保つとかいうことではなく、「未来のほうを向くことをやめて『今』という時間に投げやりな態度を取るようになる」それを「老い」と呼ぶとしたら、そんな状態に陥らずにすますには・・・ということです。
 さて、私は・・・たしかに、さまざまなことが面倒になってくる、そんな瞬間がなくはありません。でも、幸いにして、今のところは、何かしら新しいことに挑戦・・・というほどの強さではないにせよ、新しいことに向き合おうとする気分は保ち続けているようです。
 ただし、ときおり・・・くたびれます。これも「老い」かな。いやいや・・・疲労は「老い」ではありますまい。
 少年だって、くたびれるときはあります。
 それに、私は・・・いや、ぼくは、まだ青春に片足を残している・・・つもりです。

 さて、現在、以前いったん書きあげた長編小説を、大幅改編中なのですが、少々詰まってきてまして、筆が一時停止しました。そこで、肩慣らしというわけではないのですが、久しぶりに短編を書いてみたいと思いました。
 近々に、このブログにアップしてみようと思っています。
 片足を残しているはずの、青春の証しとしてね。  

Posted by 冬野由記 at 21:29Comments(4)

2009年01月15日

「破軍の星」

 さて、「本」カテゴリで最初に採りあげることになったのは(この書き方は微妙ですね。自然にそうなったということです)、北方謙三の「破軍の星」です。意外でしたか?

 北方謙三というと、もともとはハードボイルド作家として有名ですが、実のところ、私は彼のハードボイルドものを読んだことがありません。というか、そもそも、私は長い間、ハードボイルド小説という分野は、国内の作家のものも海外のものも読んでいないのです。

 昔・・・中学生のころ、ハードボイルドとよばれるジャンルの小説を読みふけったことがありました。大藪春彦あたり、かなり熱心な読者だった時期があります。ただ、その期間は短かったですね。中学3年のころには、古巣だったSFや推理小説のほうに移っていました。なぜか・・・一時期、別世界のヒーローたちに憧れたということでしょうか。あるいは、他の小説では出会えないようなバイオレンスな雰囲気とかに少しおぼれてみたということでしょうか。このあたり、自分の嗜好の一時的変化というのは、なかなか自分で分析するのは難しいですね。ただ、離れていった理由はなんとなくわかるような気がします。
 「別世界のヒーロー」と書きました。人物も、その世界もリアルのようで自分からはずいぶんと遠い。すくなくとも、ハードボイルドというジャンルやスタイルが、自分にとってはリアリティを感じられなくなってきたのだと思います。じゃあミステリやSFにはリアリティを感じるのかって?・・・がんがん感じるのですよ。困ったことに・・・。登場人物も、そこで描かれる想念も、ハードボイルドよりずっと自分の近くに感じる・・・。
 誤解しないでいただきたいのは、これはジャンルに対する批判ではなくて、あくまで、私とそれらの小説群の相性みたいなものだということです。ハードボイルド小説だってすばらしいジャンルだと思いますよ。そのことは、後に、この北方謙三の時代小説でぞんぶんにわかりましたから。先回りして書きますけれど、北方謙三の時代小説は、江戸時代を舞台にとったハードボイルド小説そのものです。そして、私には、こういう物語や人物群は、現代を舞台にして描かれるよりも時代小説や歴史小説という舞台のほうが、リアリティを感じる・・・つまり、活き活きと感じられるということなんです。

 さて「破軍の星」です。
 この本を手に取ったのは、書店の文庫本コーナーに(私は蔵書家ではないので、たいていは文庫本を漁ります)とても涼やかな眼差しをした烏帽子姿の青年の姿をみかけたからでした。それが、この物語の主人公、北畠顕家でした。北畠顕家を主人公にした歴史小説という珍しさに加えて、それがハードボイルド作家という認識しかなかった北方謙三の作品だったので、ついつい手に取ったのでした。

 北畠顕家という人物についてちょっとだけ触れておきます。
 南北朝時代の公家方の重要人物のひとり。北畠親房といえば日本史で習ったのを覚えておいでの方もあるでしょうか。顕家は、その親房の息子で、学芸に秀でた神童「麒麟児」と呼ばれました。16歳で後醍醐天皇の戦略における北方の要として義良親王を奉じて陸奥(東北)に着任。17歳で鎮守府将軍となり、公家でありながら武士団を統率して北条(鎌倉)幕府の残党を掃討し、足利尊氏側の武士たちを牽制しつつ奥羽を平定します。足利尊氏が後醍醐天皇による建武の新政と敵対する立場を明らかにするや、配下の武士団をひきつれて上京し、足利尊氏率いる武士団を圧倒的な強さで二度にわたり撃破。結果、尊氏は自刃しようとしたほどです。尊氏が九州に逃れてから、いったん乱れ始めた陸奥に戻り、ふたたび陸奥平定をすすめますが、尊氏が九州から東上すると、ふたたび奥州軍を率いて西へ。これを阻もうとする足利方の関東武士団を圧倒して鎌倉を攻略、美濃(岐阜県)までいっきに攻め登りますが、ついに兵力の疲弊もあって(というより足利側の兵力が圧倒的)京攻略ははたせず、伊勢(北畠親房の拠点)に転戦。後、関西各地で足利軍といくどか戦いましたが、ついに戦死します。尊氏がもっとも恐れた男。享年21。(21ですよ。・・・そういえば、つい先日が成人式ではありませんか。)

 都では麒麟児と呼ばれ、十代半ばで広大な奥州の平定と経営をはたし、足利尊氏のもとに結集した大武士団を圧倒する強ささえ見せた希代のヒーローの、21歳で戦場に散るまでの、時代を駆け抜けたたった5年の青春・・・。
 と、こういう書き方をすると、おわかりでしょう。これは、歴史小説であるとともに、ハードボイルド小説でもあるんですね。
 ただ、私がこの作品にほれ込んでしまったのは、そのハードボイルドぶりにではなく、この主人公、北畠顕家のなんとも清々しいたたずまいにあります。北方謙三には、南北朝を舞台にした歴史小説がほかにもありますけれど、この顕家像が放つ香りには、きわだって鮮やかなものがあります。凛として涼やかな、なんと清(すが)しい若者であることか。

 顕家は公家方の領袖として、それこそ全力を尽くして後醍醐天皇の側に立って足利軍と戦います。しかし、彼は、奥州の不思議な一族と出会い、かれらの夢に触れ、やがて、彼自身もおのれが信ずるに足る国造りの夢へと導かれます。そして、その夢を担う資格をみずからに問うための最後の戦いで、ついに命尽きるのです。顕家の夢も、北の民の夢も、ついえます。・・・そうそう、この「北の民の夢」というのも、私を惹きつけた要素の一つかな。

 少しテクニカルな話をします。
 この「破軍の星」には、歴史小説ということもあって、虚実とりまぜてじつにさまざまな人物が登場します。しかし、どのキャラも実にすっきりと立っていて、読んでいて「ええっ・・と、この人物はたしか・・・」という具合にごっちゃになるということがない。スピード感も常に維持されていて、淀むことなく、ぐいぐいと先に読み進むことができます。爽快な風がいつも吹いている感じ。こういうことも、けっこう大事なポイントですね。この点でも、北方の他の南北朝ものと比べて際立ってスマートにできています。

 さて、北畠顕家は、後醍醐天皇体制のために戦ったのですが、最後の戦いの前に、後醍醐帝にあてて、新政の失敗をいさめて政治の刷新を促す奏上文(「顕家諫奏」と呼ばれます)を送っています。かなり辛辣に政治の腐敗や奢侈と偏向をいさめて、公平と民の疲弊を軽減する政策を具体的に提言した内容になっているのです。

 北畠顕家。

 こういう男が、いや、こういう若者がいたのか・・・と、この小説は、私にとって、北畠顕家という人物と出会うことができた、そういう作品でもあるのです。

 ちなみに、「破軍の星」というのは、北斗七星の柄の先の部分にあたる星のことで、この星を背にして戦えば勝てるが、この星に向かって戦えば負ける、と伝えられているのだそうです。

 ところで、北方謙三には、「日向景一郎シリーズ」という、江戸時代を舞台にした剣豪?時代小説のシリーズもあります。これは、ほんとうに江戸時代のまぎれもないハードボイルドです。面白い。やっぱりハードボイルドは・・・時代小説に限る・・・なんて言ったら、まともなハードボイルド・ファンには怒られるだろうなあ。

P.S.

 そうそう、北畠顕家は「風林火山」の旗をかかげました。「風林火山」の本家は信玄ではなく、顕家なのでした。  

Posted by 冬野由記 at 22:50Comments(3)