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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

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2007年05月31日

薔~薇が咲いた

 遅まきながら、庭の車庫脇に植えてあったツルバラの花がひとつ、やっと開きました。
 いい感じに開いていますし、つぼみもいくつか。
 これから順々に咲くものと思われます。
 (クリックするとポップアップして大きな画面でご覧いただけます)

 

 やれやれ、気をもませおって。


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Posted by 冬野由記 at 21:03Comments(10)徒然なるままに

2007年05月30日

今日の庭

 今日の庭の様子です。
 (以下クリックするとポップアップして大きな画面でご覧いただけます)

 車庫脇のヒルガオです。
 厳密に言うと、我が家の隣の敷地から延びて、車庫脇の塀にまきついて花をつけているのです。
 

 いろいろと小さな花が咲いてます。
  

 鉢植えで、以前もらった花です。今日、花が開いてました。
 花の名前に蒙(くら)いので、なんという花か知らないのですが、南方の香りがします。
 

 明日は雨模様だそうです。

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Posted by 冬野由記 at 21:21Comments(5)徒然なるままに

2007年05月30日

オムハヤシのライス抜き

 今朝の朝ごはん。
 前夜のハヤシライスのソースがかなり残っていましたので、オムレツと一緒に食べました。
 考えてみると「オムハヤシ・ライス抜き」ですね。
 蕎麦通のなかには、酒の肴に「天麩羅蕎麦の蕎麦抜き」を食べて、仕上げにふつうの蒸篭蕎麦、というやりかたがあるそうですが・・・・

 (クリックするとポップアップして大きな画面でご覧いただけます)
 

 朝からこれだけ食べてしまいましたので、今日はお昼ごはんはパスでした。


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Posted by 冬野由記 at 17:48Comments(7)料理、レシピ

2007年05月29日

ドクダミの花

 日々、葉っぱを食べさせていただいている、庭のドクダミたちが白い花をつけていました。
 (クリックするとポップアップして大きな画面でご覧いただけます)

 

 なかなか可憐な花をつけています。
 葉の緑も深いけれど、花の白も深いように思うのは気のせいか・・・

 葉っぱのサラダは日々食べているのですが、花は食べられるのか知らん。
 今度、聞いてみることにしましょう。


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Posted by 冬野由記 at 22:03Comments(7)徒然なるままに

2007年05月29日

おじいちゃんを信じておくれ(吉田茂の覚悟)

 だいぶ以前になりますが、吉田茂のお孫さんの誰かが、こんな回想をされたことがありました。
 (某現閣僚だったかどうかは憶えていません)

 ある日、彼は孫たちを前にこんなことを言ったのだそうです。

「これから日本中の人たちが、おじいちゃんの悪口を言うことになるだろう。みんなが、おじいちゃんのことを悪い人だと言うようになるだろう。おまえたちも、みんなから悪口を言われるかもしれない。それでつらいめに合うかもしれない。でも、わたしは、日本のためによいことを一所懸命にやるんだ。誰もがそれをわからなくてもいい。でも、おまえたちだけは、おじいちゃんを信じておくれ。お前たちだけでも、おじいちゃんを信じてくれれば、それでおじいちゃんはがんばることができる」

 私は、この逸話を思い出すたびに泣けてきます。
 彼の政策の是非については、ここでは論じるつもりはありません。それに、私は、彼を礼賛するものでもありません。
 ただ、吉田茂という人が、それだけの覚悟をもって、あらゆる非難や中傷をその身に受ける覚悟をきめて、彼なりの信念にもとづいて「戦後」という政局にあたったのだということだけはわかります。そのことゆえに、私は、政治家としての吉田茂という人物を、エラい人だったのだと思うのです。

 現代とは時代が違うといえば違うでしょう。
 昨日の稿にいただいた、おきな草様のコメントの字句を借りるならば、吉田は「拾った命」を、命を拾えなかった同胞や先達の志を必死で受け止め、この国の人々の将来のために全身を投げ出してことにあたったのだろうと思います。
 あの傲慢とも思える貌(かお)と態度の裏側で、孫たちにわびながら、孫たちの信にだけはすがろうとした、その心境に泣けてくるのです。


 今日のニュースによると、安倍政権は
 「国民の関心が強い問題を優先的に審議する」
と発表したそうです。年金の問題を指しているのでしょうが・・・
 ところで、安倍政権は何を大切にしているのですか? 
 抽象的にしか語られたことは無かったけれど、あなたの信念はどこに行ったのですか?
 支持率が急落している理由をあなたはわかっていないと思う。
 「国民の関心事」に目を向けないからではないでしょう。
 私たちには、あなたの背骨が見えないのです。
 あなたの矜持がみえないのです。


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Posted by 冬野由記 at 19:03Comments(2)徒然なるままに

2007年05月28日

祀りの夜

 この小稿を掲載するのは八月まで待つつもりでした。
 なぜ八月なのかは、お読みいただければすぐに解るでしょう。
 でも、それまで待つということにどれほどの意味があるのかという疑問も生じました。
 今、これを書き上げた、その自分の心もちを、ここに記録しておくことも大事だという気もしました。
 書けるうちに、という気分もあります。
 そんなわけで、掲載しておくことにしました。ブログ記事としては少し長いですが、小説としてはごく短いものです。

================「祀(まつ)りの夜」====================


 玉音放送はよく聞きとれた。
 今考えると不思議な気もする。
 総勢数十名の隊員が、かつて教員室だった広い部屋で聞いた。
 そこは、かつて小学校だったものを軍が借り上げた兵舎だった。
 ラジオの性能もよくなかったはずだし、兵舎の立地から言っても電波事情は悪かったはずだ。
 だが、よく聞きとれた。よくわかった。
 なぜか、感懐とか、衝撃とかはなかった。
 放送の後で部隊長が説明をしたが、要は、戦争は終わったのだと言った。
 部隊長の説明など要らないほど、ぼくらは戦争が終わったという事実ははっきりと理解できた。
 要は、戦争は終わったのだ。そういうことか。
 ぼくの気分もその程度だった。
 実感、はっきりした現実味(リアリティ)がなかったかもしれない。戦争という事態の中にあったという現実味も、終わったという現実味も。
 終わったという言葉と、終わったのだという現実がうまく噛み合わなかったような気がする。
 戦争自体が奇妙な実感の中にあった。
 まぎれもない現実ではあった。
 友人が順に戦地に赴き、幾人かは死んでいった。
 空襲もあった。
 厳しい食料事情のなかで社会は荒廃していた。
 中学でも、いつのころからか授業はなくなり、食料生産に明け暮れていた。ぼくらは学校で大きなキャベツをつくっていたのだ。
 まちがいなく戦争の実感はあったはずだ。だが、ゆきつく先がひどく曖昧だった。負けるという気持ちはしなかった。勝つのだという言葉が明確に頭の中で繰り返されていた。だが、勝てそうな気もしない。とにかく非常時が続いている。そんな戦争だった。
 終わったらどうなるのかとか、どういう終わりかたをするのかなんて、誰にも見えなかったはずだ。
 本当に終わったのだという感懐と、これまでと、これからが重くのしかかってきたのはもっと後だ。その意味では、玉音放送自体はぼくに終戦を告げ知らすものではなかった。

 志願して陸軍に入隊してから二年、いや足掛け三年が経とうとしていた。入隊したのが十四歳。この日、玉音放送を聞いたぼくは十六歳だった。
 志願の動機は単純だ。
 飯が食えるから。他人にやっかいになったり、いやな仕打ちを受けたり、惨めな気持ちになったりしなくても、何とか一人で生きて行けるところだから。
 家が零落していたことと、食糧事情の酷さもあって、ぼくは口減らしを兼ねて親戚の家に預けられ、そこから中学に通った。疎開ということだったが、親戚からすればお荷物だったろう。
 米は無いというので、ぼくは毎日臼で麦を挽かされた。ぼくにまわってくるのは挽いたあとに残った麦殻を練ったすいとんだった。ぼくはいつも腹をすかしていた。時に他家の畑から芋や砂糖黍を盗んで空腹をしのいだことだってあった。
 ある日、学友がチョコレートをひとかけ持っていたので、どこから手に入れたのかと聞いた。配給だという。時折、菓子なども子どものいる家には配給されることがあるのだという。ぼくは疎開してきてから一度もそんなものにお目にかかったことはなかった。親戚の家にはぼくと同じ年頃の子供がいた。配給菓子は全て彼の方にまわされたのだ。
 こんなこともあった。
 学校で泊り込みの合宿をやるという。先生が各家にこれだけの米が配給されているはずだから、各自の分として米を二日分もって来いという。米は配給されてないと聞いていたので驚いた。帰宅してから先生の指示を伝え、配給されたぼくの分の米があるはずだと言ったら米が出てきた。しぶしぶ出してきたのだ。こんなに米があったのかと驚いた。合宿では腹いっぱい飯が食えた。情けなくて泣けた。
 だから、ぼくは志願したのだ。

 入隊の日のことはよく憶えている。
 ぼくは小柄でひどく痩せていた上に栄養失調でたびたび目眩に襲われるありさまだったが合格し、その日、ぼくは入隊のために停留所でバスを待っていた。通りがかりの老婆が、どこへ行くのかと訊いた。入隊するのだと答えると、老婆は、こんな子供が、と涙を流しながら見も知らないぼくに餞別をくれた。

 入隊してほどなく、福岡の部隊に配属された。
 ぼくは、軍が小学校の校舎を借り上げた兵舎に暮らし、そこで訓練をうけた。
 特攻隊だった。
 真珠湾攻撃から二年にして、入隊間もない若者を特攻隊に送り込むほど、戦局は早々と悪化していたのだ。
 特攻隊というと航空隊のそれを思い浮かべるかもしれないが、ぼくが配属になったのは爆薬をつんだボートで敵艦船に近づき、船腹にこれを仕掛けて逃げるというやつだ。
 特攻艇を見せられ説明を受けた後で乗ってみて驚いた。ベニヤ板一枚で、踏むとたわんだのだ。乱暴に乗ったら穴があくだろう。これは艇ではない。筏(いかだ)だ。それも粗悪なベニヤ板に小さなエンジンを取り付けただけの筏だ。
 それ以上に、こんな筏で接近できるほどの近海に敵船がいるのだという事実におどろいたことを憶えている。
 勝てそうな気がしない戦争だった。でも、負けるという実感も不思議となかった。
 特攻というが、計算上は逃げ帰れるように設計されていると説明された。実験も見せられた。無人の実験艇を走らせながら、これが爆薬を仕掛けた地点を通過した瞬間に遠隔操作で点火する。数秒後に爆薬が爆発する。何とかギリギリで実験艇は爆発圏外に逃げたものの無人の筏は波にもまれてバラバラになってしまった。説明した教官は、訓練どおりにきちんとやれば帰還できると言った。本番では人が乗っているし、兵は泳げる。
 しかし、この実験がまやかしであることは誰の目にも明らかだった。艇は全速力で走行しながら爆薬を仕掛けるのではない。敵船腹に近づき、停止した状態で爆薬を仕掛け、それからエンジンをかけて逃げるのだ。その間に敵の銃撃もあるだろう。それに兵と爆薬が乗れば実験のように速くは走れないのだ。二度目の実験ではベニヤの筏は爆発に巻き込まれて、文字どおり木っ端微塵になってしまった。
 この後、作戦は順次実行にうつされたが、事実、帰還した者はひとりも居なかった。
 当初は、この無謀な作戦も成果を挙げた。しかしすぐに効き目はなくなった。敵が停泊中の艦隊の周囲に材木を撒いたのだ。材木に阻まれるほどひ弱な特攻艇だったのだ。そして、出撃していった隊員たちは敵艦船に近づけないまま銃撃を受けて死んでいった。
 それでも作戦は続行された。友人たちが順に出撃していった。いずれはぼくも行く。効き目がないとわかっている作戦でも、十代の少年たちは淡々と死に赴いていったのだ。頭の良いのもいた。いろいろと難しいことを教えてくれた。機械に詳しく、教官がてこずっていたエンジンをあっというまに修理してしまうようなやつもいた。夜、絵や音楽の話しをしてくれた者もある。ぼくの知らない異国の小説や詩について教えてくれた者、星や気象のことに詳しい者もいた。

 玉音放送の日、ぼくは十六歳で、下士官、特別幹部候補生兵長なるものになっていた。残り数班。ぼくの番ももうすぐだったはずだ。

 放送の後、ぼくらはそれぞれの部屋に戻って漫然と時を過ごした。どうすればよいか、命令も指示もなかった。待機するしかない。
 戦争は終わった。でも、どう終わるのか。ぼくら兵はどうなるのか。どうするのか。
 何もわからなかった。除隊になって帰るのだろうか。どこへ。
 誰が除隊させるのか。誰が軍を仕切るのか。
 勝者である敵は、どこから来て何をするのか。
 終わったというのはわかるが負けたという実感がまだ不足していた。
 負けるとどうなるのか。誰が何をするのか。誰がどうなるのか。
 漠然とではあるが徐々に、何もわからないということがわかってきた。
 やがて日が暮れた。
 九州の夏の夜は蒸し暑かった。昨日までより蒸した。寝付かれなかった。

 深夜、兵舎の外で奇妙な声がした。
 誰かが何か怒鳴っているのか。
 いや、泣いているのか。
 笑っているようにも聞こえた。
 気味が悪くなった。
 正体を確かめたくて外へ出た。

 兵舎の南、かつて学校の運動場だった広場の中央に、声の主は居た。
 満点の夏の星空に向かって何かをおらんでいる。
 夏の星座がはっきりとみえる。降るような星空。天の川も見える。
 星々のことを教えてくれた友はつい数日前の出撃で散った。
 誰だろう。何を言っているのか。大きな声で何かをとうとうとしゃべっているのだが。
 まるで聞き取れなかった。
 それは、隣の班の班長だった。
 衝かれたように星空に向かって何かしゃべっているのだ。
 狂ったのか。戦争が終わったことが何か彼の心を乱したのか。
 いつのまにか、ぼくの班の班長が隣に立っていた。

 あれは朝鮮語だよ。彼は朝鮮人なんだ。
 終わったから、隠す必要もなくなったから、誰はばかることなくああして母国語で叫んでいるのだ。
 俺も朝鮮語は知らんから、何をしゃべっているのかは知らんが、何でもよいのだろう。
 何でもかんでも、今まで使えなかった自分の言葉をああして発し続けているのだ。
 終わったな。負けたんだ。おれたちは。

 終わった、終わったのだといいながら班長は兵舎にもどっていった。
 ぼくはなんだか戻れなかった。いつ果てるとも知れないことばの祀りを聞き続けた。
 彼のことばはまったく聞き取れなかったが、ひどくリアルだった。
 戦争は終わった。ぼくらは負けた。何かがはっきりと変る。新しい何かが始まる。そのことがひどく現実味(リアリティ)をもって迫ってきた。

 怖い。
 突然、怖いという感情が生じた。何が怖いのか。
 明日、死ぬかもしれないという日々の中で、一度も感じたことがなかった、すっかり忘れていた感情。
 怖い。

 本当に戦争は終わったのだ。これまでの十数年と、何も見えてこないこれからがのしかかってきた。ひどく不安になった。
 そして、これから何とかして生きてゆかねばならぬ。どうやって生きてゆくか。
 生々しい欲求やひどくリアルな不安が身体に染みてくる気がした。
 突然、現実というものが姿を顕し、それに立ち向かわざるをえない。
 生々しい昂ぶりだった。

 満点の星空に、聞き取れないけれど毅(つよ)いことばたちが吸い込まれてゆく。
 祀りはまだまだ終わりそうにない。
 ことばたちは大空にひろがり、煌々とかがやく月にぶつかり、星々になって天にはりつく。
 ことばだった星々が見下ろす乾いた大地に立って、
 ぼくはいつまでも祀りをながめていた。


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Posted by 冬野由記 at 01:31Comments(8)短編小説

2007年05月27日

「どらどん」「かすたどん」


 じゃらし様より、南国の美味しい便りがもたらされました。
 ありがとうございます。

 「どらどん」「かすたどん」
 最初、外に書かれた名前をみて、何かなぁ・・・と。
 しばし、考察・・・・
 「どん」は「西郷どん」「大久保どん」の「どん」かな?

 開けてみて納得。

 

 薩摩蒸気屋さんの「銅鑼殿(どらどん)」「かすたどん」
 そうかぁ、「西郷どん」の「どん」って「殿」なのか。勉強になり申(も)した。
 
 「銅鑼殿」は、どらやき風。「蒸気」屋で「銅鑼」というのが、なんとも粋ですね。
 「かすたどん」は、カスタードクリームが入ったまるいカステラ風。

 早速、お抹茶と一緒にいただきました。(「上喜撰」ではありませんが・・・)

 

 「銅鑼殿」は、中の餡が小豆の皮のこころよい舌触りを残したあっさりめの餡。
 しっかり「小豆」の食感があって、うれしい。
 銅鑼焼き本体もすごくやわらかいです。
 「かすたどん」は、ふうわりした丸くて白いカステラに、しっとりカスタードクリーム。
 こんな、やわらかい蒸し菓子、焼き菓子は大好きなのです。

 じゃらし殿(どん)
 ご馳走様でした。
 ありがとうございました。


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Posted by 冬野由記 at 21:05Comments(9)徒然なるままに

2007年05月26日

今朝の収穫 木苺、苺

 昨日は一日中はげしい雨模様でしたが、今朝は、早朝に朝霧におおわれたものの、すぐに快晴。
 庭や庭の周辺から、今日も収穫を頂戴しました。
 (以下、クリックするとポップアップして大きな画面でご覧いただけます)

    

 庭の裏手の雑木林に、木苺が自生しています。
 これがちょうどいい具合に実っていましたので、いただきました。
 庭には、このところ毎日、苺がなってくれます。
 というわけで、本日は木苺を朝食にいただきました。

 

 ご馳走様でした!


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Posted by 冬野由記 at 13:24Comments(6)徒然なるままに

2007年05月25日

麦の横顔

 今日は朝から雨でした。
 今も降り続いています。
 昨日までの暖かさはどこへやら、うす寒い一日でした。

 さて、今日も麦シリーズでゆきましょうか。
 (クリックするとポップアップして大きな画面でご覧いただけます)

 

 「麦の横顔」(パステル)

 麦や稲をテーマにした絵をよく描きます。
 風景としての畑や田んぼというよりも、穀物のもつ生命の輝きのようなものを描きたいと思うことがあるのです。
 なぜか、稲も麦も、その生命力や豊かさが、女性や少女の姿に見えてしまうことがあります。
 だから、この絵も、
 「麦を手にした少女の横顔」ではなくて
 「麦の横顔」
 なのです。

 ちなみに・・・妻は・・・麦と言うよりも稲です。


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Posted by 冬野由記 at 23:20Comments(4)

2007年05月25日

大相撲 観衆の品格

 大相撲のダイジェストを観ていて、ふと思いましたので書きます。

 横綱の品位とか、品格とか言われてますが、私には観衆の品位の下落ぶりが目に付きます。
 とくにあの座布団投げ。どうしてここまで堕ちたのか。
 いつから流行り始めたのか、ヤボ、野蛮で下品な行為でしかありません。
 それから、負けて退く力士にこれみよがしに身体を叩きにくるやから。

 昔むかし、座布団を投げてよこす風習は確かにありました。
 そのころ、相撲通のちょっとお金のある人は、上等の座布団を持参して相撲興行にやってきました。
 自前の高級布団に座って観戦する、お洒落な贅沢です。
 そんな相撲通が、いい相撲をとった力士に、ご祝儀として自分の座布団を投げてよこしたのです。
 上等の座布団は、ちょっとした贅沢品でした。今で言うなら宝飾品です。
 ところが、今のふらちな観衆は、会場備え付けの座布団をブーイング代わりに放るのです。
 自分のものではない人様の座布団を、あたりの迷惑も危険もかえりみずに、座布団投げを制止する館内放送も無視して。たちの悪い子供の悪さでしかないではありませんか。まったく、聞き分けのない、いい年をして。
 たとえば、球場で試合の様子が気に入らないからといって、ポップコーンやビールの空き缶をグランドに放り込んだりはしないでしょう? ちゃんとした大人なら。
 彼らは、よい相撲をとった力士に、ご祝儀代わりに、持参したシルクのスカーフやブランド物の上着を投げてやる度胸はあるでしょうか。ありますまい。

 力士の身体を叩くという習慣も、確かにありました。
 強い力士にあやかろうと、運を授かろうと、地蔵さんを撫でるように、力士の身体に触れるのです。
 たった今終わった勝負を、悔しさをかみ締めながら必死でふりかえりつつ歩む負けた力士に、無遠慮に走りより、遠慮会釈なく身体をパンパン叩くのは、相撲好きの行為ではありますまい。

 力士の品格の前に、観衆に品位を求めたいという気分です。
 よい観衆がよい相撲を育てるのです。
 今のような観衆に、よい相撲を育てる力があるとは思えないのです。

 とまあ、ダイジェストを観ながら思わず書いてしまいましたが・・・・
 昔むかし、東京に住んでいた頃、大相撲を観に連れて行ってもらったことがありましたが、記憶にある国技館の桟敷には、まるで歌舞伎の鑑賞にでも来たかのような大人の落ち着きが漂っていたように思います。(当時は紫煙も満ちていましたがね・・・)
 そこまで戻れ、とは申しませんが、観衆としてのごくあたりまえの品位、品格くらいはなんとか取り戻して欲しいものです。


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Posted by 冬野由記 at 02:15Comments(10)徒然なるままに

2007年05月24日

麦畑と遠雷

 このところ、麦や麦畑をテーマにしていますので、しばらく麦、麦、といきましょうか。
 というわけで、今日は、むかし描いた絵を。
 (クリックするとポップアップして大きな画面でご覧いただけます)

 

 クレパスで描きました。
 タイトルはつけていなかったのですが、

 麦畑の夕方近く、木々や人の影が長くひかれるころ、
 畑で笛を吹く少年に、傘をふたつ手にした少女がたったひとりの聴衆。
 気がつくと小鳥も鳴きやみ、西風が麦畑を波立たせ、
 遠くに夕焼けしそこねた雷雲が近寄ってくる。
  ― 早く帰らないと雨に濡れてしまいますよ ―
 そんな声も、遠雷も、ふたりの耳には届かない。

 と、まあ、そんな絵です。

 「麦畑と遠雷」
 ということにしておきます。


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Posted by 冬野由記 at 23:10Comments(4)

2007年05月23日

模擬国連 (200エントリ目)

 模擬国連会議というのがあるそうです。
 世界の高校生が集まり、国連本部で、それぞれの母国とは違う国の大使役になって、実際の国連のテーマについて議論し、決議案を作成するまでをディベート形式で体験するのだそうです。
 本当の国連会議と同じレベルで体験するので、各国の代表(高校生たち)は、国連での会議に先立ち、自国(実際の母国ではなく、役割としてふられた国)の政策の調査や立案、テーマに対する研究など周到な準備を行うだけでなく、英語でプレゼンするための訓練や練習も行います。
 他国の立場に立つことで、外国の政策や政情、国際問題に対する理解がすすむだけでなく、国連での会議を準備から決議まで、本物と同じプロセスを経験し、実際に多数決で決議を行うわけですから、若い人たちにとってはまさしく得がたい経験になるはずです。

 今年の模擬国連には、日本から初めて参加(初めてだそうです。今までなぜ参加しなかったのでしょうね)があり、日本の高校生が北欧の大使という役割で、上記のような準備をして会議に臨み、その決議案は、いくつかのテーマグループのうちでは、もっとも多くの得票を得て決議されたそうです。

 ニュースによると、今回は、英語教育に定評のある高校をあらかじめ選んで、そこから代表を送ったそうですが、今後は、国内で模擬国連大会を開いて代表を選抜するとのこと。

 こういう経験を経ることのできる若い世代には、おおいに期待したいものです。


 P.S.
 書いてから気づいたのですが、この記事、ちょうど200エントリー目でした。
 昨年10月から書き始めて、もうそんな数になったのか、と感慨。
 皆様、引き続き、よろしくお願い申し上げます。


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Posted by 冬野由記 at 22:35Comments(3)徒然なるままに

2007年05月23日

超手抜きチャーハン

 小腹が空いたので、夜食を。
 茶碗一杯の冷ご飯があります。
 チャーハンでも・・・と思ったのですが、中華なべを使って炒めるのも面倒です。
 夜食となると後片付けがとくに面倒です。
 そこで・・・超手抜きチャーハンを作ってみました。

 まず、茶碗一杯の冷ご飯をどんぶりに移します。
 ありあわせの野菜などを用意します。
 幸い我が家では、うどんや蕎麦を食べるために、きざんだネギが冷蔵庫に常備してあるので助かります。ほかに何かあれば何でも。キャベツを小さく手でちぎってもいいかもしれません。ハムなどがあれば、これもちぎっておきます。

 まず、どんぶりの冷ご飯を電子レンジでしっかり加熱します。
 すぐには食べられないくらい熱く。

 熱々になったご飯に、上記の野菜などの具を入れて混ぜます。
 そこに、しょうゆ、みりん、サラダ油を少したらして、また混ぜます。
 照りとしょうゆの色がほんのりつきます。

 もう一度電子レンジに入れて、15秒くらい加熱します。

 取り出したら、そこに卵を1個入れてよく混ぜます。
 野菜入りの卵かけご飯みたいになります。

 これを電子レンジに入れて、こんどは30秒くらい加熱します。

 取り出して、混ぜます。
 卵の固まり具合が足らないと思ったら、また加熱してみてください。このあたりの加熱時間はお好みで。

 で、出来上がりです。
 

 調理時間は数分。
 食後に洗うのは、スプーンとどんぶりひとつだけ。鍋も火も使いません。
 超手抜きチャーハンでした。

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Posted by 冬野由記 at 00:19Comments(5)料理、レシピ

2007年05月22日

麦畑

 一昨日、「麦」という絵をエントリしましたので、久しぶりに散歩コースの麦畑を観に行きました。
 (以下、クリックするとポップアップして大きな画面でご覧いただけます)

 

 「麦畑」です。
 「妻畑」ではありません。
 (この奇妙な文章のわけは、先日の記事
   http://fuyuno.sapolog.com/e379441.html
  のコメントをご覧ください)

 近くで観てみましょう。
 

 先日まで、まだ青々とした夭かった麦がすっかり黄金色に色づいています。
 ちょっと雲がでてきたので、写真は渋めですが・・・

 麦にもいろいろあって、こちらは少し褐色の麦畑。
  

 少し足をのばして、お気に入りの木のあたりまで。
 

 こうやって、木のそばまで行くと、違った種類の木が寄り添っているのがわかります。
 

 この三日ほど好天が続いたので、気持ちのよい散歩になりました。

 最後に、本日の我が家の収穫。
 庭になかば自生している苺が、このところ毎日、このくらいの実をみのらせてくれます。
 ほったらかしにしているので、大きくもなく、格別あまいわけでもありませんが、柔らかく酸味のある小粒の苺は五月の味がします。
 

 明後日までは晴れ模様で、暖かいようです。
 さわやかな初夏の空気を、しばらくは楽しめそうですね。


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Posted by 冬野由記 at 21:37Comments(8)徒然なるままに

2007年05月21日

シャクヤクの暮らし

 昨日、居間に引っ越したシャクヤクがきれいに開きました。
 今、こんな感じです。

 

 朝よりも花びらが閉じているような気がします。
 今朝はこんな感じだったのですが

 

 今朝は、花びらをいっぱいに広げて、めしべやおしべもはっきり見せていたのに、今は花びらをすぼめています。
 花にも暮らしのリズムというものがあるのですね。
 吉田秀和という人(音楽批評家です)が、こんな主旨のことを言っていたのを思い出しました。

 植物が美しい花を咲かせるのも、みごとな実をつけるのも、美しいからじゃなくて、それが彼らの暮らしだからだ。彼らが生きてゆくのに必要だからだ。
 人の芸術も同じで、美と生活は別のものじゃない。
 仕事にその人なりの進め方があったり、掃除の仕方や手順に人それぞれのこだわりや美意識がある。そんなこだわりや、美意識を突き詰めていったところに芸術がある。
 芸術は、日々の生活の先にある。

 このシャクヤクの花も、また、今の花瓶の中で、彼女なりの暮らしをたててゆこうとつとめているのでしょう。
 今日もお疲れ様。
 おやすみなさい。


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Posted by 冬野由記 at 23:19Comments(2)徒然なるままに

2007年05月20日

 もうじき、散歩コースの麦畑も金色に実り始めることでしょう。
 今年も、輝く麦に会えます。
 (顔だけ、ちょっとぼかしてみました)
 

 というわけで、少し先取りというわけではありませんが、

 「麦」(パステル)

 (クリックするとポップアップして大きな画面でご覧いただけます)
 

 大きいです。
 等身大というほどではありませんが・・・いや、小柄な子供ならこのくらいかな。
 30号。
 黄色のパスをたくさん使いました。


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Posted by 冬野由記 at 23:17Comments(7)

2007年05月20日

おいしそうな新緑

 ところで・・・・
 (冒頭で「ところで」はないでしょうが)

 この時節、
 若い葉をおもいきり茂らせて、
 こんもりとふくらんだ新緑って
 おいしそうだと思いませんか?
 あれたちが、
 なんだかブロッコリーのように見えてしまうのは
 わたしの食欲のなせるわざか・・・

  

 ほら、巨大なブロッコリーが、
 田んぼの向こうに、林のなかに・・・・


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2007年05月20日

本日のシャクヤク

 本日の我が家のシャクヤクです。

 ほんのり紅くまるい蕾が、ついにほころびました。
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 このシャクヤク、じつは去年までは牡丹だったのですが、虫がついて腐ってしまったので泣く泣く切ったのです。ところが、シャクヤクに接木していたらしく、切った株からシャクヤクの蕾が顔を出しました。
 様子をみていたら、このとおり、ほの紅いシャクヤクが咲きました。

 庭の西側には、白いシャクヤクが、こちらは早々と満開です。

  

 さて、くだんの紅いシャクヤク、母が
「あそこだと、居間の窓から見えないから・・・・」
と、仕事から帰ってきたら、今のスピーカーの上に引っ越していました。

 

 自分としては、庭の草木の間に咲くのを愛でたかったのではありますが・・・
 ま、これもよしとしましょう。


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Posted by 冬野由記 at 16:52Comments(2)徒然なるままに

2007年05月20日

土壌動物学会におじゃまして

 ポスター原画を描かせていただいたご縁で、「日本土壌動物学会」の祝賀会にお呼ばれして、お邪魔してまいりました。
 いろんな学会の集まりに顔を出したことはありましたが、こんなに楽しい学会があるとは、お邪魔した門外漢の私も、とても楽しい時間をちょうだいしました。

 マニアの集まり・・・・
 よく考えてみると、その道の学者さんたちの集まりが学会なのだから、学会がマニア集団なのは当然といえば当然ですね。そうじゃない学会のほうがおかしいのかも。

 だいぶ前に、科学の原点はアマチュアリズムだ、というような趣旨の記事をエントリした記憶がありますが・・・マニアは学者の原点、かもしれませんね。

「妖精が好きでね。山に入ったときなんかは妖精と対話するんですよ」
と、私の絵の感想にくわえて、そんなことをおっしゃる先生もいらした。
 その気持ち、わかりますよ。私だって、山を歩いていて、足元をかすめるように横切る妖精を目撃することはありますから。

 土の中や、地面を這う小さなちいさな生き物たちを追いかけている先生たちです。
 もし、小さくちいさくなって、地面の中にもぐりこんで、小さな虫たちと遊べるとしたら、皆さん大喜びでしょう。

 妖精になりたかった先生たち。
 楽しいひと時をありがとうございました。


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Posted by 冬野由記 at 01:33Comments(3)徒然なるままに

2007年05月19日

雨が降らないうちに

 雨が降らないうちに、今朝の庭から。
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 庭の隅のバラが一輪咲いてました。

 

 二階の北側の窓から裏の林を見下ろすと、早々とガクアジサイが白い花を控えめながらつけています。

 

 南側の庭に植えたガクアジサイはまだ花をつけていないのですが・・・日当たりのよくない林のほうが先に花をつけるあたり、いかにもアジサイらしいといえばアジサイらしい。

 今朝の我が家の花模様でした。
 今日は、じきに雨が降るらしい。


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