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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

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2012年01月22日

の~んびりブレーンストーミング

 先週、4日間かけて『のんびりブレーンストーミング』をやった。
 すると、最終日に、普段は百字の作文も書けないと言う生徒たちが、けっこうしっかりした小論文を出してきた。
「自分の考え方の傾向を知ることができた」
 なんてね。
 他人の視点や考えに触れると自分の考えが見えてくる。
 それを経験してほしかったんだよね。

 4日間もかけて、同じテーマでのんびりブレーンストーミングするなんて、普通はやらないでしょうな。
 ブレストといったって、すごいスローペース。ポツンポツンと出てくる意見や、うまく意見にまとまらない思いを、その都度フォローしながらボードに書いていく。場合によっては発言を促す。合間あいまに、関連するようないろいろな話題を話して聞かせ、ときには関係なさそうなことに話題を振って(実は後で関連が見えてくる)視野を広げて見せたりする。それを4日かけてやった。

 こんなことは、普段はできない。いや、今後こんな機会は多分ないだろう。たまたま、4日間、毎日4時間、十名ほど自分の裁量で預かるチャンスがあったので、「どうせなら普段できない授業をやろうよ」と『のんびりブレスト』をやってみた――いや、『やってみた』という実験的な気分はなかった。貴重な経験になるはずだという確信がありましたよ。 (『生徒を試料にした実験』は、教室でやっちゃいけないことのひとつだと、ぼくは考えています) じっさい、貴重な経験になったという趣旨の言葉が成果物には書かれてありました。

 また、やりたいな。
 ぜったい、貴重な経験になるはずだから。
  

Posted by 冬野由記 at 10:54Comments(3)徒然なるままに

2012年01月05日

年賀(おそまきながら)


頌春

旧年中はお世話になりました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
皆様にとって、2012年が幸多き年となりますように。

2012年 正月





この子の名前はセンデ。あたしを守ってくれる十二の精霊のひとり。
姿を現すことはほとんどないし、視えるときでもほんの一部が朧にだけ。
どこかはるか遠くでわたしたちの旅路を天地ごと見守って、
乾いた大地に雨を降らせ、大雨や大雪を薙ぎ払い、
知らない間にわたしたちは守られ、助けられているみたい。
でもね。
独りで居たいくせにさびしがり屋で、甘えん坊のくせに気難しい
困った子。
あたしがあごの下を撫でてあげるととても気持ちよさそうなんだけど、
ほかの人が撫でたら怒っちゃう。大雨、大風、大嵐、もう大変。
だから、あたしがちゃんとしないとね。


辰年は十二支の五番目の干支。
「子」「丑」「寅」「卯」に引き続き、何とかシリーズを維持。
あと七の干支、続けられますように。

  
タグ :年賀状

Posted by 冬野由記 at 15:53Comments(2)徒然なるままに

2011年12月26日

クリスマス終わった。




クリスマス終わった。
クリスマス会のささやかな手作り晩餐。
ブイヤベース風鍋。残ったスープを煮詰めてブイヤベースパスタで締めました。
ケーキはブッシュ・ド・ノエル・フロマージュ。つまり、レアチーズケーキのブッシュ・ド・ノエル。

明日からはまた仕事の日々。
  

Posted by 冬野由記 at 00:09Comments(1)徒然なるままに

2011年12月11日

とりあえず月食を撮ってみた。

 とりあえず月食を撮るべく三脚を駐車場に据えて、月食が始まった頃から撮り始めたのだが、悲しいかな、ぼくの旧いデジカメは、およそ30分でバッテリー切れ…(T_T)

 というわけで、皆既月食手前までの二枚をアップします。

 

 
  
タグ :皆既月食

Posted by 冬野由記 at 00:34Comments(0)徒然なるままに

2011年11月19日

子供の命軽く『定員7倍』幼稚園バス事故」

「子供の命軽く『定員7倍』幼稚園バス事故」
http://mainichi.jp/select/world/news/20111119k0000e030055000c.html

 こんなニュースを読んでしまった。

 悲惨な事故というか状況だが、幼稚園の「小博士幼稚園」という名称におぞましいものを感じる。
 感じませんか?
 以前、友人が息子さんに語った言葉を思い出した。
「幼稚園はね、勉強するところじゃない。友達をたくさんつくるところなんだよ」
 素敵な言葉だ。幼稚園の理念は、そこにこそある。

 この話には後日譚がある。

 だいぶ経ってから、幼稚園に通う息子に彼が思わず問いかけてしまった。
「きょうはどんな勉強してきたんだい?」
「おとうさん、幼稚園は勉強するところじゃない、友達をつくるところだって言ったじゃないか!」
「あ! ごめんごめん。そのとおりだ」

 ちょっと素敵な、父と子の景色だった。
 この家には、生きた教育が住んでいる。
  
タグ :幼稚園

Posted by 冬野由記 at 18:51Comments(0)徒然なるままに

2011年11月10日

あなたを国で表すと…

「あなたを国で表すと…」というサイト
http://shindanmaker.com/165949
で診断してみると、

実名:銀河帝国
冬野由記:インカ帝国

だそうな。
「インカ帝国」は気に入ったけど、よく考えてみたら
・すでに滅んだ国
・スペインに滅ぼされた国
だな。

ちなみに、同じサイトの「擬物化」診断では
実名:南極大陸(トレンドだな!)
冬野由記:黒のマジック

だそうです。
なんだか、実名の方がすごい。
  

Posted by 冬野由記 at 02:49Comments(4)徒然なるままに

2011年07月07日

そういえば七夕

そういえば、今夜は七夕か。
地方によっては来月になりますが…。
皆様のところからは天の川、見えますか?
織姫と彦星は?
願い事はしましたか?


天の川といえば…


「このぼんやりとした白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。ですからもしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考えるならもっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油の球にもあたるわけです」


というわけで、
今夜は心ひそかに願い事でもして、
賢治でも読みながら寝るとしますか。  

Posted by 冬野由記 at 22:39Comments(0)徒然なるままに

2011年05月01日

黒川能を観て

 テレビで黒川能を久しぶりに観た。
 以前に観た時も思ったのだが、一度は現地でしっかりと観ておきたいもののひとつだ。そのときは数日、せめて3日くらいは滞在して、能だけでなく土地の空気をしっかり呼吸してきたいと思う。

「三代友達」という言葉があるのだそうだ。
 こういう取材番組を観ると、例えばねぶたや山笠のようなメジャーなものでなくとも、地域に幾世代にわたって継承されているお祭りや芸能というものが、今でもたくさんあるのだということに気付かされる。そして、同時に「ああ、たとえそれを現地で観ても、自分は立ち寄った観光客の一人に過ぎないのだ」という寂しさを感じる。余所者でしかない自分は、それらを外から眺めるだけ。喩えて言うなら、展示されている名器を眺めることはできても、それで茶を点てたり飲んだりすることはできないのと同じで、黒川能のような芸能は、観るだけでは味も香りも本当にはわからない。そこに住み、ともにその文化を継いで行く資格者として参加することに意義があるのだろう。

 だいぶ前だが、ねぶたを見物させてくれた青森の知人が
「本当に素晴らしいねぶたが観たければ、田舎の小さな街や村のねぶたをご覧になるとよい。畦道や村道をゆったりと歩んでくるねぶたは、それは見事なものですよ」
 と言ってくれたことを思い出した。その見事なねぶたを、ぼくはいまだに観に行かないままである。

 ふと切ない想いにとらわれた。
 町や村を挙げて避難しなければならなくなった人々がいる。そこにも、地域で継がれて来た様々なものがあるだろうと思う。目立った芸能や祭りではないかもしれない、ほんの些細な習慣や季節の風物かもしれない。しかし、どんな些細なものでも、それらは紛れもない、その土地…「土地」という名で呼ばれる人々の絆の…の文化だ。

 ぼくは、幾度となく転居したので、そのたびに地域のちょっとした習俗の違いに戸惑わされることがある。それらは、ほんの些細な、たとえば冠婚葬祭の手順―それこそご祝儀や香典の回数とか、相場の違いといった程度の事だったりするのだが、それだって、そこに根づいた文化なのだ。

 そんな小さな地域文化たちが、途切れたり、薄まったりする前に、その文化を継ぎ、育んできた「土地」が取り戻されることを祈らずにおれない。そして、「避難」に際しては、そういった配慮が入念になされることを願いたい。
  
タグ :黒川能

Posted by 冬野由記 at 00:15Comments(0)徒然なるままに

2011年04月20日

奇妙な長い夢を見た。

 一昨日、奇妙な夢をみた。長く、リアルな夢だった。

==============
 去る3月に卒業して就職したばかりの卒業生が、どういう経緯かはわからないが、どこかの大規模なカルト教団に拉致同様に引き込まれてしまったらしいというのだ。(このあたり、なんだかおそろしくリアルだ)
 ぼくは、何とか助け出そうと、手づるを辿ってその教団に接触を試みたのだが、あろうことか自分自身も教団に信徒候補として連れ込まれてしまった。きわめて大規模な教団施設の中をあちこち探りながら、ぼくは何とかその子を探し当て、接触に成功。彼女と脱出について話し合い、すこしずつ計画を固めていった。
 そしてある日、教団で大規模なイニシエーション・イベントが催されるということになった。イニシエーションに参加してしまったら、彼女はもとより、ぼくだってマインドコントロールされてしまうかもしれない。ぼくは焦った。しかし、その頃から彼女の行方が知れない。イニシエーションの前、いや、その大イベントの時こそ脱出するチャンスかもしれないのに、彼女と接触することができなくなってしまったのだ。
 そして、ついにイニシエーションの時がやって来た。ぼくは、他の多くの(数え切れないほど多くの)信徒候補(みな拉致されて来た者たちだ)たちとともに、巨大施設内の大講堂に誘導される。
 そのとき、講堂のゲート脇に彼女がいた。
 なんと、彼女は黒いスーツを着こんでいた。
 教団では、一般信徒や信徒候補は皆、白いゆったりしたシャツとパンツを着せられている。しかし、幹部や幹部候補などの上級信徒は黒いスーツを着ている。いわば、黒服は教団におけるエリート・キャリアの証しなのだ。
 彼女は黒いスーツに身を固め、同じ黒服の幹部のかたわらで、革表紙の名簿をチェックしながら信徒たちを講堂に導き入れ、座席を指示している。
 どういうことだ? 一緒に逃げ出すべく、ともに計画を練っていたはずなのに。同じように拉致同然に無理やり教団に引き入れられたはずなのに。あの様子はまるで幹部の秘書。彼女は上級信徒になったというのか? 同志であったはずなのに。裏切られたのか? いや、はなから欺かれていたのか? いやいや、もしかしたら、彼女は脱出のいとぐちを探るために幹部に近づいたのかも…。いや、いや、いや…。
 混乱して、すっかり動転したぼくと彼女の眼が合った。ぼくは思わず彼女の名を呼んだ。
「○○ちゃん!」
 すると彼女はごく自然な様子で、ぼくをニックネームで呼ぶと微笑んだ。
「あ。□□□□」
 そして、手慣れた様子で名簿をチェックすると、ぼくを講堂の一角にいざない、赤い布で飾られた座席に座らせた。
 ぼくは、魔法にでもかかったように、彼女に導かれるままに席に腰をおろしてしまった。ぼくの頭は混乱し、足は震えている。ぼくは何も言えない。彼女は、何もなかったかのようにゲートに戻り、また列をなす白服の信徒たちに座席を示し、座らせていく。
 このままじゃ危ない。イニシエーションが始まる前にここを出なければ。
 震える足を叱咤して、ぼくは椅子からそっと離れた。ゲートあたりは入場して来るおびただしい数の信徒たちで埋まっている。今なら気付かれないかもしれない。ぼくは講堂のはずれの階段の下にあった小さな出口から抜け出した。しかし、そこはまだ建物の中。広い通路のような赤じゅうたんのロビー。
 講堂を出たものの、逃げる手だてがあるわけじゃない。どこをどう行けば建物の外に出られるかもわからない。建物の外に出たとして、そこはまだ広大な施設の敷地内だ。だいいち、今逃げ出したとして、彼女はどうするのだ。彼女を救い出しに来たはずなのに、ぼくだけで逃げてしまったとしたら、ぼくは何をしにここに来たのか。
 ふらふらと赤じゅうたんの通路をさまよっているうちに、ふと振り返ったら、黒服の一団がぼくの後ろに集まっていた。その先頭に彼女が…。
「○○ちゃん! いったい…」
 ………………
 というところで目が覚めた。(^_^;)

 夢はここまでなのだが、夕方、こんなことがあった。

 その日の夕刻、日ごろ体調管理のために定期的に通っている掛かりつけの漢方医(若くて美人です)のところで問診に応えて、このところ体調はいいようだと言った後、医師が脈を測りながらこう言った。
「夢をみることがありますか?」
「ありますよ。それもかなりリアルでダイナミックなのを。昨夜というか、今朝もすごい夢をみましたよ」
「ふうん…」
 医師が脈をとりながら黙った。
 そして、しばらくして言ったのだ。
「薬を替えてみましょう」

 おいおい、不安になるじゃないか…。
  
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Posted by 冬野由記 at 21:23Comments(0)徒然なるままに

2011年04月14日

続「レベル7」

 前回の記事は他のサイトにも掲載したのですが、あるサイトで質問を含むコメントをいただいたので、それに対するレスの一環として書いたものを「続」として掲載します。

 使用済み燃料を冷却するために注入されている水や建屋に貯まっている水素が爆発することを防ぐために注入されている窒素。これらは、建屋がまだ完全に密閉されてないため、今も少しずつ漏れ出ていると、ぼくは思っています。ですから、放射性物質(主にヨウ素)が空中にも海にも流れ出ている状態は続いているという認識です。
 これらの漏れが、放射性物質が消滅するペースを上回ると「増えてゆく」「広がる」ということになりますが、下回れば少しずつ収まっていくということになります。今のところは小康状態でしょうか。漏れが完全に止まるまでは、一種の「いたちごっこ」が続くわけですから、安心できる状態になるには相当に時間がかかると考えています。

 想像したくないけど、今後の余震などで、今は無傷の原子炉(原子炉そのものが今のところ無傷で、原子炉からの漏れがないことが、今は救いです)そのものが破損すると、漏れる放射性物質がいっきに増えます。そうなると、ほんとうの「最悪の事態」です。

 昨日、原発から30km圏外で、ごく微量ながら「ストロンチウム90」が検出されたという報道がありました。ストロンチウムは極めて重たいので、簡単に空中を流れて来ないだろうから、昨日今日飛んで来たものではないでしょう。おそらく、今回の事故で初期に起きた水素爆発の際に飛散したものではないかと、ぼくは考えています。(あのとき、原子炉が傷つかなかったのは不幸中の幸いでした)

 レベル7になって、チェルノブイリのケースに触れることがますます多くなりましたが、福島のケースとは決定的な違いがあります。チェルノブイリでは原子炉そのものが爆発したために、いっきに広範囲に、しかもストロンチウムのような重金属も含む大量の放射性物質が広がってしまいました。それだけは避けたい。

 建屋の使用済み燃料の冷却と、水素爆発を起こさせないための窒素注入は、そういう事態を防ぐためにやっているわけです。

 今後、ぜひやってもらいたのは(もうすでに始めているでしょうけれど)広範囲にわたる、かつ十分なサンプリングによるモニタリング(検査)と、そのリアルタイムな報告です。(外来語が多くなった)どこに、どの程度の、どんな放射性物質があるか。それで、どのようなリスクが、どこにあるかを明示できるはずです。それによって、逆に、どこが安全かをはっきりさせることができるはずです。(今は「範囲」という示し方ですが、部分的に汚染度が高いところが点在している可能性があるのです。ホットスポットというそうです)

 前にも書いたけれど、危険を明示することでこそ、不安は拭えるのだと思うのです。

 さて、今日、福島(会津)の知人から、来週末(23日)頃に桜が見ごろになる見込みだという連絡がありました。23,24日あたりで福島にでかける計画を、これから練ってみようかと思います。日程が決まったら、せっかく行くので、ボランティアというほどではないけれど、何か役に立てることがないか、あらためて知人に聞いてみるつもりです。観光のついでみたいで恐縮だけど、あまり無理せずできることがあれば、ということで。
  

Posted by 冬野由記 at 00:53Comments(0)徒然なるままに

2011年04月12日

「レベル7」について

 今回の福島原発事故がレベル7になった。
 なった、という言い方は正しくないだろう。東電と政府はレベル7に達していることを認めた、と言った方が正しい。複数基ある原子炉からこれまでに漏れ出た放射性物質の総量が、国際規格に照らせば、もっとも深刻なレベルに達している、ということだ。

 放射能が漏れ続けるという状況が1か月続いている。事態の改善に時間がかかりすぎている、ということでもある。ただ、このことは「放射能がとめどなく広がり続ける」ことは意味していない。そのあたりについては冷静に対処しないと「汚染地域が広がり続ける」とか「放射能がやってくる」という不安や誤解を生んでしまう。放射能というのは、私たちがイメージできる他の災厄とはずいぶんと性質が違う。ウィルスや毒物のようにイメージできないし、理解もしにくい。何よりも、このわかりにくい(それは、同時に説明しにくいということも意味するから)点が恐ろしいと、ぼくは思う。

 例えば、これまで漏れ出た放射性ヨウ素(原子炉におけるウラニウム核分裂で生成される)の多くがすでに消失している。どこかへ拡散したのではなく、文字どおりこの世から消え失せてしまっているのだ。放射性物質というのは、そういう不安定な物質なのだ。こういう物質の広がり方や残り方を、数値(ヨウ素131の半減期8.06日、ヨウ素133の半減期20.8時間)や他の放射線との比較(レントゲンを撮った場合と比べて云々とか、よく出てくる。この比較自体おかしいのだが…)で説明できても、イメージを伝えることは困難だろう。
 チェルノブイリでは、この放射性ヨウ素が甲状腺障害を引き起こした。ヨウ素が人体に入った場合、甲状腺に集まりやすいからである。ただし、じゅうぶんなヨウ素を身体に持っている人の甲状腺には、あとからやってきた放射性ヨウ素は入れず、そのまま体外に出て、やがて消失する。チェルノブイリ周辺が内陸で、人々が海藻類をほとんど摂らないため慢性的にヨウ素不足だったことが被害を大きくしたということがわかっている。でも、こんな説明は安心感とはほど遠い屁理屈でしかないに違いない。

 こういうことを書くと、「だから安全だ。大した事故じゃない」と言っているように誤解されそうなので、言っておくけれど、事態は極めて深刻だという点にまったく異論はない。未曾有と言っていい深刻な大事故なのだ。そして、これが更に数か月という単位で長引けば(汚染地域は広がらないかもしれないが)原子炉周辺の土壌に長期にわたって回復困難な汚染が残るだろう。土壌というが、地面は土くれではないのだ。植物の芽や種だけでなく、多種多様な、そして数え切れないほど多くの土壌生物が土の中には暮らしていて、そのことによって「土壌」という恵みは成り立っているのである。汚染が長引けば、文字どおり「土が死んで」しまうのだ。

 今、ぼくが恐れているのは、この「レベル7」という言葉が、ただでさえ酷い風評や、被災者や被災地域に対するある種の差別と言ってもいい態度(一部の人の)を、さらに悪化させないか、ということである。
 だから、あえて、また書いておきたい。

 福島産や北関東産の農産物を食べて放射能障害になることなんかない。そんな高濃度の放射性物質を付着させた農産物が、あなたの眼前に並べられることは断じてない。
 いわき市をはじめ、福島の被災地から避難されて来た人たちが「放射能汚染」されているなんてことも断じてない。いちどに大量被ばくした人が、歩いて来てあなたの眼の前に立つことはありえない。そして、あえて言うが、放射能は伝染病とは違う。だから隔離する必要もない。機材や車両も同様だ。だから、あなたがそれらを忌避する理由はない。
 そして、今、北関東や(避難指示されている地域を除く)福島県に出かけても何の問題もない。第一、そこには人々が今、暮らしているんだもの。

 福島の桜が、今日、開花したそうだ。
 見ごろが近づいたら、福島の知人が教えてくれることになっている。
 もちろん、ぼくは(前にも書いたが)知らせが来たら、例年通り福島に花見に出かけるつもりなのである。
  

Posted by 冬野由記 at 20:45Comments(2)徒然なるままに

2011年04月10日

転載「被災者の方へ」

 こういう日記を見つけた。
 なるほど、こういうことはなかなか気付かないなあ。
 というわけで、転載しておくことにしました。
================================
【被災した方へ】
聴覚障害者は避難所でアナウンスが聞こえない為に、食料や水の配給を受けられない事があります。「聴覚障害者はいませんか」などのプラカードを掲げたり、肩をたたいたりする配慮が必要です。

コピーでも転送でも良いので、沢山の方に広めて頂けたら嬉しいです
ご協力宜しくお願い致しますm(_ _)m

以下、この日記のリンク記事に書かれてあった詳細です。
================================
1.視覚障害者の誘導方法
肩や腕を貸す形で、半歩前を歩いて下さい。視覚障害者を押したりひっぱたりしないで下さい。
誘導している時、周りの状況を伝えて下さい。
方向を示す時は時計の針の位置で伝えて下さい。
(例えば時計の文字盤による方向は、右は3時、左は9時、正面は12時と考えます。)
2.聴覚・言語障害者の支援方法
耳が聞こえない人は外見ではすぐに分かりにくい。家に来られても音や声では分かりません。
懐中電灯などで照らして下さい。障害を持った方々は、笛を吹いたりして知らせます。
【コミュニケーションの方法】
●筆談(ひつだん、紙に書いて伝える)
筆記用具がなければ、相手の手のひらに指先で文字を書いたり、空間にゆっくりとひらがなで字を書きながら口を大きく開いて話しかけて下さい。
●読話(どくわ)
あなたが話す口の形を見て内容を理解します。
障害を持つ方の顔(正面)を見て口を大きく開いてはっきりとゆっくり話しかけて下さい。ラジオの情報を伝えて下さい。
避難所で食事の配給などの音声情報が入りません。
3.身体障害者・肢体不自由者(車椅子など)の支援方法
家が住めない様な状態や火事にならない限り、在宅で過ごす人が多いと思われます(安心した福祉・医療機器の設置等完備)。
水や食料の配達をお願いします。
エレベータが止まると、他の階に階段を使用して移動する事が出来ません。援助者が複数必要です。車椅子の押し方や避難の方法は障害者(及び家族)と相談して下さい。
見た目ではハンディがあると解らなくても、呼吸器や内臓に疾患がある人・膀胱や直腸に障害のある人などもいます。
そういった人が困っていたら緊急連絡先に連絡して、その後の対応に協力して下さい。
4.精神障害者・知的障害者の場合
パニックに陥っている時は「大丈夫」「安心して下さい」や「助けに来たよ」と声をかけ、安心・落ち着かせてあげて下さい。
現在の場所にいる事が危険な場合は避難場所など安全な場所まで連れて行って下さい。
話し方については解りやすく簡単な言葉を使って下さい。話は短く切って、一問一答の様に確認しながら行って下さい。出来るだけ早く家族や施設・通所先に連絡を取ってあげて下さい。
  

Posted by 冬野由記 at 01:36Comments(0)徒然なるままに

2011年04月09日

ねえ、東電さん

 上下水道使用料と料金のお知らせが届いた。
 震災で断水があったりしたので、例月よりかなり低い(安い)値になっている。
 神栖では、断水状態を鑑み、3月と4月の水道料金を免除する決定を下したそうだ。

 一方、先日の電気料金についてのお知らせ。
 「3月は震災で検針ができなかったので、仮に2月分と同じ額を3月分として請求して、4月に精算する」
 というのだ。

 おいおい。
 申し訳ないことではあるが、2月は厳しい寒波でいつになく電気を使ってしまった月なのだ。
 たくさん電気を使ったこちらも一方的に文句は言えないが、おそらくここ数年を通しても、今年の1月と2月は電気料金が際立って高額になっているのだ。

 困るなあ。

 逆に「3月検針分は請求しないので、4月以降に順次精算をお願いします」
 てなわけにはいかないかなあ。
 まあ、個別に対応するのも難しいんだろうけど。

 やっぱり困るなあ。でも、仕方ないかなあ。

 愚痴なんだろうけど…。
 ちょっと、つらい。
  
タグ :電気料金

Posted by 冬野由記 at 14:02Comments(0)徒然なるままに

2011年04月08日

今、できることはたくさんある。

 福島の原乳などの出荷制限が解除されたそうだ。
 一歩一歩、平常に向けて進んで行ってほしい。

「何ができるだろうか」とときどき考える。
 ふと思いついた。
 ボランティア活動とか、義援金とかもあるだろうけど、風評とたたかうことは、みんなでできる。
 それも日々の、普通の暮らしの中で。
 おおげさなことじゃなくて。

 福島や北関東の農産品も魚介も、ついこの前までは普通に買い求め、食していたものだ。長い間、ずいぶんお世話になってきたのだ。
 ぼくらが、普段の暮らしでやっていたことを、ふつうに取り戻すだけでいいのだ。それを、ちょっと心がけるだけでいいのだ。

 そういえば、我が家のお米、味噌、塩、お酒は、ずっと東北から取り寄せてきた。つい先日、お米やお酒をいつもどおり注文したら、ちゃんとすぐに届いた。今日は塩を注文した。果物の季節ももうじきやってくる。

 そうそう、もうじき福島あたりも桜の季節だ。例年してきたように、お花見にでかけて、地酒を飲んで、地物を食べて、温泉をいただいて…。

 今、ふつうにできることは、たくさんありそうだ。
  
タグ :風評

Posted by 冬野由記 at 20:49Comments(0)徒然なるままに

2011年04月08日

春の嵐

 風が激しい。
 砂埃がすごい。
 春の嵐である。

 風に翻弄されながら、それでも花々が咲き誇っている。

 

 

 

 まことに、関東の、春らしい春である。
  

Posted by 冬野由記 at 14:18Comments(2)徒然なるままに

2011年04月08日

余震・風評

 余震というにはずいぶん大きな地震だった。これだけで大地震と言っていいくらい。
 気象庁が、最大余震の可能性がまだあると発表した矢先だった。

 先月の大地震以来、床に下ろした棚や大きなものは高いところに戻してはいないので、大きな落下物はなかったが、置き場を失ってとりあえず棚の上に横積みにしていた本のいくつかが落ちてきた。
 迂闊だったなあ。足がちょっと痛い。

 そんな中、こんな風評被害の報道が聞こえてきた。
 福島県いわき市の運送会社が、荷主の会社から「いわき」ナンバーのトラックでの輸送を拒まれ、東京都内に直接、荷物を運べなくなっているというのだ。仕方なく、運送会社は埼玉で別のトラックに荷物を積み替えて運んでいるという。
 漁船(魚)に続いて、今度はトラック(資材)である。
 トラックにしても資材にしても、放射能汚染の心配は100パーセント無いのに、こういうことが起きてしまう。汚染検査の証明を求められ、病院や避難所への入所を拒まれた避難者のケースと同じだ。
 たぶん、多くの人が、放射能を伝染病と同じような感覚で受け取っているのだろう。
 知らない、わからないことは一方的には責められない。知らない故に根拠のない拒否反応を起こすとしたら、それは知らせてこなかった者に責めがあろう。

 前にも書いたけれど、政府や電力会社は、平時から「放射能の危険」や「放射線リスク」についてきちんと説明しておくべきだった。これからでも遅くはないから、数字や「身体に影響のないレベル」というようなわかりにくい説明ではなく、具体的に「こうなると危険」とか「こういうリスクがある」という言い方で説明してほしい。
 リスクを明確にすることが、逆に安心を生む。
「このくらいなら安心」という言い方は、むしろ不安を醸成する。

「危険は予測されたときに危険ではなくなるのだよ」
 ホームズがワトソンに言った台詞である。
  

Posted by 冬野由記 at 01:06Comments(0)徒然なるままに

2011年04月07日

石岡カフェ

 今日は所要があって、久しぶりに石岡市街を訪れた。
 地震で傷んだ建物も多く、あちこちに「危険」の貼り紙があって、歩道の規制が行われている。そんなわけで、駅前の目抜き通りも営業できない店舗が多く、閑散としている。建物の補修と早い復興を祈りたい。
 さて、そんな中にも営業を始めているお店があった。

 

 

 駅前から目抜き通りに入ってすぐのところに「石岡カフェ」というのがある。
 市の中心市街地活性化事業の一環として、空き店舗となった建物を再活用したアンテナショップで、この早春に開店したばかりだった。
 スイーツなども話題らしいが、鉄道の時間待ちでもあり、とりあえず飲み物をと思ってお店に入ってみた。
 アッサムティーがメニューにあったので、これを注文して、外の通り沿いに置かれたテーブルでしばしの休憩。

 今日から常磐線も、上野~勝田間は、特急を除き平常ダイヤに近づいた運行になったし、少しずつ少しずつ、街に元気が戻りますように。
  

Posted by 冬野由記 at 22:05Comments(0)徒然なるままに

2011年04月05日

水揚げ拒否と放射線リスク

 報道によれば、茨城県の神栖の漁船が、銚子漁港で「理由の説明が無いまま」水揚げを拒否され、結局、魚を積んだまま波崎港にひきあげたという。
 ちなみに、神栖市と銚子市は、利根川を挟んで隣接している、いわばお隣さんだ。神栖の漁船の拠点である波崎漁港と銚子漁港は、直線にして2km程度の距離である。神栖沖30kmで獲れた魚と、銚子沖で獲れた魚の間にどの程度の違いがあるというのか…。

 ひどい話である。

 水揚げを拒むのも厳しいが、現状(4月1日の「安全宣言」の後「放水」を断行している)いろいろな判断はありえるだろう。しかし「拒否の理由を言わず」に門前払いを食わせたことは無礼に過ぎる。この点については銚子漁港側に弁解の余地はないと思う。同じ「海で働く仲間」が窮状から立ち上がろうという時に、その仲間にひどい仕打ちをした、としか言いようがないと、ぼくは思う。最低でも「水揚げさせられない理由」と「そう判断した銚子漁港側の根拠」について説明すべきだったはずだ。

 魚介にたいする基準や出漁の可否などを明確に打ち出せずにいる、また、突然の放水という手段を取らざるを得なかった政府の対応にも、もちろん問題はある。情報の欠如だけでなく、情報とそれによる判断を明確に示せないことが、風評やこうした事態を引き起こすのだろう。

 でも、それは「何も告げずに門前払いを食わせる」理由にはならないだろう。
 なぜ銚子漁港は「放射線の影響が判断できない」とか「他の水揚げされた魚への影響が心配」とか、言えなかったのだろう。せめて、それがあれば、払拭できる不安は払拭し、待たねばならない点が明らかになれば出漁について検討する材料にだってなったのに。

 くどいようだけど「無言の門前払い」は、やはりひどすぎる。

 さて、今朝の毎日新聞朝刊の「くらしナビ」に、福島原発事故現状の放射線リスクについて、非常に具体的で示唆に富む記事が載っている。ぼくがこの記事を紹介する気になったのは、記載されている内容や例示がわかりやすいだけでなく、内容的に(浅いながら)ぼくの知識や経験に照らして、よく合致し、納得できるからだ。
 タイトルとサブタイトルはこうである。

「東日本大震災:暮らしどうなる?/16 放射線リスク、現状は低く」
 ◇発がん性の増加率わずか 流通する食品、心配なし

 ネットでも読めるので、URLを記しておく。

http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110405ddm013040007000c.html

 この記事で、少しでも不安や戸惑いが払われて、風評や差別が減れば、と思う。
  

Posted by 冬野由記 at 14:21Comments(0)徒然なるままに

2011年04月03日

お酒が届いたよ。福島県から。

 昨日注文したお酒が届いた。
 
 

 福島県は会津若松の蔵元「鶴乃江酒造」の「純米吟醸 ゆり」と「会津中将 生純米初搾り」。
 酒粕もおまけについてきた。
 飲もう。
 粕汁もいいな。

 そして、桜の便りを聞いたら、福島に行こうかな。


 会津若松は藏が多い。蔵の街といってもいい。
 今回の地震では、あちこちの老舗や民家でも、蔵にひびが入ったり壁が崩れたりと、蔵の被害がかなり出たそうである。お酒、味噌、和菓子、漆器、陶磁器、桐、骨董…etc. 蔵造りの老舗や個性的なお店がたくさんある。

 賑わいを取り戻すことを祈りつつ。
  

Posted by 冬野由記 at 15:59Comments(0)徒然なるままに

2011年03月31日

風評

 地震の後、とくに原発事故の後、多くの市民が比較的冷静に行動し、多くの人々が懸命に事態に立ち向かっている中、風評が深刻な被害をもたらしている。
 風評のやっかいな点は、それを流してしまう(ことになる)市民ひとりひとりは悪意を持たず、むしろ善意や使命感を持って発言、あるいは行動しているということにあると思う。

 風評のほんとうの犯人は「情報の欠如」だ。
 それも、災害や事故が起きた後の「リアルタイムな情報の欠如」ではなく、むしろ、災害や事故が起きていない間の、つまり平時の情報が欠如していることが最も大きな要因だと、強く思う。
 事故後の情報の開示は、ある程度真摯に行われていると思う。おそらく、数字や漏えい物質に関する情報に嘘はあるまい。(そう信じたい)あえて言えば、情報過多といってもいいくらいだ。
 それでも、とてもわかりにくい。
 なぜ、わかりにくいかと言うと、日頃の情報提供の仕方が杜撰、かつ恣意的だからだ。だから、事故の状況や漏れ出ている物質(放射性ヨウ素とかプルトニウムとか)放射線量(ベクレルとかシーベルトとか)など言われても、具体的に何を(どのような事故で、どのくらい危険なのか)言っているかよくわからないのだ。よくわからないから、かえって不安になる。

 常日頃の政府・行政や電力会社の情報供給は、
「原発がいかに安全か」
「原発がいかに必要なものか」
 というトーンで流される、一種のキャンペーンでしかなかった。
 もし、日頃の情報供給の中で、リスクも踏まえた具体的な情報が示されていれば、事故後の人々の不安や心配は、より適切で具体的な方向に向かい、風評もかなり防げたのではないかと思う。
 原発で起こる可能性のある事故はどのようなものか。その事故に対してどのような備えがあり、それぞれの備えが破れたときにはどのような、どの程度の被害が予想されるのか、その被害に対する対処法は…等々



 電力会社じたいも、どの段階で廃炉を決断するかを、あらかじめ想定していなかったように感じる。たとえば、登山計画におけるエスケープルートの確認や登頂断念を決断する条件提示、事業計画における撤退の条件設定などと同じだ。これらが欠ければ、山登りも事業も危険この上ない冒険や賭けにしかならない。ネガティブなことをあらかじめ想定しておくのが(日本人は)苦手なようだが、そんなことは言っておれないだろう。リスクマネジメントとは、緊急時の体制をととのえることではなく、むしろ、緊急時と判断する条件を示して周知しておくことだと思う。

 平時の情報欠如と曖昧さ(ごまかしと言っていい)、有事(事故後)の情報過多と突然の率直な事実公表。拙いやり方であり、それが風評の温床となっている。

 以下に、今回、気になった風評被害(と、ぼくが思ったもの)を列記してみた。これらは、元をたどれば、平時の情報や周知の欠如が生んだ被害だと思う。「風評じゃない」という反論もあるだろうけれど、あえて列記しておきたいと思う。
 なお、ぼくは原発推進者ではないので、原発を擁護するつもりは毛頭ない。原発は現状では人の管理能力では管理しきれない危険でやっかいな代物だと思っている。といって、ことさらに「ありそうもない危険」を煽るつもりもない。そのことを、念のため申し添えておきたい。

(追記あり)
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タグ :原発風評

Posted by 冬野由記 at 01:42Comments(0)徒然なるままに