さぽろぐ

日記・一般  |その他の都道府県・海外

ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 2人
プロフィール
冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  
Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2010年01月31日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その14)

《サムソン その14》


 お前は、ペリシテ人(びと)であり友である私に恥じる行いはしていないか?

 問いにサムソンは答えない。ただ、親友の顔を睨みつけた。
「答えよ。サムソン、我が友。君はこれらの衣服を何で購(あがな)った? 君は・・・私は今でも君を『我が友』と呼んでいいのだな?」
「我が・・・友よ。わたしは正当に購った」
「正当とは? 我が友? 正当とはどういうことか」
「目には・・・目を」
「サムソン!」
 若者が震える手を剣にかけた時、サムソンは身を翻してふたたび宴席を飛び出した。
「さらばだ。我が友よ」
「サムソン! 待て!」
 若者はサムソンの後を追って深夜の街に飛び出したが、サムソンの姿はもうなかった。漆黒の闇に呆然と立ちすくむ若者の頬を突風と砂塵が打った。
 客たちはふたりのやり取りによって、引き出物の豪華な衣服が花婿のいまわしい所業の獲物であることを察して慄いた。

 婚礼は破綻した。
 花嫁は泣きながらわが身を呪うしかなかった。若者は幼馴染を慰める言葉を持たない。そして、客たちは席を立つことができない。いまわしい犯罪が行われたかもしれないが、そう思いたくない。もし、その原因を誰かが探れば自分たちの悪意にたどり着くことぐらいは、彼らにだってわかる。だから、泣き崩れる花嫁を置いて宴席を蹴ることがどうにもできない。誰かが席を立てば、それに追随することでこの場から逃げ出すことができるが、最初に席を立って薄情と無責任の先陣を切る度胸はない。だいいち、サムソンを追って外に出た花嫁の幼馴染が、今は出口に陣取って花嫁を悲しげに見つめている。彼の脇を通って退席の挨拶を送ることのできる者がいるはずもない。客たちは進むことも退くこともできない窮地に立たされた軍隊のようなものだ。彼ら全員がいつの間にか、花嫁の傍でうろたえている父親に視線を向けた。今、必要なのは宴席の主催者の一言である。主催者が「帰れ」と言えば、彼らはここから逃げ出せるのである。
 窮したと言えば、この場でもっとも窮していたのが彼――花嫁の父――である。あのサムソンを怒らせた。婚礼の客たちにも、ペリシテの一族に対する対面も失った。そして、婚儀の破綻によって、何よりも愛娘がこのままでは瑕物――もはや処女とは呼べず、人の妻でもない女――になってしまう。父親は若者を花嫁の傍に招き寄せた。もはや、娘の幼馴染にすがるしかないと腹を決めたのである。
「娘を・・・この子を、救ってやってはくださらんか? あなたにしか、娘は救えない」

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 22:34Comments(0)短編小説

2010年01月30日

林静一「山陰」もあった。

 先日からアップしている林静一のガイドブック。
 kemmi様が「萩・津和野」とおっしゃってました。
 ふと気付いたのですが「山陰」というのもあります。
 津和野も入っていて、中身がちょっとかぶってます。
 もしかしたら、こちらかも・・・
 と思ったので、これもアップします。

 

 これまで御紹介したものとちょっと描き方がちがいます。
 彩色がおだやかで、奥行きもあり、ちょっと日本画の美人画のよう。
 シックで、イメージ的にはこちらのほうが「山陰の旅」という感じがします。
 こんな一人旅の女性がいたら・・・ちょっと声をかけてしまいそうです。


 ついでながら・・・
 ブログデザインをちょっと変えてみました。
 だいぶ長い間変えてなかったので・・・。
 記事スペースがいささか狭い感じもしますが、しばらくこれでやってみます。  
タグ :林静一

Posted by 冬野由記 at 19:24Comments(0)旅と美味

2010年01月29日

林静一「倉敷 津和野 萩」

 林静一が表紙を飾るガイドブックのご紹介、その2です。
 昨日の記事にkemmi様が「懐かしい」とコメントくださったので、そこで触れられていた「倉敷 津和野 萩」の表紙、こんな感じです。

 

 オートバイでツーリング中の女性。
 ちょっと一休み、グローブをはずそうとしている一瞬・・・でしょうか。
 オートバイの足もとの野の花。
 ハンドルにふととまった小鳥がいい感じです。
 昨日アップした「房総・筑波・益子」同様、イラスト風の明るい絵です。

 そういえば、昔、冬の津和野を旅したことがありました。
 街を歩きました。山陰の冬空と街並み、通りすがりに立ち寄った骨董をさりげなく飾ったカフェなんかを覚えています。  
タグ :林静一

Posted by 冬野由記 at 21:31Comments(4)旅と美味

2010年01月28日

林静一と旅ガイドブック

 20年ほど前、ある旅行ガイドブックのシリーズを好んで使っていました。
 弘済出版社という会社の「ニューガイド トップ」というシリーズです。
 旅好きだったので、どこかへ出かけるたびに、このトップのシリーズの中から目的地の案内が載っているものを選んで買っていました。
 内容もけっこうよかったし、読みやすくもありました。若い女性向きの編集になっていたと思います。それも、おそらく「若い女性の一人旅を応援する」とでもいうようなコンセプトが感じられました。こういうコンセプトがはっきり感じられたポケットタイプのガイドブックは、当時としてはけっこう新しかったのではないかしらん。また、このコンセプトは現在のマーケット戦略(大げさ?)でも通じますよね。
 それはさておき、一人旅が多くはありましたが若い女性ではない私が、なぜ、このシリーズを好んで使っていたかというと(若い一人旅の女性をナンパするためではありません。念のため)表紙のイラストがおおいに気に入っていたからです。というよりも、そのイラストを蒐集する目的もあったからなのです。
 表紙を飾っていたのは、林静一のイラストでした。
 なんと贅沢なシリーズ!

 林静一は、私の大好きな絵描きさんのひとりです。ファンと言ってもいい。
 もっとも、彼は、非常に優れたアニメーション作家の草分けのひとりとして有名かもしれません。イラストレーター、漫画家、アニメ作家・・・といった肩書が書かれることが多いですね。たとえば「みんなの歌」のいくつかの名品は、多くの人が観たはずです。私はたとえば「早春賦」や「赤い花白い花」は大好きでした。「小梅ちゃん」のCMアニメ、といえばわかります?
 でも、私にとっては、まず「絵描きさん」。最高の日本画を思わせる匂うような線描のできる人。色彩は千代紙や和紙の肌触り。そして、日本人の女性の顔とからだを見事に描ける人。

 初めは、旅を計画するたびに、少しずつ少しずつ、一冊ずつ一冊ずつ買っていたのですが、ある日、書店で手に取った「トップ」がまるで違う! シリーズが全面的にリニューアルされたのでした。それからは、大急ぎであちこちの本屋さんの地図・旅行ガイド売り場を探して、在庫されていた旧シリーズを集めました。結局間に合わず、すべてを蒐集することは叶わなかったのですが・・・それでも、15冊は手元に集まりました。

 先日引っ越した際に、あらためてシリーズを(表紙を)整理して眺めているところです。

 さて、本日は、そのうち一冊を御紹介。
 まずは、私の地元がカバーされている「房総・筑波・益子」から。

 

 日本の女の子が洋服を着るとこんな感じ・・・という雰囲気がいい。やわらかく、このままのボディラインで浴衣や着物を着せてもぴったりですよね。この横顔やほっぺ、お腹やお尻のラインがもう「林静一」です。
 シリーズでは、こういうくっきりとした線描のイラスト風もあれば、日本画のような彩色で奥行きを出したものがあります。順次、おりおりに紹介してみたいな・・・と思います。  
タグ :林静一

Posted by 冬野由記 at 21:09Comments(2)旅と美味

2010年01月25日

暖かい・・・・

 今日も妙に暖かい。
 明日はまた冷えると言う。
 身体が気温の変化についていかない。
 今朝から眩暈と発汗が再発。
 冬から春へ・・・本来なら快い季節の移り変わりなのでしょうけれど、
 ちょっと激しすぎる。

 こういう日は無理をしないことにしました。  

Posted by 冬野由記 at 21:40Comments(2)徒然なるままに

2010年01月24日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その13)

《サムソン その13》


 神話では、登場者の言動と結果の整合が成し遂げられることがよくある。神々や英雄の行動にはその本性に基づいて守られなければならない役割があり、最終的にはそれは守られ、成し遂げられる。
 たとえば古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」のユディシュティラは法の神の化身である。法の神である以上、正義に基づいた行動を貫くことが彼の本分である。彼と兄弟たちは賭けに負けて国を奪われるが、十三年間放浪して、その間条件を満たせば国が返還されるという約束を交わす。彼らは条件を満たし、約束を果たしたが敵は国を返さない。そこで大戦争となる。法の化身が戦争を起こすためには、ずいぶんと手の込んだ手順を要するわけだ。賭けに追い込まれたのも、賭けに敗れたのも、「契約不履行」という敵の不正を成立させるための伏線に過ぎない。その間ユディシュティラは徹底して法(契約)に殉じて行動する。その結果、ユディシュティラは法と正義を行使すべく戦に立ちあがらざるをえないのである。(戦争を勝利に導くためについたユディシュティラの唯一の『嘘』が、古来論争の的となってきた理由もそこにある。)
 サムソンの恋も婚約も強盗行為も「ペリシテ人と戦う根拠」を得るための深謀遠慮であると考える人々もいる。聖書の記述じたい、サムソンの結婚に反対する両親の事を「父母にはこれが主の御計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられることが分からなかった」とある。また、もう少し後になるが、サムソンは「以後、わたしがペリシテ人に害を加えても、わたしには罪がない」と言って闘いを本格化させる。この言葉も、ペリシテ人の裏切りや悪しき行いによって彼らと戦う正当性を得ることがもともとのサムソンのもくろみであったとする根拠とされる。
 いずれにせよ、これらの記述も説も『解釈』に過ぎない。起きた事実は、花嫁が秘密を明かしてしまったために婚礼の余興でペリシテ人たちに恥をかかされたイスラエルの花婿が、ペリシテの商人たちを殺し衣服を奪ったという強盗殺人事件である。支配者とは法と秩序の番人である。サムソンの行動がペリシテ人たちの維持してきた法と秩序に反していることは言うまでもない。そして、この法と秩序はペリシテ人と同じようにイスラエル人にも及ぶ。別の言い方をすれば、同じ法と秩序はイスラエル人も同じように保護してきたはずであり、同じ社会で同じ自由を得るためには(たとえば「ペリシテ人との結婚」もそうだ)イスラエル人も法を守らなければならない。自らアウト・ローたること(法の保護から離れる生き方)を求めるのでなければ。

「方々! これが約束の服だ。きっかり三十人分ある。好きなように分けられるがよい」
 夜更けに宴席に戻ったサムソンがこう言って衣服の山をテーブルの上に投げ出した時、長い間待たされた客たちは、それでも歓声を上げた。
「婿殿はちゃんと約束を果たした。たいしたものだ」
 しかし、付き添いの若者はひとり蒼い顔でうめいた。
「我が友よ。君はこれらの衣服をどうやって購(あがな)った? 君は今でも我が友か?」

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 20:57Comments(0)短編小説

2010年01月24日

冬の蓮田



昼下がり、冬の蓮田。
初夏には、一面、蓮の花に彩られる。
そして、次の冬、美味しい蓮根が…。


  

Posted by 冬野由記 at 14:03Comments(4)

2010年01月24日

さて、次は二次だな。

 さて、先週センター試験を終え、今日からはその結果を受けての二次対策勉強会の始動です。
 二月下旬までは週末は勉強会というペースになりそうです。  

Posted by 冬野由記 at 07:53Comments(0)徒然なるままに

2010年01月21日

大寒なのに

 暦は大寒なのに、この2~3日の昼の陽気は春真っ盛り。
 この異様な暖かさの所為か、帰宅してからなんだか調子が悪い。
 今日は学校でイベントがあって、重いもの運んだり動き回ったり・・・久しぶりに身体も使ったし。

 眩暈がする・・・。
 柱時計も、奥の方からなんだか軋むような変な音をたてるし・・・。
 (関係ないか・・)

 だから、今日は記事を書くつもりだったのですが、もう寝ます。
 ・・・そういえば、最近夜更かし(0時を回ると、私的には『just 夜更かし』)が続いています。
 久しぶりに10時台に寝よう。  

Posted by 冬野由記 at 22:17Comments(2)徒然なるままに

2010年01月20日

おぞましきフィギュア

 masayan様から先日の記事にいただいたコメントで
 「是非画像のエントリーアップを…!」
 とのことで・・・・、
 調子に乗って、机の中を捜索してみたら・・・

 ありました。
 (18日の記事に書きましたが)十数年前に、あるスポーツジムで「目標達成賞」として作っていただいた・・・・
 「マイ・フィギュア」

 

 格闘技姿のおぞましいフィギュアです。
 一応・・・目隠しさせていただきましたが・・・・
 お耳汚し・・・ならぬ、お目目汚し・・・
 御容赦。  
タグ :フィギュア

Posted by 冬野由記 at 22:59Comments(2)徒然なるままに

2010年01月19日

ミュンシュ

 シャルル・ミュンシュという指揮者は、ずっと好きでしたね。
 最近、彼がパリ管弦楽団の初代監督に就任したときの、パリ管弦楽団設立を記念した(劇場でいえばこけら落とし)演奏会のライブが出ました。曲目はドビュッシーの「海」とベルリオーズの「幻想交響曲」です。

 ベルリオーズ:『幻想交響曲』、ドビュッシー:『海』 ミュンシュ&パリ管弦楽団(1967 ステレオ)

 「幻想」はすさまじい演奏ですよ。迫力もすごいけれど、フレージングのきめ細かさにあらためて驚きました。丁寧でじっくりつくりあげていくくせに、それが凄まじい音になる。テンポが自在で速い。大迫力の図柄の大きな蒔絵屏風を一瞬で描き上げる、なんてことは実際不可能なのですが、そういうことをやってのけたような演奏。最後は、パリ管の面々、ミュンシュの棒にお終いまでよくついていったな、と溜息が出ました。
 「海」は、自分としてはこういう「海」が聴きたかった、という演奏。表情がダイナミックで、引き締まった筋肉質の「海」。体育会系のドビュッシーが聴けます。(そういう意味では、私はトスカニーニの演奏をけっこう気に入っていました)
 ただし、このアスリートは頭もすこぶる良く、ロマンティストでもあります。(例えばイチロー・・かな?)

 あと、ミュンシュの美点は、とにかく大音響になるのですが、なぜか音が大きければ大きいほど美しくなる。こういう人は稀です。そして、ぐいぐいテンポを上げていったり、ねっとりとルバートしてみせたりするんですが、オーケストラがすごい緊張感でこれを実現していく。緊張感が聴こえてくるんですよ。

 ま、この両曲がお好きな方は、聴いてみてください。落胆はしないはずです。  

Posted by 冬野由記 at 20:51Comments(0)音楽

2010年01月18日

フィギュアと呼ばれる・・・

 美少女フィギュアを万引きした警部さんのニュースが、昨日からしきりとラオで流れていますね。フィギュアのことをニュースで

「フィギュアと呼ばれる女性キャラクターの人形」
と言ってました。なるほど、考えてみれば「フィギュア」では、一般にはわからないですね。アイススケートの道具かと思う人もあるかもしれませんね。
 ある新聞には

「美少女人形を万引き」
とありました。う〜ん・・・「美少女人形」と書かれると何だかなあ・・・。

 ちなみに、昔通っていたスポーツジムで、
 ――設定目標をクリアしたら自分のフィギュアをつくってもらえる。
というイベントがあり、見事?目標を達成した私のフィギュアを作ってもらったことがあります。
 ・・・置き場もないので、机の中に眠っているはずです。(^^;)   
タグ :フィギュア

Posted by 冬野由記 at 11:42Comments(6)徒然なるままに

2010年01月17日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その12)

《サムソン その12》


 サムソンが出て行った宴席は混乱した。花婿が退席してしまったのだ。
 客たちの反応は様々だった。「やりすぎたのではないか」と反省する者もあれば「ちょっと花婿の鼻をへし折ってやっただけだ。この程度の悪ふざけで席を立つとは、イスラエル人(びと)とは何と狭量な者たちではないか」とサムソンの態度を難じる者もある。もっとも、後者は屈折した反省と言えなくもない。ただし、こうした折れ曲がった感情表明はサムソンには通じまい。
 いずれにせよ、主役を失った宴席をどうするか、いや、それ以上にこの婚礼をどうするかが問題だ。サムソンの友人――付き添いの若者が客たちに行った。
「花婿は『しばし待て』と言った。確かに私たちは花婿をひどく怒らせてしまったが、サムソンは怒鳴りもしなかったし、暴れもしなかった。怒りを鎮めてから戻るということであろう」
 謎かけに込められた手の込んだ寓意と言い、客たちに向けた怒りの言葉「わたしの雌牛・・」にしても(そう。若者が言うように、彼は客にも花嫁にも罵声を浴びせたのではない)彼の日頃の言動にしても、彼がすさまじい怒りの力と、恐ろしいほどの膂力を武器にしている一方で、教養にあふれた、穏健な立場を重んずる人物である事を示している。サムソンは怒りに震えた一方で、その怒りを鎮めるだけの冷静さを持ち合わせているはずだ。
「花婿はじきに戻る。宴会も再開する。婚礼は解消したわけではありませんよ。安心なさい」
 最後の言葉は、涙を流しながら震えている花嫁の耳元に囁いた。彼は、花嫁の幼馴染でもあり、意気投合したイスラエルの若者と幼馴染の婚礼がこのような形で壊されることは我慢ならなかったのである。彼にとって、このふたりが結ばれることはペリシテとイスラエルの和合の象徴でもあった。それがペリシテ人(びと)の軽率な悪ふざけと、それを嫌忌するイスラエル人の頑固と潔癖によって失われるとしたら、それは皮肉を通り過ぎて呪わしいことだ。サムソンの思いも同じはずだ。
 しかし、若者はサムソンの怒りを量るにおいては、甘かったと言わねばなるまい。
 サムソンは花嫁の家を出ると、まっすぐに城門に向かい、街を出た。彼は、なんとペリシテ都市国家群の大都市であるアシュケロンに向かったのである。
 ――目には目を。ペリシテ人は、わたしのまごころの愛を裏切った。ペリシテ人はわたしのまことを侮辱した。裏切りと侮辱には、それに相応しい報復をもって応えなければならない。ペリシテ人がわたしの謎を解いたというのなら、わたしは約束を果たすまでだ。ただし、その対価は同じペリシテ人の血で支払われなければならない。ペリシテがペリシテの血を求めたのだ。
 力が降り注がれる。神も報復をお望みである。少なくともサムソンはそう信じた。
 サムソンはアシュケロンで三十人のペリシテ商人を打ち殺し、衣服を剥ぎ取った。きっかり三十人分の高価な衣服をペリシテ人の血で購(あがな)ったのである。

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 23:57Comments(0)短編小説

2010年01月16日

和辛子が付いてないんですけど・・・

 午前の用事を済ませ学校(職場)に行く途中、昼食に蕎麦でもと立ち寄ったお蕎麦屋さんにて。

 時間がちょっと遅かったせいか空いていました。
 お客はぼくと、向こうの席に年配のご夫婦(らしき二人)。
 男性にとんかつ定食らしいものが運ばれてきました。
 男性が食べ始めたところ、先にお蕎麦を食べていたお連れの女性が

 「あら。辛子がついてないわ・・・」

 一言「おいしい」と言って黙々と食べる男性。
 しかし、女性は奥へ呼びかけます。

 「すいませ~ん。すいませ~ん」

 厨房の奥に移動していたお店の人にはすぐに聞こえなかったようで、女性は厨房前まで行き、

 「和辛子が付いてないんですけど」

 ・・・ちょっと引っかかってしまいました。
 こう言えなかったのかしらん。

 「すいません。辛子をお願いできますか?」

 要するに、とんかつに辛子を添えてほしいわけですが、女性の言い方だと
 「辛子が添えてあるのは当然なのに付いていない。ミスをしたな」
 という非難めいた感じがしてしまいます。(その女性の口調や動きもそれを助長した感もありますが)実際、彼女はそう感じたのかもしれません。
 でもね・・・。
 そう感じても、あえて一歩退く(相手をたてる)言い方ができたほうがいい。

 例えば、明らかに相手にミスがあった場合でも・・・

 「おつりをもらってないんだけど・・・」よりも
 「あ。おつりいただきましたっけ?」のほうがいい。

 「うどんじゃないよ。蕎麦をたのんだんだけど・・・」よりも
 「あ。『うどん』って言っちゃったかな」のほうが。

 「食後のコーヒー、まだ?」とか
 「食後のコーヒー来ないんですけど」よりも
 「そろそろ食後のコーヒーお願いします」のほうが。

 「まだ?」よりも、
 「いつごろになりそうですか?」のほうが。

 そういえば、こういうことは、あまり学校では教えないような気がしますね。
 ビジネス英語だと、ビジネスレターでクレームを送るときは相手の落ち度を率直に指摘するな(「返事が来ない」「商品が届かない」でなく「返事はいつごろになりそうですか?」や「商品はもう発送しましたか?」)とか、要求する時には、いきなり命令形を使うのでなく「I would like to....」や「May I ....」でやわらかく書けとか教わった記憶があります。
 「国語表現」なんて科目があるのですから、こういうこともやらなきゃいけないですよね。これって、けっこう「生きる力」としての国語力ですよね。
 自戒、自戒。  

Posted by 冬野由記 at 21:37Comments(2)徒然なるままに

2010年01月16日

いよいよ今日からセンター試験

 いよいよ今日からセンター試験です。
 試験当日になってしまえば、ぼくらにできることはほとんどありません。
 努力が実るように、心を落ち着けて受験できるように、
 祈ったり、心の中で声援を送ったり
 それが、今できる精一杯のこと。

 来週は笑顔の君たちに会えますように。
  

Posted by 冬野由記 at 15:47Comments(0)徒然なるままに

2010年01月13日

大雪の思い出1

 このところ、郷里の九州では大雪だそうです。
 (「おおゆき」と言っても、北国の人たちには大した雪には思えないでしょうけれど)
 ただ、九州といっても、福岡や北九州のあたりは、例年けっこうな雪が降ります。子供のころは雪合戦、雪だるまや雪の彫刻で遊んだものですし、チェーンをガシャガシャ言わせながら走るバスやトラックは、子供心にも冬の風物詩でした。

 あれはいつだったか、たぶん十代の終わり頃です。何か用事があって、郷里の北九州から電車で福岡に行きました。たしか、何かのコンサートを聴きに行ったんだと記憶しています。当時、有名どころの公演などは、九州に来た時は北九州には立ち寄らず、福岡に行ってしまうので、わざわざ聴きに行ったのでした。ただ、小倉駅から博多駅までは快速電車で1時間ほど。そんなに遠いという印象ではありませんでしたね。
 さて、コンサートがはねて帰ろうとしたところ、なんと「大雪で電車が不通」とのこと。困った。しかし、帰らないわけにはいかない。そこで、仕方なく博多駅前でタクシーに乗り込みました。

 「小倉までお願いしたいんですが」

 タクシーの運転手さんは、躊躇しました。(今考えると当然ですね) そして、

 「わかりました。行ってみます。ただし、途中で先に進めなくなるかもしれません。その場合は、博多に戻るという条件でお乗せしましょう」

 と言いました。
 ぼくは、その条件をのみました。

 さて、タクシーは高速に入り、大雪の中、安全運転でのろのろ走りながら小倉へ向かいます。しかし、2時間ほど進んだところで雪は深くなるし、すでに深夜で、他の車もどんどん高速を離脱してゆきます。ついに、運転手さんが前進を断念しました。

 「すみません。これから先は無理そうです。博多に戻りますが、いいですか?」

 そういう約束で乗ったのです。否やはありませんでした。
 そして、さらに時間をかけて博多駅前に到着。
 溜息をつくぼくに、運転手さんは

 「引き返したところまでで結構ですよ。着けなかったんだから」

 と、帰路の料金を求めませんでした。
 博多に泊って帰るとしたら・・・懐具合が心配になっていたぼくにとっては、ありがたい申し出でした。
 たしか、それでも当時で3000円ほど払って、降りようとすると

 「比較的安いビジネスホテルがあるから」

 と、駅近くで深夜でもチェックインできる安価なビジネスホテル(当時は少なかったんですよ)まで連れて行ってくれました。

 九州で大雪・・・というニュースが流れると、このときのことを思い出します。親切な運転手さんで助かりました。
 コンサートのために、とため込んでいたお小遣いを「何かあった時のため」にすっかり持ち出してきていたので、タクシー代もホテル代も何とかなりましたけれど・・・ほぼスッカラカンになったのは言うまでもありません。  

Posted by 冬野由記 at 20:47Comments(2)徒然なるままに

2010年01月13日

北風ぴいぷう



北西の風、筑波颪(おろし)が吹きすさぶ。
こういう日は、西の山や日本海側は大雪だな。

画面の左端に小さく筑波山。



  

Posted by 冬野由記 at 17:08Comments(0)

2010年01月12日

「クラナド」から「渚」(編曲してみました)

 これも、以前、生徒に頼まれて編曲したものです。
 「クラナド」というのは、どうやら恋愛ゲームのひとつらしく(アニメでもあるらしい)、詳しくは知らないのですが、その中に「渚」という少女が登場するようです。原曲は、その渚という少女のイメージ音楽らしいです。
 著作権関係が気になって、一応ネットで(作者のオフィシャルサイトを)調べたら、こういうケースは「二次創作物にあたり、二次創作は(非営利であれば)OK」とのことなので、編曲してみました。
 (下記をクリックすると聴けます(はずです))

 《「クラナド」から「渚」(MP3版)》

 例によって、編曲楽譜からPCで生成した音源です。生演奏ではありませんので念のため。
 (ぼくは、こんなに落ち着いたフルート演奏はできません)

 編成はピアノ1台、木琴1台、フルート1本です。
 生徒が弾く前提なので、多少は弾けることを前提にしていますが、ピアノにはあまり無理はさせていません。
 木琴はメロディだけの単音です。ちょっと練習すれば楽器になれていない人でも参加できます。
 フルートはそこそこ吹けるという前提で、伴奏的ではありますが高温部できれいな旋律が出てきますし、主旋律を低音部で吹いたりもします。ただ、指は難しくありません。
 なお、すべてのパートがそれぞれ主役になれる(主旋律を担当する箇所がある)よう配慮してあります。

 というわけで、厚みはやや乏しいけれども、易しく演奏できて優しく鳴らせるようにしたつもり。

 こういうアレンジを聴いて、「クラナド」をよく知っている人ががっかりしなければよいのですが・・・・。  
タグ :クラナド

Posted by 冬野由記 at 20:15Comments(4)音楽

2010年01月11日

カントリーロード(編曲してみました)

 先日編曲した成果(というには拙いのですが)をちょっと御報告。
 編曲したのは、あまりにも有名なジョン・デンバーの「カントリーロード」です。
 下記をクリックするとMP3で聴いていただくことができる・・・はずです。
 (うまく再生されるかちょっと心配です)

 《「カントリーロード」(MP3版)》
 (生演奏ではなく、アレンジ譜からPCで生成した音源です。念のため)

 編成はピアノ1台とフルート1本。
 ピアノについては
 ・右手のリズムを大胆に単純化し、
 ・左手も一本指で弾けるように、
 ・また、左手がメトロノーム代わりになるように、四分音符だけ
 にしました。
 フルートも無理のない音域でピアノに右手に重ねるようにし、ピアノもフルートも初心者で十分に愉しめるようアレンジしました。
 その分、コード(和声)も単純化されているのでちょっと物足りない向きもあろうかと思います。
 もう一人誰かが混ざれればさらに味が出るでしょう。
 構成としては、冒頭でサビのメロディーをピアノとフルートでゆっくりと掛け合うようにしました。これは、ここで奏者の気分を落ち着かせる狙いがあります。

 ま、遊びの範囲です。  

Posted by 冬野由記 at 22:24Comments(0)音楽

2010年01月11日

雲間



ちょっときれいだったので。
雲間から茜色が覗いて蓮田に映っています。
冬曇りながら、穏やかな夕暮れです。


  

Posted by 冬野由記 at 16:45Comments(2)