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冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

2009年01月31日

「名曲の楽しみ」と小鳥の歌声

 NHK-FM、吉田秀和の「名曲の楽しみ」を聴いていて気付いたこと。

 吉田秀和氏の語りのむこうに、小鳥たちの歌声がきこえます。
 この番組、吉田氏の語りの部分は、スタジオでなくて、もしかしたら鎌倉のご自宅で収録しているのかしらん。
 そうに違いない。
 そう思うと、なんだか愉しく弾んだ気分になります。
 ぼくは、ラジオ番組を耳で聴きながら、どこかで、あの無機質なスタジオの壁やマイクロフォン、耳にヘッドフォンをかぶせた語り手のすがたを想像していたに違いありません。しかし、今や、ぼくの眼の前には、静かなたたずまいの和室に置かれた椅子にくつろいだ様子で腰かけて語る氏と、背後にみえる庭の様子を眼に浮かべながら聴くことができるのです。

 ラジオだって視聴できるのですね。  

Posted by 冬野由記 at 21:52Comments(0)徒然なるままに

2009年01月31日

「王道」と「royal road」

 今日のラジオ。
 川柳の番組で、「王道」を「楽する道=>ずるい」としてあつかっている投稿があり、選者が
 「本来の意味で使っている。最近は『王道』を立派な道のように扱う例をよく耳にする」
 とおっしゃっていました。

 ちょっと気になったのと、王道という言葉について整理しておきたくなったのでメモのつもりで書いてみます。

 さて、選者が「『王道』という言葉はもともとは楽をしようとすることで、良い意味ではない」とした根拠は

 「学問に王道なし」

 という格言にありますが、この「王道」は、私の感覚では、元になった英語のことわざ

 "There is no royal road to learning."

 から来ていて、その「royal road」の日本語訳として「王道」を当ててしまったというふうに理解しています。
 この場合、「royal road」は、王の特権による困難な道の回避、といったニュアンスがありそうです。

 しかし、私たちが使う「王道」という言葉は、もともとは中国の言葉ですよね。「royal road」とは違います。

 戦国時代、公孫鞅(こうそん おう:秦に仕え功績から商の地を与えられたので、後に商鞅、商君と呼ばれる)が、秦の君主に道を三回説き、三度目に気に入られ秦に仕えることになりました。三度目の会見を終えて、彼はこんなことを言いました。

 ―― 私は、最初に「帝道」を説き、二度目に「王道」を説いたが容れられなかった。最後に「覇道」を説き、これが気に入られた。秦は強国となって天下を制することはできるが、夏・商・周のような王朝には匹敵できないだろう。
 (実際、その通りになりました。秦は始皇帝のときに天下を制しますが、息子の代に崩壊し、孫の代でほろんでしまいます。)

 秦の君主は、天下を得るためにすぐに役立つ具体的な方策を求めているが、長く天下を平和に保つための理念や志は求めなかった、というわけです。公孫鞅は、徹底した法治主義によって、軍事、産業の効率化と君主への権力集中(貴族の権限を奪い、官僚機構による上位下達の実現)を達成し、数代後に秦が天下を制する基礎を築きあげます。

 法治主義は「王道」に反する。
 政治は本来、法ではなく、徳によるべきものである。

 というのが、当時の中国ではむしろ政治の常識だったようです。制度で人々を縛るのではなく、徳のある(この「徳」というのも説明が難しいですが)指導者が人々を教化しながらよい世の中にしてゆくべきだ、というわけです。制度には必ず抜け道があるから、法は、人々に「法にさえ抵触しなければ何をやってもいい」という悪心を起こさせるというのです。しかし、法治主義には即効性があります。国を富ませ、強くするには。徳治主義は時間もかかるし(教育には時間がかかります)、何より君主の修養が求められます。

 「人は法にさえ抵触しなければ何をやってもいいと考える」・・・これに似たことを主張した儒家がいますね。
 人はそもそも悪心を持っている。だから、心を説く前に「礼」によって形を示すのが先だ・・・・という荀子の「性悪論」

 公孫鞅をはじめとして、法治主義をとなえたこの時期の思想家(法家といいます)の先駆者たちが、儒家(徳治主義者といえるでしょう)であるはずの荀子に傾倒していたのは興味深いことです。実際、法家の理論は、荀子の「礼」を「法」に置き換えたもの、と言えなくもないのです。

 話がだいぶずれました。

 さて、ここで気づいたことがあります。

 学問そのものは、王道や帝道によるべきものだと思います。志や理念を欠いた学問は、どこかで行き詰まったり、人を不幸にしたりするかも知れません。
 一方、受験勉強は、覇道にのっとって行うものかもしれません。効率や品質、そして、なによりも具体的な方策によって目の前の目標を達成すること。
 ただし、目標を達成した後・・・つまり進学や就職を果たした後、王道や帝道を支えにできなければ、「何のために苦労してここに来たのか・・・」と、道に迷うことになります。
 いわゆる五月病を回避するためにも、合格通知や内定通知を受け取ったら、あなたの王道・帝道を考えておくのも、大切かも知れません。
 なになに、そんな難しいことではありません。
 何になりたいか、ではなく、どんな男や女になりたいか、そんなあたりを模索してみればいいのです。
 それがあなたの「王道」です。  

Posted by 冬野由記 at 20:36Comments(0)徒然なるままに

2009年01月30日

読み間違い


「無料試食セット」を
「無銭飲食セット」
と読んでしまった。

  

Posted by 冬野由記 at 11:17Comments(3)

2009年01月30日

自由登校・・・されど

 今日は三年生の学年末考査最終日です。
 二月からは、三年生は自由登校、つまり、あとは「送る会」とか「卒業式(卒業証書授与式というのが正式な言い方になるらしい)」とかイベントを除けば、
 ―― 進路が確定した生徒にとっては、社会や進学先に巣立つまでの、「長い」とも言えるし「束の間」とも言える休息、
 ―― 受験が続く生徒にとっては、いささか長めのラストスパート
の期間に入ります。

 私たちからすると、三年生の授業は終わるわけですから、楽になると思いきや・・・・
 春に新入生を迎えるためのいろいろな段取りが本格スタートする時期でもあります。
 それに・・・一応、授業は終わるのですがね・・・おまけを当てた生徒も、中にはあるわけでして・・・自由登校期間に学校に出てこなけりゃならない生徒も気の毒ではありますが、こちらも別枠の授業や試験を準備しなければならないわけでして・・・こんなことにならないように考査前の授業では、かなりしつこく「最後の試験範囲」の対策や復讐、否、復習を繰り返したのに・・・と愚痴ってもしょうがない(君らもね)ので、まあ、無事に卒業できるように「おまけ」くらいは真面目に取り組んで下さい。

 ・・・サービス問題まで用意したのに、それができてないなんて・・・ああ、また愚痴ってしまった。  

Posted by 冬野由記 at 05:28Comments(2)徒然なるままに

2009年01月28日

西太后ともやし

 あの西太后の大好物が、もやしの炒め物だったという話を、むかし聞いたことがあります。
 調理はいたってシンプルなもので、もやしのひげを丁寧に取り除き、切りそろえたものを油で炒め、塩と少々の酢で味付けただけのものだそうです。(もっとも材料は厳選されたものでしょうし、「切りそろえる」というあたり、捨てる部分も少なくないでしょうから、シンプルといっても質素とは言えないでしょうね)
 彼女は、贅沢で重厚な料理を食す機会も多かったでしょうから、そんな中で、こういうシンプルな料理が欲しくなったのかも知れませんし、もしかしたら、美容のためにこの料理を好んだのかも知れません。たしかに、ダイエットには最適の料理ですし、後宮の女性たちが美しくなるため(というよりも、皇帝の目にとまり、お手がついた後は飽きられないため)に費やす努力はすさまじいものがあったでしょうから。

 シンプルであって贅沢というと、これもずいぶん昔、たぶんTV番組で紹介されていたのですが、江戸時代の豪商の「お茶漬け」というのがありました。
 越後米に紀州梅、お茶は宇治・・・といった感じでした。
 もっとも、この話にはちょっと違和感がありました。あちこちの土地の産物を寄せ集めるよりも、その土地の産物をうまく調和させたほうが、ほんとうは美味しいのじゃないかしらん・・・と、そんなひねた感想を持ったことを覚えています。

 シンプルな料理というと、私がときどき作る野菜料理があります。

 ひとつは、大根の油炒めです。
 少しおおぶりなサイコロ状に角切りした大根を、少量の油でじっくり炒めるというものです。味付けは、仕上げに醤油を少し降るだけ。塩もその他の調味料も一切使いません。大根の表面に少し焦げ目がつくくらい、しっかり炒めてやります。すると、大根自体がもっているほのかな甘みがにじみ出てきます。なかなかいけますよ。

 もうひとつは、じゃがいもの油炒め。
 細く千切りにしたじゃがいもを、少し多めの油でさっと炒めます。火加減は少し強め。手早くやるのがコツです。火が通ったら、塩と酢を振ってやります。酢はお好みですが、やや多めがぼくの好みです。炒めすぎないように。ほどよく火が通れば、シャキシャキした食感に仕上がります。

 なんだか、西太后ともやしから始めた話なのに、思いつくまま書いていたら、シンプルな野菜料理の話で落ち着きそうです。
 あ・・・そういえば、我が家の晩御飯、今夜は「もやしの油炒め」だった。
 なんで書き起こしに「西太后」を思いついたのか、謎が解けました。
 そうか・・・もやしかあ。  

Posted by 冬野由記 at 20:57Comments(2)徒然なるままに

2009年01月27日

「夏への扉」と小型衛星

 TVで、先ごろ打ち上げられた小型衛星の話をやっていました。
 ティーンエイジャーたちがつくりあげた3kgの衛星も町工場の技術者の仕事もすばらしい。
 中で、なるほどと思ったのは、東大の衛星。
 使われた部品はすべて市販品。アンテナに至っては巻尺。
 そういった工夫で、一般的な衛星の開発費の100分の一でできあがったのだそうです。

 ふと思い出したのは、ハインラインの「夏への扉」
 物語の若い主人公は、あることに着目して友人と事業を起こし、大成功をおさめるのです。
 その、あることとは、
 「市販の安価な電化製品のパーツでも、組み合わせを工夫すれば高度な先端技術品を低コストでつくることができる。何も、特殊な最先端の部品を開発することはない」
 ということでした。

 物語では、主人公は、ずばぬけた技術と発想でそれを実現して、恋人と友人の3人で事業を起こすのですが・・・・裏切られて会社を乗っ取られるのです。そこから、冷凍睡眠やらタイムマシンやら、奇想天外な冒険を経て、ほんとうの伴侶となるべき女性(従妹なんですけどね)にたどりつくまでの、爽やかでスピード感あふれる、実に愉しいSFです。
 面白いのは、彼が起こした会社は、未来では大会社に成長していて、過去からやってきた「伝説的創業者」である彼は、もちまえの技術力を発揮して技術者として雇用されるというあたり、いかにもハインラインです。

 話がハインラインに傾きそうなので、ちょっと戻しますが・・・・
 つまり、「技術力」とは何か、ということです。
 最先端の、高度な製品を開発するのも、たしかに技術ですけれど、こういう創意や工夫もまた技術ですよね。
 とても素晴らしい技術です。

 それにしても、巻尺のアンテナというのは、すばらしい!  

Posted by 冬野由記 at 20:09Comments(0)徒然なるままに

2009年01月25日

二次試験へ (+キリ番ご報告)

 今宵、アクセス累積100000を通過いたしました。
 2006年10月から始めて、2年と3ヶ月。
 ご訪問いただいた皆様、ありがとうございます。

 キリ番ですが、例によって、踏まれた方は気付かずにお帰りになったようです。
 調べたところ、本日、25日の20:40頃にいらっしゃった方が99999、ならびに100000人目のお客様ということになるのですが、どなたかお心当たりはございませんか?
 ご申告がなければ、これまた例によって、「足あと」を頼りに、ニアピン賞を決定させていただきますね。

 さて、ここから日記。

 本日は、センター試験結果を受けて、志願先と二次試験の作戦を打ち合わせ。
 まずは
 「がんばったね」
 です。ほんとうに、がんばりましたね。
 というのも、センター試験の結果から、志望大学のうちひとつは、このままセンター試験での判定(つまり、センター試験結果で判定してもらうので、もう二次試験はなし)で合格しそうなので、ほぼ当確・・・って選挙じゃありませんね。当確を得たということは、成果があったのですから。
 ・・・もっとも、あくまで「ほぼ」ですから、悩ましいのは、さらに安全を確保するために「同じ大学に二次試験の志願をするかどうか」です。

 お金が湯水の如く湧いてくるのなら、それが安全にちがいないのですがね。そうもいかない。
 それに、昨今の経済状況からすると、どのおうちも「できれば国公立に・・・」ですよね。
 そして、何よりも、本人にしてみれば、第一希望というか、よりハードルの高い志願先にも、しっかり、悔いのないように挑戦しておきたい。こっちのほうが大事かな。

 最終的な決定は、もう二三日かけることになりますが、
 ・ほぼ当確の私立はセンター判定で志願。(「当確」とみなす。ということですね)
 ・第一志望の国公立は、センター判定(「前期受験」という言い方になります)と二次試験受験(「中期受験」という言い方)の両方に志願しておく。(こちらは、挑戦するということになります)
 ということになりそうです。

 ね? ややこしいでしょう。
 私たちのころ(ってもう30年も前ですけど)に比べて、推薦、AO、センター試験後「前期」(二次試験なし)、「中期」「後期」(二次試験受験)とまあ、よりどりみどり。同じ大学の受験機会が3回も4回もある上に、いったんセンター試験という形で受験結果としての「合格可能性」まで出てしまうわけですから、選択肢や可能性の幅が多すぎるくらいです。
 たとえば、同じ大学に、推薦で挑戦して、センター試験受けて、前期で志願しておいて、中期の二次試験も受けて・・・・とか、やろうと思えばできてしまうのです。それだけ希望があるとも言えますが、希望と期待を小出しにされながら
 「まだチャンスはあるよ。まだまだあるよ。どうする?どうする?」
 と最後まで引っ張られるとも言えます。(溜息・・・)

 センターは成功とみなして、もう2か月ほど、粘り腰でいきましょうね。
 というわけで、二次試験に向けて「宿題」を出してきたのでした。

 2か月ですから。長い人生のほんのひとときだから。
 今日は言ってしまおう(あまり好きなセリフではないのですが)

 「がんばって」  

Posted by 冬野由記 at 23:21Comments(0)徒然なるままに

2009年01月25日

 昨日は、仕事(美術部の指導)がてら、友人とも会うことができて、時を忘れていろいろなことを語り合うことができました。
 ほんとうに、いろいろなことを。
 それで、ついつい帰宅が遅くなって、キリ番予告の記事だけで済まして寝てしまったのでした。

 いろいろなことを、気がついたら6時間ほども、紅茶とすこしばかりのお菓子だけで語り合っていました。
 学校のこともですが、美術や文芸や・・・人生のことなんかも。
 そんななかで、久しぶりに宮澤賢治のことをずいぶんと話しました。
 語り合いながら、涙ぐんでくる。
 だめなんですな。賢治のこととなると、ぼくはずいぶんと涙もろくなるのです。(詩集を携えていたのもまずかったか)
 友人の声もちょっと潤んでいたかな・・・そう思うことにしよう。

 とにかく、存外、身近な所に、こんな素敵な語らいのパートナーが居て、めぐりあい、みつけることができたことは、わたしにとって幸福な事件でありました。

 この年になっても、新しい友が、こうやって人生にあらたな時を刻んでくれる。
 つらいことや悲しいことも少なくないけれど、
 人生は、人生を続けてゆくことは、やはりすばらしい。

 かけがえのない友たち。
 ありがとう。そして、これからもよろしく。  

Posted by 冬野由記 at 10:50Comments(2)徒然なるままに

2009年01月24日

もうじきキリ番99999+?

 今日は美術部の指導で学校へ、明日は進学指導。
 なんだかひどく忙しいようだけれど、
 今日は、大切な友人とも存分に語りあうことができましたし、
 どこか心愉しい忙しさではあります。

 さて、

 ただいま、アクセスカウンタ 99800 です。
 99999が、いつのまにか近づいています。
 今回は、99999と100000のダブル記念になります。

 左のサイドバーにも書いてあるとおり、99999と100000を踏んだ方、
 つまり、このブログを開いたときに、アクセスカウンタが99999か100000だった方、
 それと、念のため、その前後だった方、

 ぜひ、コメントか「オーナーへメッセージ」で、ご申告をお願いいたします。
 私にも記念になりますので、ささやかな記念の品を贈らせて下さい。  
タグ :キリ番

Posted by 冬野由記 at 23:23Comments(2)徒然なるままに

2009年01月22日

音楽と色

 音楽を聴きながら色彩を感じるのは、子供のころからの癖みたいなものです。
 今日は、そんな色を、思いつくまま、感じるまま、並べてみたいと思ったのです。

 いろいろな曲を聴くと、なんということなく、頭・・・というより、心の中に一面の色彩をまず感じて、ときには、そこに少し色彩の移ろいや、場合によっては何かのイメージが重なることもありますが、基本的には、一面に広がる色を感じるのです。

 ブルックナーのシンフォニーは、どれもとてもよく似た始まり方をしますけれど

  ・・・トレモロや細かなリズムを伴う弱音の和音で始まりますね。「ブルックナー開始」なんていう言い方をされるようですが、この点については、おりがあれば書いてみたいと思います。今回は色の話です。・・・

 たとえば、7番は深い青緑・・・正確に言うと藍色と碧を混ぜたような深くて透明な色・・・4番は、もう少し明るい、むしろ黄緑を思わせる色、5番は深い藍色、9番は深い、ほんとうに深い青みがかった紫・・・ただ、ほとんど黒に近い青紫といった具合です。ブルックナーは青や緑系統が多いですが、8番は異色で(ほんとうに異なる色)暗い赤・・・というか朱色を感じます。そういえば、5場は深い藍色ですが、ときおり赤いきらめきが明滅します。ちょっと不思議な感じ。

 ブラームスはどうかな。
 1番は・・・暗い青。2番は明るい青緑・・・やや緑が勝っています。3番は暗いけれど、赤系統を感じます。でも、ただ真赤や朱色に染められているのとは違います。いやいや・・・本体が赤いのではなさそうです。少し汚れた感じの暗い赤をときおり見せる暗い影をもった緑。ちょうど深い緑の木々を夕暮れの赤い逆逆光ごしに見た感じかな・・・そうそう、ここまで書いているのは基本的に第一楽章の冒頭あたりや全体的な印象をイメージしています。音楽は進行とともに色合いも変えるし、色彩の明滅や変化が激しくなることもありますからね。4番はやや赤を含んだ黄色。たとえばゴッホの黄色もほんの少し赤系統を含んでますよね。ああいう黄色です。でも、たとえば行進曲風の第三楽章は、ずっと「赤」に近づきます。

 ベートーベン。3番は赤ですね。朱というべきかしらん。そういえばブルックナーの8番も赤だったけれど、どちらもフラット三つ(変ホ長調・ハ短調)ですね。色は調性と関係あるのかしらん。9番は・・・ああ、これも青紫。ニ短調ですね。いやいや、でも、フランクの交響曲は赤紫。同じニ短調でもベートーベンやブルックナーとはずいぶん色が違います。どうやら調性と色は単純には合致しないようですね。

 まあ、とりとめのない、ごく感覚的なものでして、他の人はまったく違う色彩を感じるのでしょう。
 皆さんは、どんな色を感じますか?
 あるいは、色とは違う何かを。  

Posted by 冬野由記 at 22:23Comments(0)音楽

2009年01月18日

センター試験終了

 大学入試センター試験が終わりました。
 受験生の皆様、お疲れ様でした!

 午後、試験を終えた生徒と、仮自己採点をしながら、最終志願先の目途と作戦のミーティング・・・といいつつ半分は歓談とお昼ごはんでしたが・・・

 明日からの一週間は、自己採点結果による志望先の合否判定を参考にしながら、最終的な志望先や受験方法の決定(私たちの頃より、いろいろとシステムが複雑になっているのです。何かのCMではありませんが『選択肢が多いとなかなか決められない』のですよね)を行うことになります。
 各大学での二次試験もひかえているし、長い人は3月下旬まで気を抜けませんが、なにはともあれ、最初のマイルストーン通過です。

 今夜は、ぐっすりとおやすみください。
 いい夢を。  

Posted by 冬野由記 at 19:22Comments(0)徒然なるままに

2009年01月17日

センター試験1日目終了

 センター試験、一日目が終了。
 センター試験と言うと、お天気が荒れることが少なくないのですが、今年は穏やかに行われたようです。
 おてんとうさまも、今年は優しくしてくれたようですね。

 ―― うまくゆかないところもあったけど、がんばりました!

 と、メールが届きました。
 その意気その意気。もう一日、元気でやりぬいてくださいね。

 で、明日の午後は、試験を終えた生徒と、答え合わせ・自己採点と今後の戦略をいっしょに練ります。
 センター試験終了は、春に向けてのラスト・スパートの合図です。  

Posted by 冬野由記 at 20:40Comments(0)徒然なるままに

2009年01月16日

いよいよ明日はセンター試験

 いよいよ明日はセンター試験。
 これまで積み重ねてきたことは、プラスにしか作用しません。
 身につけた力が減るはずがない。
 ですから、向上していないはずはないのです。
 自分を信じて、明日はのびのびと受けてきてください。

 ああ、今宵も降るような星空です。
 みなさん、今夜は、ぐっすり眠って、あすは気持ちよく目覚めましょう。

 このブログ、誰か、読んでいるかな・・・  

Posted by 冬野由記 at 21:33Comments(2)徒然なるままに

2009年01月15日

「破軍の星」

 さて、「本」カテゴリで最初に採りあげることになったのは(この書き方は微妙ですね。自然にそうなったということです)、北方謙三の「破軍の星」です。意外でしたか?

 北方謙三というと、もともとはハードボイルド作家として有名ですが、実のところ、私は彼のハードボイルドものを読んだことがありません。というか、そもそも、私は長い間、ハードボイルド小説という分野は、国内の作家のものも海外のものも読んでいないのです。

 昔・・・中学生のころ、ハードボイルドとよばれるジャンルの小説を読みふけったことがありました。大藪春彦あたり、かなり熱心な読者だった時期があります。ただ、その期間は短かったですね。中学3年のころには、古巣だったSFや推理小説のほうに移っていました。なぜか・・・一時期、別世界のヒーローたちに憧れたということでしょうか。あるいは、他の小説では出会えないようなバイオレンスな雰囲気とかに少しおぼれてみたということでしょうか。このあたり、自分の嗜好の一時的変化というのは、なかなか自分で分析するのは難しいですね。ただ、離れていった理由はなんとなくわかるような気がします。
 「別世界のヒーロー」と書きました。人物も、その世界もリアルのようで自分からはずいぶんと遠い。すくなくとも、ハードボイルドというジャンルやスタイルが、自分にとってはリアリティを感じられなくなってきたのだと思います。じゃあミステリやSFにはリアリティを感じるのかって?・・・がんがん感じるのですよ。困ったことに・・・。登場人物も、そこで描かれる想念も、ハードボイルドよりずっと自分の近くに感じる・・・。
 誤解しないでいただきたいのは、これはジャンルに対する批判ではなくて、あくまで、私とそれらの小説群の相性みたいなものだということです。ハードボイルド小説だってすばらしいジャンルだと思いますよ。そのことは、後に、この北方謙三の時代小説でぞんぶんにわかりましたから。先回りして書きますけれど、北方謙三の時代小説は、江戸時代を舞台にとったハードボイルド小説そのものです。そして、私には、こういう物語や人物群は、現代を舞台にして描かれるよりも時代小説や歴史小説という舞台のほうが、リアリティを感じる・・・つまり、活き活きと感じられるということなんです。

 さて「破軍の星」です。
 この本を手に取ったのは、書店の文庫本コーナーに(私は蔵書家ではないので、たいていは文庫本を漁ります)とても涼やかな眼差しをした烏帽子姿の青年の姿をみかけたからでした。それが、この物語の主人公、北畠顕家でした。北畠顕家を主人公にした歴史小説という珍しさに加えて、それがハードボイルド作家という認識しかなかった北方謙三の作品だったので、ついつい手に取ったのでした。

 北畠顕家という人物についてちょっとだけ触れておきます。
 南北朝時代の公家方の重要人物のひとり。北畠親房といえば日本史で習ったのを覚えておいでの方もあるでしょうか。顕家は、その親房の息子で、学芸に秀でた神童「麒麟児」と呼ばれました。16歳で後醍醐天皇の戦略における北方の要として義良親王を奉じて陸奥(東北)に着任。17歳で鎮守府将軍となり、公家でありながら武士団を統率して北条(鎌倉)幕府の残党を掃討し、足利尊氏側の武士たちを牽制しつつ奥羽を平定します。足利尊氏が後醍醐天皇による建武の新政と敵対する立場を明らかにするや、配下の武士団をひきつれて上京し、足利尊氏率いる武士団を圧倒的な強さで二度にわたり撃破。結果、尊氏は自刃しようとしたほどです。尊氏が九州に逃れてから、いったん乱れ始めた陸奥に戻り、ふたたび陸奥平定をすすめますが、尊氏が九州から東上すると、ふたたび奥州軍を率いて西へ。これを阻もうとする足利方の関東武士団を圧倒して鎌倉を攻略、美濃(岐阜県)までいっきに攻め登りますが、ついに兵力の疲弊もあって(というより足利側の兵力が圧倒的)京攻略ははたせず、伊勢(北畠親房の拠点)に転戦。後、関西各地で足利軍といくどか戦いましたが、ついに戦死します。尊氏がもっとも恐れた男。享年21。(21ですよ。・・・そういえば、つい先日が成人式ではありませんか。)

 都では麒麟児と呼ばれ、十代半ばで広大な奥州の平定と経営をはたし、足利尊氏のもとに結集した大武士団を圧倒する強ささえ見せた希代のヒーローの、21歳で戦場に散るまでの、時代を駆け抜けたたった5年の青春・・・。
 と、こういう書き方をすると、おわかりでしょう。これは、歴史小説であるとともに、ハードボイルド小説でもあるんですね。
 ただ、私がこの作品にほれ込んでしまったのは、そのハードボイルドぶりにではなく、この主人公、北畠顕家のなんとも清々しいたたずまいにあります。北方謙三には、南北朝を舞台にした歴史小説がほかにもありますけれど、この顕家像が放つ香りには、きわだって鮮やかなものがあります。凛として涼やかな、なんと清(すが)しい若者であることか。

 顕家は公家方の領袖として、それこそ全力を尽くして後醍醐天皇の側に立って足利軍と戦います。しかし、彼は、奥州の不思議な一族と出会い、かれらの夢に触れ、やがて、彼自身もおのれが信ずるに足る国造りの夢へと導かれます。そして、その夢を担う資格をみずからに問うための最後の戦いで、ついに命尽きるのです。顕家の夢も、北の民の夢も、ついえます。・・・そうそう、この「北の民の夢」というのも、私を惹きつけた要素の一つかな。

 少しテクニカルな話をします。
 この「破軍の星」には、歴史小説ということもあって、虚実とりまぜてじつにさまざまな人物が登場します。しかし、どのキャラも実にすっきりと立っていて、読んでいて「ええっ・・と、この人物はたしか・・・」という具合にごっちゃになるということがない。スピード感も常に維持されていて、淀むことなく、ぐいぐいと先に読み進むことができます。爽快な風がいつも吹いている感じ。こういうことも、けっこう大事なポイントですね。この点でも、北方の他の南北朝ものと比べて際立ってスマートにできています。

 さて、北畠顕家は、後醍醐天皇体制のために戦ったのですが、最後の戦いの前に、後醍醐帝にあてて、新政の失敗をいさめて政治の刷新を促す奏上文(「顕家諫奏」と呼ばれます)を送っています。かなり辛辣に政治の腐敗や奢侈と偏向をいさめて、公平と民の疲弊を軽減する政策を具体的に提言した内容になっているのです。

 北畠顕家。

 こういう男が、いや、こういう若者がいたのか・・・と、この小説は、私にとって、北畠顕家という人物と出会うことができた、そういう作品でもあるのです。

 ちなみに、「破軍の星」というのは、北斗七星の柄の先の部分にあたる星のことで、この星を背にして戦えば勝てるが、この星に向かって戦えば負ける、と伝えられているのだそうです。

 ところで、北方謙三には、「日向景一郎シリーズ」という、江戸時代を舞台にした剣豪?時代小説のシリーズもあります。これは、ほんとうに江戸時代のまぎれもないハードボイルドです。面白い。やっぱりハードボイルドは・・・時代小説に限る・・・なんて言ったら、まともなハードボイルド・ファンには怒られるだろうなあ。

P.S.

 そうそう、北畠顕家は「風林火山」の旗をかかげました。「風林火山」の本家は信玄ではなく、顕家なのでした。  

Posted by 冬野由記 at 22:50Comments(3)

2009年01月14日

いつのまにか500

 今日になって気づいたのですが、
 この記事が503本目の記事。
 つまり、先日の「生誕51周年」の記事が、偶然か、ちょうど500本目の記事だったようです。

 記事数500が多いか、少ないか・・・・難しいところです。
 ブログということなら、少ないほうかしらん。
 2年半で500、つまり365×2.5≒912。912÷500≒1.8。
 平均して、2日に1回程度はエントリしているわけですね。まあまあかな。日記としてはまずまず合格と言ったところでしょうか。
 とにもかくにも、いつのまにか500の文章を、このブログに書き綴ってきたわけです。とにかく続けて、まずは次の500まで。

 ところで、ふと気づいたのです。
 これまで、本の感想というものを記事にしたことがなかったようです。
 読書感想とか、本の紹介というのは、文章の基本といっていいんですけど・・・
 なぜ、いままで書くことを思いつかなかったのだろう・・・

 というわけで、カテゴリに「本」というのを追加しようかな、と。
 さて、次回あたり、最初に採りあげる本は、何にしようかしらん。  

Posted by 冬野由記 at 22:41Comments(0)徒然なるままに

2009年01月12日

成人の日によせて

 私は、じつのところ、いまだに大人になったという実感がありません。
 つい先日、生まれてから半世紀を越えたという記事を掲載したばかりですが・・・

 人はいつから「おとな」なんでしょうね。
 話がずれるようですが、こんなことを言った友人があります。

 あるブラームスの演奏が、ある批評家に「女々しい」と酷評されていたのに対して、彼はこう言ったのでした。

 「『女々しい』というのは男に対する悪口だ。女に『女々しい』なんて言わない。だから、このブラームス(の演奏)は、まぎれもない男だよ。このブラームスは『女々しい』からこそ、すばらしいブラームスなんだ」

 だとすると、子供みたい・・・なんて言われるようになったら大人なのかもしれませんね。
 いや、むしろこうでしょうか。自分をかえりみて「まだまだ自分は『子供』だな」と心から思えるようなら、それはもしかしたら「おとな」になった証しかもしれません。
 ま、これはなかば冗談ですが・・・

 さて、日本では、二十歳(はたち)になると、社会システム上、さまざまな社会的責任を負わされることになります。「おとな」なるものに、なれたかどうかはともかくとして、社会システム上では「行動に責任をとる」ことを求められるわけです。「おとな扱い」ですね。突然ではありませんよ。ほんとうは、社会システムは徐々に準備を重ねて自覚をうながしてきたはずです。

 ところで、ぼくは、先にも書いたとおり、いまだに「おとな」になったという確たる実感を持てずにいます。でも、ほんの少し、子供ではないという何かを感じるときがあるとすれば、それは誰かのために何かをがんばっていると、確からしく思えるときです。もっとも、それ以上に、ぼくは多くの人からより多くの恩恵を受けて生きているので、勘定はまったく合いません。「おとな係数」から「こども係数」を引くと、現状はまだマイナスなのであります。

 誰かのために・・・言い方を変えると、人は、自分以外の誰かの人生を、ほんの一部でも負うとき「おとな」になる、あるいは、おとなにならざるを得ないのだ、とも言えます。
 もし、あなたが、誰かの人生を負っていると、あるいは、負う覚悟があるというなら、あなたはすでに「おとな」になっているかもしれません。たとえ、あなたが二十歳前でも、たとえば、15歳でも。

 社会システムにおいて、二十歳になると負わされるものに、保険や年金などの負担があります。意図しなくても、システム上は「誰かの人生」の一部に貢献するように設定されているわけです。でも、こういうシステムに強制されなくても、誰かのために、誰かの人生の一部でも背負うようになったら、それが「おとな」だということなのかもしれませんね。加えて、それが「仕方なく」ではなく、歓びになるようなら、立派な「おとな」と言えるかもしれません。

 さて、今日は「成人の日」です。
 それにしても、なぜ「おとなになる」ことを「成人」・・・「人に成る」というのでしょうね。
 新成人の皆様、なぜだと思われますか?
 いまだに、ぼくは、その答えをもっていないのです。  
タグ :成人の日

Posted by 冬野由記 at 20:37Comments(0)徒然なるままに

2009年01月10日

アンダンテ(Andante)

 本日とりあげるのは「Andante」です。
 速度表記としては「歩く速さで」ということになります。

 歩く・・・

 一口に歩くと言っても、人によって歩く速さはだいぶちがいます。いや、人によるだけではありませんね、何か用事があって歩くのと散歩では違います。気分によっても違いますね。弾んだ気分、沈んだ気分、考えことをしながら・・・、ひとりで、恋人と、友人と・・・。そうそう、結婚行進曲と葬送行進曲では速さが同じはずはありません。

 ベートーベンは田園交響曲で「田舎に着いた時の弾んだ気分」と記した冒頭楽章には「Allegro ma non troppo」、「小川のほとり」と記した第2楽章には「Andante molto mosso」、最終楽章「牧人の歌。嵐の後の喜ばしく感謝に満ちた気分」を「Allegretto」と使い分けています。ここでは「小川のほとりを散策する」のが「Andante」ですね。

 速さ、と書きましたが、こと「Andante」に関しては、速さというよりも「足取り」と言うべきでしょうか。軽い足取り、重たい足取り、そんな言い方のほうがふさわしい。

 「Andante」というと、私が少年のころ、印象的な「Andante」に出会いました。
 モーツアルトの、あの有名なト短調交響曲K550。第2楽章はまさしく「Andante」。
 この曲は、ふつうに歩く感じではなく、6/8拍子のリズム(8分音符、つまり1小節6回)が執拗に継続し、加えて細かい音符や付点リズムが繰り返されて、足取りが分かりにくい・・・というか不安定な面があります。実際、たいていの演奏が、やや重ための足取りをしっかりと聴かせ、付点リズムが落ち着かない感情の移ろいを感じさせ、どこか不安な情景を現出させるのです。
 ところが、ブルノ・ヴァルターの演奏では、速めのテンポとレガート奏法によって、この重たく厳しいリズム・・・足取りを、むしろ流麗で実に優しい表情を持った穏やかな歩みとして聴かせてくれるのです。ヴァルターは、戦前30年代の欧州、40年代から50年代にかけての米国、ステージ引退後の西海岸時代と、その演奏スタイルを大きく変えた人でしたが、このト短調交響曲の第2楽章は、一貫して、この速めで流麗な演奏を保っています。あくまで柔らかなやさしさを失わない「アンダンテ」。ヴァルターにとって、この曲がかくあることは、よほど大事なことだったのかも知れません。
 思春期にこの演奏に感銘を受けてしまった私にとって、ト短調交響曲のアンダンテは、いまだにこのヴァルターのテンポでないと満足がゆかないのです。

 さて「アンダンテ」というと、私たちは20年ほど前に「アンダンテ」に関する大きなニュースに出会いました。
 チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の終楽章。
 自筆稿の研究の結果、最終楽章の発想記号は元は「アンダンテ・ラメントーソ」と書かれており、そのアンダンテがペンで塗り潰されて「アダージョ」と書き換えられていたことが判明したのです。筆跡を調べた結果「アンダンテ」は作曲者チャイコフスキーの手によるもの、「アダージョ」と書き換えた筆跡はチャイコフスキーのものではなく、彼の死後、この曲を再演した指揮者ナープラヴニークのもの。

 それまで通用していた最終楽章にはこう書かれています。
 「Finale. Adagio lamentoso」(最終楽章。ゆっくりと悲しげに)

 しかし、自筆譜ではこうだというのです。
 「Finale. Andante lamentoso」(最終楽章。歩く速さで悲しげに)

 そして、この自筆譜による演奏、というCDがロシアから発売されました。
 私は早速、それを買い求めて聴いてみたのですが・・・あれ?
 極論を言うと、従来の演奏たちと何も変わらない、という印象を持ったのです。ちょっとがっかりしました。
 私は思うのですが、アダージョであれアンダンテであれ、従来から優れた演奏者たちは、この曲想にもっとも相応しい速さをそれぞれの美意識の上で選び取っていたのでしょう。むしろ、この「アンダンテ」の発見は、この曲にとって速さ以上に「足取り」が重要であるということを指しているように思えてなりません。悲しげな足取り・・・
 それにしても、すぐれた指揮者たちの感性と判断にはあらためて感服します。

 前述のとおり、ヴァルターにとってト短調交響曲の「アンダンテ」は決して重い足取りではない。もし彼が「アダージョ」と書かれた譜面にあたれば、彼は、彼と作品にとっての「アダージョ」を彼なりに探り出すことでしょう。「速度記号」と呼ばれているさまざまな「言葉」は、決してメトロノーム記号などで範囲を決められるほど記号化された標(しるし)ではないのです。

 同じ曲でも、速い人、遅い人、いろいろな人がいます。曲の中でも、速い楽章をより速く、遅い楽章をより遅く演奏する人もいれば、逆にゆったりしたアレグロ楽章と速めの緩情楽章を聴かせる人もいます。
 何かで、吉田秀和氏がこんなことを言っていました。

 「『遅い』ということが問題ではなくて、その遅さによって何が聴こえてくるか、何を聴かせてくれるかが大事」

 速いとか遅いとか、よく演奏をテンポ設定ではかる人がいます。でも、遅いなら遅いこと、速いなら速いことには、それぞれの演奏にとっての必然をはらんでいるはずです。すぐれた演奏であれば、演奏上のあらゆる設定には必然があります。遅いから聴こえてくる何か、速いから聴こえてくる何か、そんな演奏者が発見したさまざまな「必然」を、できるだけたくさん聴きとることのできるような聴き手でありたいものだと、あたりまえのようなことですが、そんなことをあらためて感じさせてくれた出来事でもありました。
 「アンダンテ」を消して「アダージョ」と書きなおしたナープラヴニークの必然に思いをめぐらしてみるのも悪くはないかも知れませんね。

 モーツアルトやチャイコフスキーの「アンダンテ」から、そして、そのさまざまな演奏から、私たちはどれだけの必然を聴きだすことができるでしょうか。  

Posted by 冬野由記 at 21:27Comments(0)音楽

2009年01月08日

生誕51周年

 ついに生まれてから半世紀を越えました。
 もう半世紀、生きてみようかな。

 さて、昨年のクリスマス頃、クリスマス会をしたおりに、参加した生徒のひとりがたまたま同じ誕生日(1月8日)だったので、冬休み明けの8日に誕生会をやろうということになりました。というわけで、本日、学校の施設を使って数名の生徒と、向かいの席と隣の席の先生と、6人ほどでささやかな誕生会を行いました。
 ささやかな幸せが、こんな具合にめぐってくる一年になればありがたいと、そんな気分で後期後半(昔なら第三学期)が始まりました。

 天の定めるところではありますが、
 もう半世紀生きてみよーっと。  
タグ :誕生日

Posted by 冬野由記 at 21:26Comments(8)徒然なるままに

2009年01月08日

数学の先生(講師)を探しています

 ブログの場をお借りして、募集のお手伝いをさせていただきます。

 ある高校で、数学の先生をやっていただける方を探しています。
 勤務は茨城県の高校になります。
 高校数学の教員免許をお持ちの方で、ご興味のある方は、サイドバーの「オーナーへメッセージ」でご連絡下さい。
 詳しいこと、連絡先など折り返しご連絡差し上げます。

冬野
  

Posted by 冬野由記 at 11:30Comments(0)徒然なるままに

2009年01月06日

トンデモ検定

 先日、友人と雑談していたときのこと、裁判員制度や選挙権年齢引き下げの論議などが話題になりました。
 18歳で選挙権なんて、絶対ダメですよ、そんな判断力なんてあるわけない・・・と、その18歳になったばかりの友人が言うのです。

 そうそう、ある日を境に、私は「君をこれからは友人として扱う」と宣言したのです。その、ごく若い友人は、大人になる準備段階にあることに慄きながら「自ら責任を負う」ことについて真剣に考え、自分に向き合っていたからです。数か月の間に、その風貌も姿勢も、何よりもまなざしにたたえられた光がなんと深くなったことか。
 たとえば、責任についてこんな言い方をします。
 「自分でやったことの責任を取らなくて済むということは、社会において『責任をとる権利がない』ということでしょう。未成年の言動が何かを引き起こしたとしても、自身がその結果を引き受けることは許されていないんです。(社会的には)親に引き受けさせてしまうことになるんです。引き受けたいと思っても、その力も、資格もないんです。未成年であるということ、そして成人・社会人であるということがどういうことか、もっと考えなきゃいけないんです」
 このあとに続く議論について、今回は、ここで詳しく述べることはしませんけれど、私は「友人として」付き合うことに決めたのです。

 さて、話を戻しましょう。選挙権の話に続いて、裁判員制度についても、若い友人は反対だと言います。「裁き」という責任を引き受けることは、未成年どころか、「私たち日本の市民」には難しい、と言います。もし自分が覚えのない犯罪で被告席に立たされたとき、この制度を受け入れられるだろうか・・・。

 そこで「ここから先は冗談として聞いてほしんだけどね・・・」と前置きして
 (皆さんも「冗談だ」という前提で読んで下さいね)

 最近はなんでも「検定」が大流行(おおはやり)でしょ。
 だからさ、たとえば「選挙人検定」とかやったらいいんじゃない。3級合格しないと国政選挙に投票できないとか、2級もらわないと議員に立候補できないとか・・・政府がじかに検定をやったら何かと批判受けるから、認証された民間機関が検定を実施するということで・・・・逆に、2級とったら中学生でも立候補できるんだ・・・・
 そうそう、いっそ「成人検定」なんかどう? 3級取れたら14歳でも結婚できる、とれなきゃ何でも「保護者の承認が必要」・・・20歳過ぎたら保護者じゃなくて後見人かな・・・いい年したおっさんが、何をするにも後ろに別のおっさんが付いてきて、それを見ていた検定受かった若者が「あのオッサン、いい年してまだ『未成年』なんだ!」なーんてね。

 ふたりで大笑いした後、友人がぽろりと、こんなことを言いました。
 「その提案したら、たぶん、私の同世代(ハイティーン)の多くが『それ、いいんじゃない』って賛成しますよ」
 「ふうん。なんで?」
 「何でも数値化して合否判定できるって考える傾向がありますから。そうやって誰かに判定してもらうほうが楽ですから」

 誰かに判定してもらう、つまり、こういう検定というのは、自分の見識レベルについての責任を回避できる仕組みだとも言えるのかも知れません。そのことを指摘したのでしょう。この若い友人の言う「権利」とか「責任」の指すものの向こうに「自律」という言葉が垣間見えます。

 ・・・・でも、(成人とか選挙権とかって)そういうもの(検定で認定されるようなもの)じゃないんですよね。
    それじゃ(検定で誰かに判定してもらったりしては)だめなんですよね。・・・・

 真顔に戻った友人の目がそう言っているように思えました。

 ・・・・君になら選挙権をあげてもいいかも知れないな・・・・

 あと3か月で彼女は卒業し、大学に進みます。
 自ら責任を負えるようになるための、自律のための修行をしに行ってくるのだと言います。
 教育者を目指す18歳の彼女は、私の大切な友人であります。  

Posted by 冬野由記 at 23:26Comments(5)徒然なるままに