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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2008年09月28日

では、次の課題を

先ほどの課題ができたら、
この写真をみて、
空は黒の透明水彩絵の具だけで(描く前に紙を濡らしておくのがコツ)、
乾いたら、林、畑、小さな人物を色鉛筆で軽めに、
最後に煙を不透明水彩(グァッシュ)の白で、
描いてみてね。
どうですか?
いい絵が描けたでしょ?

  

Posted by 冬野由記 at 15:45Comments(0)

2008年09月28日

まるで水彩画の練習のような

またまた散歩の途中。
まるで水彩画の練習課題のような空です。
水彩画に取り組もうとお考えのあなた!
この空を「黒」だけで描いてみてね。

  

Posted by 冬野由記 at 15:29Comments(0)

2008年09月28日

蕎麦畑と彼岸花

今日も散歩途中の、蕎麦畑のわきに、彼岸花を一輪みつけました。携帯で撮影。

  

Posted by 冬野由記 at 15:10Comments(0)

2008年09月28日

下見

 本日(じゃなくて、もう昨日ですね。つまり27日)、
 日帰りで・・・来る「紅葉狩り登山ツアー」の下見に行ってきてしまいました。
 初心者数名を連れてゆくことになるので、この季節の具合を一応確かめておくべきだと思ったのでした。
 以下、メモです。

 8:30AM、浄土平に到着。
 異常に寒く、風が強い。冬の嵐だ。予報では晴れのはずだが、曇っている。
 頬が痛いほど。スカーフを首に巻き、チョッキの上にウィンドブレーカーまではおる。
 身づくろいをして、まずビジターセンターへ。
 例年の10月中旬はこの寒さか? との問いに
   「今日は異常に冷え込んでいる。今朝は吹雪いた」と。
 通常なら、10月中旬もこんなに冷え込まないとのこと。
 混雑の具合を聞いたところ、
 紅葉が見ごろになると週末は混み合う由。ただ、
   「駐車場も混むが臨時駐車場まで満車になることはない。小富士、一切経山は人が多いが、東吾妻まで足を延ばす人はあまりない」
 と聞き、やや安心。ただ・・・
  ・・・出発を一時間ほど早めたほうが安心かもしれないな・・・
 とひとりごつ。

 一服して・・・9:30AM、まず一切経山に向かう。
 強風をさえぎるものが一切ない裸の山。ほかの登山者も苦労している。
 足を踏ん張り、腰を落とし、かがむようにして登る。
 小さな砂粒が頬を打って痛い。
 当日、このような天候だったら、初心者連には無理だろう。足がすくんで動けなくなるに違いない。
 -- 強風のときは一切経山はパスすることになるな
 約一時間で山頂に着く。身をかがめてさっさと登ってしまったので異様に早いペースとなった。
 強風の中、すごい勢いで奔る霧の合間に山頂から五色沼が望めた。
 ただし、ザックからカメラを出すゆとりはないので(荷物を降ろしたら荷物が飛ばされてしまいそうなので)とりあえず携帯で撮影。
 
 「魔女の瞳」とも呼ばれるそうだが、霧の中、暗い山頂の下に、そこは陽光をわずかに受けて碧くかがやいている。こうしてみると確かに魔女の瞳。
 登ってきたほうには、浄土平のむこうに吾妻小富士も望める。
 晴れて穏やかな天候なら眺望はよいはず。
 
 これも携帯。とにかく凄い風。頬がひりひりしてきた。
 いったん元来たほうへ引き返し、途中の分岐を酸ガ平へ向かう。
 11:00過ぎに、酸ガ平小屋に着く。軽い昼食(パン)とミルクコーヒーで一服。
 11:30小屋を出て、酸ガ平の湿原を東吾妻に向けて進む。
 アラレが降り始めている。たしかに今日は異常な天候。9月下旬なのに、11月の気候。
 酸ガ平の湿原から酸ガ平小屋を望む。
 
 風が山稜ほどではないので、カメラで撮影できた。
 酸ガ平には鎌沼という大きな沼がある。
 
 一切経山と違って、このあたりは湿原、高山植物、沼、灌木と、それに色づき始めた黄葉もある。
 こういう変化に富んだルートは、きっと楽しいだろう。
 鎌沼の脇、黄葉がちらほらと姿を見せる木道をたどって東吾妻山へ向かう。
 
 木道が尽きると、林の中のやや石の多い狭い道を登る。
 前夜の雨と、朝の雪のせいか、ちょっと川のように水が流れている。
 雨が降った後だと、このあたりの道ではみな苦労するかもしれない・・・というか嫌がるかも。
 ただ、たいした距離ではない。
 12:20 東吾妻山の山頂に出る。
 見晴らしは最高・・・のはずだったが、ここも強風と霧でほとんど何も見えない。
 一瞬見えた鎌沼を撮影。
 
 霧と風に覆われた東吾妻山の山頂・・・・
 山頂から、景場平を経由して鳥子平に下山するルートをとる。
 この下りも、小さな川と化した石と岩の道。
 けっこう長い。途中、景場平で、もう一回パンとコーヒーのブレイクをとって、あわせて約一時間半。
 14:00 鳥子平に到着。
 この下山ルートは初心者にはつらいかもしれない。
 長い下山ルートはそれだけでも足が疲れてうんざりしがちなものだが、この石だらけ、ぬかるみだらけの道はきっと疲れを倍加させるにちがいない。
 途中の湿原(景場平)は、なかなか風情がある(私はこういうのは好きなのだが)が、酸ガ平でも湿原体験はできるし・・・
 それに下山してからも、鳥子平から国道わきの遊歩道を1時間歩いて浄土平に戻る、というのもきついかもしれない。
 15:00 浄土平着。
 9:30~15:00で、5時間半。ほぼ計算通り。ただし、私の足で。
 初心者連の足では・・・・無理かな。
 同じルートなら7時間と思ったほうがいい。
 9:00出発としても16:00着。しかし、7時間かけてしまうと疲れ切ってしまう。
 とすると・・・
 当日のルートは、一切経山、酸ガ平、東吾妻山まではいいとして、東吾妻からは酸ガ平に戻り鎌沼周辺をじっくり歩いて、そこから浄土平にショートカットする下山ルートをとったほうがいいかも。
 強風の場合は、一切経山をパス・・・魔女の瞳は見せたいけど・・・して、替わりに浄土平に戻ってから余裕があれば小富士をひとまわり、ということにすれば丁度よいかな。

 と、一応下見してきたので、無理のないルートなど、いろいろ検討することができます。
 「もう山は二度とごめんだ」と思ってもらいたくはないですからね。  
タグ :東吾妻山

Posted by 冬野由記 at 01:26Comments(0)登山、山歩き

2008年09月27日

秋の空

北に秋の空を臨む。

  

Posted by 冬野由記 at 06:40Comments(0)

2008年09月25日

紅葉登山

 今回は、ブログの場を借りて、紅葉登山ツアー参加者向けのお知らせをさせていただきます。

 

 では、紅葉登山参加の皆様・・・

 予定目的地は、福島県 東吾妻山です。
 初心者向けのルートを、昼食・休憩も入れて5時間~6時間かけて周遊する予定です。
 9:00~10:00登山開始、15:00~16:00に下山という感じです。なので、出発は早朝6:00頃になります。前夜は十分な睡眠を。
 なお、天候や気候の様子をみて、近隣のほかの山に変更する場合もありますので、その際はご了解のほどを。
 かなりの雨天で登山が無理な場合は、裏磐梯高原周遊に変更するかも知れません。
 安全第一、無理はせず、で行きましょう。

A:服装
 10月中旬ともなると、寒いくらいだと思ってください。初冬気分でご準備ください。
☆まずですが、トレッキングシューズはお持ちでないと思いますので、底が厚めの履きなれたスニーカーやウォーキングシューズでもOKです。もちろん、トレッキングシューズがあればベストです。
帽子は必須です。防寒にも、日よけにも役立ちます。髪の長い方は、編むか束ねるかしてください。
☆イラストにあるように、上は長袖のシャツベストかカーディガンもご用意ください。
☆首周りが冷えないようにスカーフか薄手のマフラー、または大きめのバンダナをご用意ください。
軍手か手袋をお忘れなく。
☆下は登山用のズボンはお持ちでないと思いますので、ゆとりのあるGパンでもけっこうです。ぴっちりしたGパンは避けてください。寒がりの方は、Gパンの下に防寒のためタイツのようなものを。
☆靴下は、厚手で長いものを。綿よりもウールやアクリルのものをお勧めします。
☆全体にキツい服装は避けてください。ゆったりしたものを。

B:ザックの中
ザックをお持ちでない場合は、予備がいくつかありますので、以下のものを「C」のカバンと分けてお持ちください。お持ちの方は、ザックに詰めてお持ちください。
替えのTシャツを2枚くらい用意してください。汗をたくさんかいた時や、濡れた場合にアンダーウェアを着替えるほうが望ましいからです。上半身を冷やさないことが大事なのです。
靴下の替え。念のためです。
☆上着。休憩中などの防寒、風除けのためです。ウィンドブレーカーのような軽いものでOKです。無ければこれも予備が何着かあります。
☆水。500mlペットボトルの飲料を、各自4つずつお持ちください。そのうち2本はお好みのソフトドリンクでもOKです。(ただし炭酸はNG)残り2本はミネラルウォーターにしてください。水分補給は重要です。
タオル。フェイスタオルでOKです。
ティッシュペーパー。(ポケットティッシュでOK)
☆お菓子、スナック類。かさばらないものを適量。
常備薬。ふだんお使いの常備薬があればお持ちください。
☆以下のものはこちらで準備します。
・昼食  ・雨具  ・その他の山歩き用の備品。

C:その他の荷物
 以下のものは、山には持って行きません。ザックとは別のカバンに入れてきてください。
☆ふつうの着替え。
☆寝間着・部屋着など。

以上です。あとは、当日の好天を祈るばかりです。  

Posted by 冬野由記 at 22:28Comments(0)登山、山歩き

2008年09月23日

お彼岸

 トレーニングのつもりで、近くの山に歩きに出たところ、野辺で見かけた彼岸花。
 カメラを持ち出さなかったので、携帯で撮りました。
 
 お彼岸が過ぎれば、お天気はおちつくかしらん。
 ま、今日は久しぶりの穏やかな天気で、地面は少々ぬかるんでましたが、楽に歩けました。ちょっと暑かったかな。
 あと一週間ほど、十月の声を聞けば、まず山のほうから紅葉の便りが聞こえてきますね。
 その前に・・・文化祭があるなあ・・・。  

Posted by 冬野由記 at 17:23Comments(2)徒然なるままに

2008年09月21日

今朝の散歩(蕎麦畑)

 今朝、少し晴れ間がのぞいたので朝の散歩に出かけました。
 いつもの散歩コース、初夏には麦畑だった一角には、今は蕎麦の花が満開でした。

  

 少し暑くて汗ばんだけれど、いい散歩になりました。
 しかし・・・午後には雨、夕方は豪雨。
 この気まぐれなお天気が落ち着いて、はやく気持のよい秋が来てほしい。  
タグ :蕎麦畑

Posted by 冬野由記 at 20:45Comments(0)徒然なるままに

2008年09月17日

貴志康一のこと

 貴志康一の音楽に触れたのは、5年以上前でした。
 深夜のラジオから流れていた魅力的な音楽を作曲し、指揮していたのが「キシコウイチ」という名だと知ったのでした。
 彼の曲の印象については、以前、小説の一部に書いたことがあります。

 オーケストラが鳴り始めた。東洋風のメロディーを巧みに織り込んだ賑やかな曲だが、深い情緒とある種の寂寞感がある。日本の作曲家の作品と思われたが、オーケストレイションの密度も高く、この手の曲としては珍しく音響に十分な厚みがある。一般に、日本の作曲家の手になるオーケストラ曲は、メロディーの情緒性が深い一方で、サウンドには軽みと、ある種の乾燥した味わいがあることが多いのだが、この曲には十九世紀的な湿度と重量がある。

 彼の音楽の印象について書けと言われれば、今でも、同じ文章を編むことになるでしょう。
 歌曲は、けっこう歌われているようですが、オーケストラ曲はそれほど演奏会でとりあげられることはないようです。
 でも、このラジオから流れてきたオーケストラは、とても魅力的でした。
 貴志は、若くして、後期ロマン派の音楽語法や質感を、しっかり身につけた音楽家だったようです。その上で、あくまで「日本の音楽家」であることを自分の背骨として建てている、そういう矜持を持った音楽でもあります。

 貴志康一。
 1909年、大阪府吹田市に生まれ、兵庫県芦屋で育つ。
 小学生の頃は音楽より油絵を好んで描いていたが、エルマンの演奏に触れたことがきかっけでヴァイオリニストを目指す。神戸でウェックスラーにヴァイオリンを、宝塚交響楽団の指揮者ラスカに音楽理論と作曲を学ぶ。
 1925年、高校を中退して、ヴァイオリニストを志しスイスとドイツに留学。ジュネーヴ音楽院に学ぶ。音楽院を修了後、ベルリン高等音楽学校で研鑽を積む。帰国途中のシベリア鉄道で、ピアニストのシロタと出会い、東京、京都、大阪の演奏会で共演。その後、近衛秀麿指揮の新交響楽団(現在のNHK交響楽団)と共演するなど作品発表など活発な活動を続ける。
 この間、ドイツと日本を数回往復し、三度目の渡独では、次第に作曲・指揮に力を注ぐようになった。作曲家として歌曲とヴァイオリン曲をベルリンで出版した他、1934年には、ベルリンフィルの指揮台に立ち、自作の交響組曲「日本スケッチ」と交響曲「仏陀」を発表している。後にベルリンフィルを指揮して自作のレコーディングも行った。また、音楽映画の製作にも挑戦している。ベルリンでは、指揮者のフルトヴェングラーや作曲家ヒンデミットとも親交を結んだという。
 1935年、帰国し指揮者、作曲家、ヴァイオリニストとして活躍。ヴァイオリニストとしては、ケンプとベートーベンのソナタを共演するなどの実績もある。しかし、1937年、わずか28歳という若さで夭折してしまった。
 (以上は、貴志康一記念室の記事を引用)

 上記の活躍は、すべて二十代の数年間に成し遂げられたものです。
 こういう天才がいたのですね。

 さて、その時のラジオから流れてきたのは、上述のベルリンフィルを自作自演した、つまり貴志の作品を貴志自身が指揮して録音されたレコードの復刻盤でした。ずいぶん前に廃盤になって入手できなかったのですが、復刻版が出たというので、ついに入手することができました。1930年代の、フルトヴェングラーが活躍していたころのベルリンフィルを日本人が指揮した記録でもあります。
 (この復刻版は、甲南高校・中学校の貴志記念室に注文すれば入手することができます。)

 今宵は、ひさしぶりに貴志に会うことができます。  
タグ :貴志康一

Posted by 冬野由記 at 22:19Comments(0)音楽

2008年09月14日

我が通勤路を俯瞰する

 私の通勤路。車でおよそ75分。距離にして片道50km。
 毎朝、NHK-FMのニュースと、それに続く「クラシックカフェ」の前半を聴きながら、ドライブの日々です。(ガソリン代がたまらん!)
 この通勤路には、いたるところで美しい風景が見られます。それも通勤ですから、朝方とか夕暮れとかの絶好のシチュエーションで眺めることができるのです。(ただし、車を停めて写真を・・・という余裕がなかなかないのが残念なのですが)
 朝の通い路の後半に、広大な田園風景が広がっているエリアがあります。
 「広大な田園風景」というと、この「チャンネル北国TV」の本拠である北海道が有力なお家元ですが、どうしてなかなか、北関東・・・というか、千葉県北西部から茨城県南にかけての、利根川や霞ヶ浦周辺にも「広大な田園風景」がたくさんあります。ただ、人家密度がなかなか高いので、広さが実感できる場所は限られますけど。
 とくに、霞ヶ浦周辺は、絨毯を敷いたような、まっ平らな大地が広がっています。地元の人間にとっては、何の変哲もない田舎の景色でしかないのかもしれませんけど、私にとっては、日々、ちょっとした観光気分なのです。
 さて、昨日の土曜日、生徒が学校に来たいというので、急遽出勤することになったのですが、少しゆっくり出ることができたので、ちょっと寄り道することにしました。通勤路の脇の公園に、この田園風景を俯瞰できる展望タワーが建っているのです。(すっかり閑古鳥が鳴いていますが)そこから、霞ケ浦の北岸の、いつもの通勤路周辺を写真に撮ってみました。

 

 いかがです?
 ためしに、何枚かをつないで、パノラマにしてみました。

 
 とか、
 
 とか、
 なかなかのものでしょう。
 最後の写真の右側に広がっているのが、霞ヶ浦です。

 低地で、まっ平らなのが、このあたりの特徴です。
 採り入れの済んだ田んぼや、これからという田んぼが混在して、ちょっとパッチワークの絨毯みたいな感じでしょう。

 さて、明日はバッハのロ短調ミサを聴きに行きます。
 久しぶりの、大曲の生演奏です。
 お耳の洗濯をして来ます。  
タグ :霞ヶ浦

Posted by 冬野由記 at 21:58Comments(0)徒然なるままに

2008年09月14日

分?室?

劇場に何故、分娩室が?
と思ってしまった。
分煙室でした。
南大塚ホールにて。

  

Posted by 冬野由記 at 12:43Comments(0)

2008年09月13日

シェイクスピアもいろいろ

 明日は、一家で妹の演出・出演のシェイクスピア(夏の夜の夢)を観に行きます。昨年の池袋演劇祭で賞を頂いたので、前年度受賞作競演というプログラムだそうです。(ちょっと家族自慢)
 だからというわけでもないのですが、今日の新聞の、シェイクスピア・・・というよりも、ストッパードの「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」についての記事が目に留まりました。
 ご存じの方もあると思いますが、このお芝居は、あの「ハムレット」の脇役、というよりも端役のふたり(ローゼンクランツとギルデンスターン:ハムレットの学友でありながら義父のクローディアスの意を受けて中途半端にハムレットを裏切るがハムレットに手玉に取られて海賊に殺される)を主人公にしたてた、パロディというにはかなり手の込んだ名作です。
 シェイクスピアの作品には、こういった、主役ではない人物に焦点を当てて、視点やテーマ、切り口を大胆に変えて再構成してみせた新たな舞台などが少なくありません。新聞の記事でも、東京シェイクスピア・カンパニーの「王妃マーガレット」が好例として採りあげられていました。
 そういえば、もともとシェイクスピアの作品自体、下敷きになっている当時の他のお芝居や物語があって、シェイクスピア自身が、ほかの作品に対して同じようなことを繰り返しながら練り上げて「名作」を書いたわけですね。
 この記事をみて、むかし読んだ志賀直哉の「クローディアスの日記」という短編を思い出しました。
 クローディアスも「ハムレット」の登場人物。ハムレットの父であり自らの兄である前王を毒殺して、最後にハムレットに殺される敵役ですが、昔から、芝居にあまり工夫が要らない??からか、「ベテランだがあまり上手くない役者」があてられるというような失礼な言われ方をしたりします。(そんなことはないと思うのですけどね)
 志賀直哉の「クローディアスの日記」では、「毒殺」はハムレットの妄想で、前王ハムレットこそが異常に嫉妬深く陰険な人間で、その血を受け継いだ王子ハムレットもまた、その妄想からクローディアスを陰険な手を使って追いつめてゆきます。善良な心を持ち、また自身の愛をまっすぐにつらぬいた真摯な人間であるクローディアスは、なんとか甥のハムレットを息子として暖かくつつもうとしますが、ハムレットのあまりのやり方についに我慢できなくなり・・・・という、面白い物語でした。
 こういう視点がありえるとしたら(事実、前王の「毒殺」は、なんの証拠もなく、ハムレットと「親友」ホレーショなど、ハムレットと「心を許しあう仲」の数名だけしか「前王の幽霊」をみていないのです。ホレーショこそなんだか怪しい?)クローディアスの演技にも、さまざまな彫琢の余地が残されているはずですね。
 まだ、我が家の本棚のどこかに残っているかしらん。35年ぶりくらいで、久しぶりに読み直してみたくなりました。

 ところで、ホレーショ・・・・やはり、あやしいですよ。
 親友のふりをしてハムレットに近づき、妄想を信じ込ませ、王国を崩壊に導き、野心家のフォーチンブラスにデンマークを売り渡し、みずからはデンマークの実権を・・・・なんてね。「ホレーショの独白」なんて短編を書いてみようかなあ・・・(ラストのフォーチンブラス登場はいかにも唐突だし。案外・・・)

 夏の名残りの妄想・・・でした。  

Posted by 冬野由記 at 20:26Comments(3)徒然なるままに

2008年09月10日

クライスラーとラフマニノフ

 ひさしぶりに音楽ネタで。

 昨日、通勤中に聴いていたラジオから、面白い録音が流れてきました。
 クライスラーとラフマニノフのデュオによるベートーベンのソナタです。八番のソナタでした。こういう渋い曲だったのも幸いして、このふたりの演奏を、変な先入観なくじっくり愉しむことができました。もちろん古い、1920年代の録音です。
 聴いてみて、まず感じたのは、このふたりが、間違いなくたいへんな名手だったのだなあ、ということです。それに、まったく古くさくない。むしろ、シャープで明晰な演奏は、今聴いてもじゅうぶんに新しい。クライスラーというと、なにかセピア色(つまり古色蒼然たる)の音を想像していたのですが、扉を開けてみたら、ぬけるような青空が広がって驚いた、といったところです。(もちろん、SP録音を復刻する技術もたいしたものです)音色もさることながら、それ以上に、奏法というかフレージングやリズムの扱いも、彼らの後の世代の巨匠たちのほうが、よほど旧く感じられます。
 解説によると、クライスラーはいたって楽天的で社交的な性格。一方、ラフマニノフは神経質で内向的。そんな彼らのデュオ録音は、クライスラーが「いやあ、うまくいった」と、すぐに満足するのに、ラフマニノフが「あそこが気に入らない、ここがうまくゆかなかった・・・」と納得しないので、いくども録音しなおそうとするのでクライスラーが辟易とした・・・とか。
 でも、録音を聴く限り、このふたりの相性はいたってよいようです。切れ味がよく、曇ったところが少しもない見晴らしの良い演奏が実現しています。性格はずいぶんと違うかもしれないけれど、求めていた音楽には近いものがあるのかもしれませんね。ラフマニノフは、クライスラーの曲をピアノソロ用に編曲したピースなんかも作曲しています。だとすると、今日のラフマニノフの(作品の)演奏は、ラフマニノフが思っていたよりもロマンチックすぎるのかも知れないし、今日のクライスラーのピースの演奏も、軽妙洒脱にして華麗すぎるのかもしれません。
 まあ、理屈はともかく、久しぶりにとても面白い音楽を聴けました。

 さて、もうじき、やはり古いふるい1930年代のSP復刻CDが届く予定です。
 何のCDかは、いずれ聴いた後でご報告させていただきます。  

Posted by 冬野由記 at 21:33Comments(2)音楽

2008年09月08日

この花の名前

この花の名前を知らないのです。

  

Posted by 冬野由記 at 12:06Comments(7)

2008年09月07日

いつものお気に入りの木の根元

ただいまジョギング中。
いつものお気に入りの木の根元を撮ってみました。祠があります。

  

Posted by 冬野由記 at 14:50Comments(0)

2008年09月06日

満ちたるをもって欠けたるを

 福田氏の突然の辞任会見から少し経ってみると、自民党の動きに、なんだか「あらかじめ想定済み」だったような印象を受けてしまっています。

 ふと、思い出した小説の一節があります。
 司馬遼太郎氏の「項羽と劉邦」。
 劉邦の漢軍と項羽の楚軍が、長い対峙から講和を取り交わして、楚軍が故国に向かって退いてゆくとき、参謀の張良が策士の陳平をさそって劉邦のもとに献策に向かいます。
 -- 講和を破って、すぐにも項羽の楚軍を追撃する。
 陳平は驚きます。戦略家ではあっても義を重んじる張良らしからぬ提案だからです。

 ・・・むしろわたし(陳平)が言い出しそうな・・・
 何故だ。

 陳平の問いに張良は答えます。

 項羽と楚軍は強い。その強い楚軍が、今までにないほど疲弊している。今がどん底だ。ただし、時を与えればすぐに盛り返す。これ以上弱くなることはない。
 一方、劉邦の漢軍は弱い。これまで楚軍とたたかってこられたこと自体信じられないくらい弱い。ところが、その漢軍が気づいてみるとこれまでで最大規模の軍容を得ている。兵糧もある。斉と魏には韓信と彭越が居て、友軍としてあてにならないまでも、項羽に味方する可能性はない。今は、弱い漢軍のピーク、絶頂期なのだ。
 だから・・・決戦を挑むとしたら、今しかない。
 ただし、どん底の楚軍と絶頂期の漢軍とは、それでも勝負は五分と五分。必勝の保証はない。
 でも・・・決戦を挑むとしたら、今しかない。

 「満ちたるをもって、欠けたるを撃つのか・・・」
 陳平がため息をつきます。

 これを自民と民主に置き換えてみると、
 強い自民の、今はどん底。すいぶん前の総選挙の数字でかろうじて政権を維持している。同盟軍の公明もふらついている。ただし、時を与えれば(たとえば首相が交代してしまえば)すぐに支持率は盛り返す。(安部=>福田のときがそうでした)
 弱い民主の、今はピーク。でも、これ以上の支持率の上乗せや底上げはできそうにない。
 この状態で選挙があれば、民主、ないしは民主を盟主とした野党連合に勝機はある。友軍(他の野党)はあてにならないながら、自民に味方することはない。
 それでも、勝負は五分と五分。勝てるという保証はない。

 こんな状況だからこそ、小沢氏もまた「この機に総選挙を!」と画策しているわけでしょう。タイミングを逃すと勝機は失われます。
 福田氏にすれば・・・いや、自民としては、この「機」をはぐらかして、優位な状態で戦いを始めなければなりません。民主がピークで自民がどん底に陥った今、起死回生の手=つまり首相交代=を、相手の呼吸を外しきったタイミングで打って、支持率がある程度持ち直したところで、いっきに総選挙に持ち込めれば、五分五分ではない(少しでも有利な)戦いを進めることができます。現に、安倍氏が投げ出したあと、福田氏への期待感から支持率は急上昇したという先例があります。
 そのためには、福田人気は下がれば下がるほどよいのです。そして、ごく自然なかたちで麻生氏にスイッチする。密約とか禅譲とかいった匂いは極力排して、「福田氏が急に政権を投げ出し、麻生氏はじめ複数の候補で選挙を行い、麻生氏が引き継いだ」という眺めを演出できればベストなのです。逆に、ずるずると福田政権が続くと、民主は今のピークを維持し続け、自民は(これ以上は支持率は下がらないまでも)再生への勢いが低下して、再生後の優位のレベルを十分に保てない可能性が出てきます。

 さて、はたして麻生氏や福田氏が、あるいは、今の自民の幹部たちが、それほどの策略家かどうかはわかりませんが、もし、福田氏の辞任が「やけになって政権を投げ出した(辞任会見の福田氏の発言は、まるで駄々っこの言い訳で、露骨といっていいほど、そういう印象を与えました)」のではなく「起死回生の手を打つために、意図的に『政権投げ出し』を演出した」のだとしたら・・・・これは、由々しき話になります。投げ出してしまったのではなく、党利を優先して、一時的にでも政治を捨てたわけですから。
 どちらにしても、なんとも寒々しい状況であることには違いないですね。
  

Posted by 冬野由記 at 10:32Comments(2)徒然なるままに

2008年09月04日

国技という呪縛

 いろいろと事件が後を絶たない相撲です。
 ひとつひとつの事件についてあれこれコメントするつもりはないのですが、ちょっと気になっていることがあるのです。
 街角インタビューや識者のコメントで、頻繁に出てくる言葉。

 「国技ですからね・・・・」

 国技・・・。
 相撲協会が、なかば強引に「国技」を名乗ってからずいぶん経ちましたから、なんとなく「相撲は国技」という認識が一般化してしまいました。誰が言い始めたのでもない、国技を名乗り始めたのは、いわば格闘技エンターテイメント=見世物であった相撲興行を、少しでも格式高そうに見せたいという相撲協会でしたよね。相撲興行の常設会場を建てて、「国技館」と命名してしまったとき、他の格闘技からずいぶんとクレームが出てもめたはずです。
 それからおよそ100年、いつのまにか相撲は神聖なもののように思われてしまった。近頃では「相撲道」なんていう言い方まで流行ってます。これも、「国技」という呼称を先取されてしまった柔術や剣術が「道」と言っていたのを借りてきたに過ぎないでしょう。
 国技と言いながら、「道」といいながら、実のところはっきりした理念は示されて来なかった。たとえば「柔よく剛を制す」とか「活人剣」とかいったスローガンに相当するもの、ありましたっけ。名前が先行してますね。「心技体」は抽象的すぎますね。第一、力士よりも組織自体に「心技体」が失われているではありませんか。

 思うに、この「国技」という主張が、相撲界を変な具合に縛り付けているような気がします。

 ・・・・こんなことが起きるはずがない・・・・
 ・・・・このやり方でいいはず・・・・

 伝統的なやり方と、強く魅力的な相撲の追及が、うまくかみ合っていない。

 ここらで「国技」の看板をいったんおろして、相撲という格闘技はどうあるべきなのか、基本をしっかり練り直してから、あらためて「国技」の看板をあげなおしてはどうでしょうか。国技とか道である前に、魅力的で清新な格闘技スポーツとしての相撲を、見つめなおしてはどうでしょうか。とりあえず立派な箱に入れて、格好だけつけてる場合ではないでしょう。
 理念のない金看板は、重たいだけです。
 看板は、中身がそろってからあげるものです。
  
タグ :国技相撲

Posted by 冬野由記 at 21:52Comments(2)徒然なるままに

2008年09月02日

積乱雲

 夕刻の西の晴れ渡っているように見える空に、ぽっかりと風船のように浮かぶ積乱雲。
 あの下は、雨なのだろうか。

 

 空は、まだ夏のふりをしています。
  

Posted by 冬野由記 at 23:40Comments(3)徒然なるままに

2008年09月01日

福田首相辞任!?

 福田首相が突然辞任するという。
 改造内閣はなんだったのでしょう。
 つい先だってのサミット。各国首脳は、じきに辞める人と大事な話をしたということになりませんか?
 辞任の理由はいろいろおっしゃいましたけれど、
 安倍さんに続き、この国は、目の前の困難から逃げ出してしまうような人を、二人続けて、国の舵取りに選んでしまったことになります。
 大切な課題をテーマにした国会も始まろうというのに。
 国民をなんだと思っているのですか。
 何が「職責の区切り」ですか。
 何が「困難を承知で引き受けた」ですか。
 何が「最初から積年の問題が顕在化」ですか。
 何が「忙殺された」ですか。
 何が「着手した」ですか。
 何が「改造を断行」ですか。
 何が「今この時機なら迷惑はかからない」ですか。
 何が「大きな前進のための基礎」ですか。
 決着もつけずに、あなたは逃げ出すのですか。
 野党のせいにして、愚痴をこぼしながら、言い訳しながら、背を見せて逃げ出すのですか。
 あなたがやったのは「決断」ではない。
 無責任。卑怯。
 あんまり腹がたったので、ずいぶんと乱暴な物言いをしますが、
 あなたは、やっぱり卑怯だ。
  

Posted by 冬野由記 at 21:40Comments(4)徒然なるままに