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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2010年03月31日

明日も晴れだな。


ただ今、駅までウォーキング中。
きれいな夕焼け。
明日も晴れだな。

  

Posted by 冬野由記 at 17:53Comments(4)

2010年03月31日

今日も歩いた。





今日も駅から職場までの7.5キロを歩いた。
早朝、風はまだ寒かったが、春が見える。
やはり歩くのはいい。
さて、もう少ししたら、今度は駅まで歩こう。


  

Posted by 冬野由記 at 16:33Comments(0)

2010年03月30日

一昨日、昨日、今日、明日、明後日

 一昨日(おととい)
 合宿最終日。
 移動日ということ。帰りに希望者と1時間ほどのホーストレッキングに寄り道した。久しぶりのお馬さん。愉しかった。はじめてお世話になった牧場だったが、馬場で簡単なレクチャーをしてくれたマスターが魅力的な哲人だった。印象に残った言葉。
「まず意思を持ちなさい。あなたが意思を持たなければ(手綱を操っても、鐙を蹴っても)意味はない」
 生きた言葉は、普遍性を宿している。それでいて、目の前の目標に対してとても具体的だ。
 合宿から帰って、参加できなかった友人たちも呼んで打ち上げをやった。彼らを交えて打ち上げで交わされた話しは、合宿での議論に劣らない刺激的なものだった。
 次回は何としても彼らを巻き込んでじっくりと合宿したいものです。
 打ち上げがはねた後、なんやかやで就寝が5時半(午前の)。
 でも、愉しい夜更かしだったからいいのだ。爆睡。

 昨日(きのう)
 学校へ。机移動もあるし、机周辺の片づけ。それと、来年度の時間割編成作業に加わる。けっこう難儀な作業である。
 寝不足であるが(よくあることですが)妙に頭が冴えていた。帰りの運転は要注意。ガム2枚で「意思」を維持。
 夕食後、爆睡。

 今日(きょう)
 学校では、引き続き時間割編成作業の手伝い。ここに来て、こまごまと変更要因が発生。ちょっとした変更も全体の組み方に影響するので、けっこう面倒である。高校には選択授業もたくさんあるし、TT(簡単に言うと先生二人がかりでやる授業)もあるので、けっこう複雑な編成になるのです。
 何とか目鼻を付けて帰宅。今に至る。

 明日(あす)
 「あした」と読むと「朝」になってしまうので・・・などと普通は気にもしない理屈を垂れるのは、冬野の性分であります。
 明日は、年度最終日。片づけを終わらせてしまわなければ。
 あと、転任される先生方からの引き継ぎ事項もたくさんある。
 というのも・・・新年度、冬野はとうとう「担任」を仰せつかることになったからである。それも新3年生の担任である。
 クラスをひとつ受け持つというのは、クラスの生徒たちの未来を、はっきりと、いくらかでも背負うということだ、とぼくは理解している。高校3年生の一年間というかけがえのない時間を、いっしょに実のあるものにしていかなければならない。このところ緊張が続いているのです。

 明後日(あさって)
 新年度スタートである。
 挨拶。新任の先生との顔合わせ。時間割の発表。クラス編成の発表。机の移動。学年会議。教科の会議・・・と、これからの一年のかなり大事なことが披露され、交わされる日なのです。一年の計は4月1日にあり。
 で、何だって、そんな大切な日がエイプリル・フールなんだ。学校では「冗談」があってはならない日です。

 もうじき4月がやってくる。

 最後に、お詫びというか言い訳を。
 28日の日曜日、結局帰宅も遅くなったので、週末連載の「サムソン」が掲載できませんでした。
 昨日、一日遅れで書こうと思ったのですが、睡魔に襲われて書けませんでした。
 というわけで、一回お休みをいただいて(事後申告で申し訳ありませんが)、次の週末からは従来通り連載しますので、よろしくお願いいたします。  

Posted by 冬野由記 at 20:40Comments(0)徒然なるままに

2010年03月28日

諏訪湖



  

Posted by 冬野由記 at 09:00Comments(4)

2010年03月27日

黒姫高原



  

Posted by 冬野由記 at 19:54Comments(0)

2010年03月26日

善光寺2



  

Posted by 冬野由記 at 15:34Comments(0)

2010年03月26日

善光寺



  

Posted by 冬野由記 at 15:06Comments(0)

2010年03月26日

上田城



  

Posted by 冬野由記 at 11:14Comments(0)

2010年03月25日

明日から合宿

 明日から文芸サークルの合宿。
 雪の黒姫高原へ。
 久しぶりに標高の高いところに行ける。
 というわけで、今宵は、おやすみなさい。  
タグ :黒姫高原

Posted by 冬野由記 at 21:10Comments(2)徒然なるままに

2010年03月22日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その21)

《サムソン その21》


 エタムの岩屋の周辺は野戦の幕営地のようになっている。ティムナの農地を焼き払った数百人の暴徒たちが、そのままサムソンを慕うようにエタムに集まって来たからだ。暴徒の多くは若者たちだった。彼らのすべてがエタムに常駐しているわけではなく、ふだんは実家や他の拠点に居て、ときおり連絡や情報交換のために訪れたり、どこかを襲うときに集まって来たりする者が大半だったが、それでもエタムには常時二百人ほどの若者が暮らしている。つまり、サムソンは常時二百人以上、召集すれば千人にもなろうという兵力を手にしたことになる。
 しかし、サムソンは奇妙な苛立ちの中にいた。いつの間にかこうなってしまったのだ。彼にしてみれば、本来はイスラエルの長老たちに面会し、ペリシテとは相容れぬことを伝え、できれば彼らの賛同を得た上で兵を募り、自らが先頭に立ってペリシテに対する闘争――約束の地の奪還――を始めるつもりだった。ところが、兵が勝手に集まってしまった。いや、ここに集った若者たちは兵とは呼べない。彼らは暴徒であり、あちこちで散発的に、思い思いに略奪や破壊を繰り返しているだけで、これは闘争とは呼べない。そして、何よりもサムソンを苛立たせているのは、サムソン自身が彼らを率いているのではなく、勝手に暴れまわっている暴徒たちが勝手にサムソンを首魁として仰いでいるという事実である。
 サムソンは、彼の力の根源である怒気をそれに相応しい敵意に対して直に放つことができない。若者たちの「闘争」をいわば追認することで、ペリシテに対する戦いの指導者たることを形だけ維持している状態。このことは重要である。つまり、ペリシテに対する戦いにあって、神の力が降り注いでこないのである。神の声が聴こえない、神の御意志を実感することができない。彼にとっては大問題である。
 その苛立ちを、彼はデリラを虐げることで晴らしている。彼はデリラを奴隷として扱った。サムソンのもとに集まった暴徒たちから見ても、デリラはサムソンが飼っている卑しむべきペリシテの女奴隷である。神の戦士にそなえられた生贄である。暴徒たちはおりにふれデリラを辱め、サムソンもそれを許した。

 後を追ってまで愛されようとした憧れの義兄に冷たく犯されたあの日、絶望の淵に墜ちて凍えた少女デリラの心は、日々繰り返される凌辱の中で次第に立ち上がろうとしている。少女の心を支えようとしているのは、怒りである。皮肉なことに、今でもサムソンの心をもっとも正確に理解しているのはデリラであった。彼女はサムソンが不本意な成り行きの中で、彼を支えてきた怒りと神の意志を見失いつつあることが手に取るようにわかった。そして、今やサムソンは、雄々しく逞しい異民族の英傑ではなく、不本意な成り行きに抗うことも、祀り上げられた立場から降りることもできずに苛立ち、その苛立ちをいたいけな少女を辱めることで紛らせている情けない男に過ぎない。
 サムソンと彼の「兵」たちが略奪のためにエタムを離れたある日、デリラは岩屋を抜け出してティムナの街に走った。ペリシテの軍隊をエタムに導こうと考えたのである。

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 22:37Comments(0)短編小説

2010年03月21日

明日はボーリング??

 今日はハルコミに行ってきました。
 地元の水戸では、コミケットスペシャルをやっているのですが、東京ビッグサイトのほうに行ってしまいました。
 水戸派を裏切り、江戸派に靡いた・・・と言うとなんだか幕末みたいですね。

 さて、先ほど、前任校の3年生(卒業生ということになりますね)から電話がありました。

 ――明日、数名が集まって、お昼をファミレスで食べた後ボーリングに行くのだが、よかったら混ざらないか?

 というお誘いです。
 前任校と言っても、ぼくが彼らと接したのは、彼らが1年生の時。
 しかも、誘ってくれたのは、直接の受け持ちではなく、課外授業と部活で接点があった生徒たちです。
 接点が限られていたから、かえって誘ってみる気になってくれたのかもしれませんね。

 もちろん行きますよ。断るわけがありません。

 明日はボーリングかあ。
 30年ぶりくらいです。
 ちゃんとやれるだろうか・・・。

 あ。そういうわけで(「わけ」になってない気がする)、週末連載の「テロリスト列伝」は、明晩ということで・・・。
 振り替え休日だから、連載も振り替え・・・
 なんちゃって ^_^; <m(_ _)m> (^^ゞ  

Posted by 冬野由記 at 21:54Comments(1)徒然なるままに

2010年03月21日

奇妙なビル


奇妙なビル。
設計の意図を聞いてみたいな。
あの空いたところには何があるのかな。

  

Posted by 冬野由記 at 14:45Comments(2)

2010年03月21日

なぜか東京



ビッグサイト。
向こうには品川埠頭の客船とビルの陰に東京タワー。

なぜか東京にいる。
つまり、春コミに来てしまったわけだ。( ̄∀ ̄)  
タグ :春コミ

Posted by 冬野由記 at 11:03Comments(0)

2010年03月20日

偕楽園


偕楽園で朝の散歩。

  

Posted by 冬野由記 at 09:52Comments(3)

2010年03月18日

ウォーキング出勤

 過日のノーマイカーデーで、最寄り駅から学校まで、なんとか歩けることがわかったので、あれからときどき歩いている。
 今日も、駅から学校までの7.5キロ、歩いてみた。
 慣れてきた所為か、けっこう楽しい。
 今日の帰りも歩き。往復15キロ、約2万歩。週1~2回は習慣にしたいな。
 いい健康維持法になるかも。
  

Posted by 冬野由記 at 11:49Comments(3)徒然なるままに

2010年03月16日

一家に一枚あったとて



「一家に1枚周期表」
だそうである。

元素の周期表。
家庭でどう活用すればいいのかな。
それにしても、元素の周期表なんか眺めてると・・・
「聖○・・・」が浮かんでしまう。
まずいな・・・。  
タグ :元素

Posted by 冬野由記 at 17:08Comments(2)

2010年03月14日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その20)

《サムソン その20》


 いきなり岩屋の入り口に姿を現したサムソンに腕を掴まれ、岩屋にひきずり込まれたとき、デリラは恐怖と不安にかられながら、その胸は期待に高鳴った。もとよりサムソンに優しく愛撫されることを期待するほど彼女は愚かではない。しかし、たとえ暴力的な形であっても、想い人の厚い胸に抱かれるなら本望だと思った。だから、サムソンに乱暴に衣服を剥がされてなお、彼女はどんな苦痛にも耐えてみせようと身を任せたのだ。自分がサムソンの怒りや憎しみの捌け口になったとしても、それらすべてを含めたサムソンをまるごと自らの身体で受け止める覚悟さえあった。
 しかし、一瞬の後、彼女は自分が間違っていたことを知った。彼女は、氷のように冷たい心が自分に衝き立てられるのを感じた。サムソンが放ったものは怒りでも憎しみでも、ましてや情欲でもない。これは凌辱でさえない。サムソンは、ただ踏みにじっているのだ。ただ打ち壊しているのだ。引き裂いているのだ。私を。私の中のペリシテを。
 苦痛の中でデリラの心は凍えた。そして、気を失った。

 死んだように足もとに横たわる少女を見下ろしながら、サムソンは奇妙な虚脱感に襲われている。罪悪感はない。サムソンにとってペリシテ人はすでに「人」でさえない。人でないものを犯したからといって悔いることはない。だいいち、彼女自身がのこのことやって来て、犯されることを望んだのだ。そして、彼は目の前のいまわしいものを踏みにじらずにいられなくなったから踏みにじった。ただ、それだけのことだ。何かを、たとえば気が晴れることを期待したわけでもない。それにしても、この空しい気分はなんだ。
 サムソンは、骸のような少女の身体をそのまま置いて、岩屋を出た。そして、ティムナのほうに下って行った。あてはなかった。ただ、荒野を歩きたかった。

 すでに日は落ちていた。しばらく歩くうちに、サムソンは風の気配に異常を感じた。ティムナのほうを見ると、夜だというのに東の空がうっすらと赤い。落日の名残ではない。
あれは何だ?
 サムソンは走った。
 ティムナ近郊の丘に至ったとき、サムソンは、ふもと一帯の農地が、まるで野焼きのように炎に包まれているのを見た。炎と炎の間を、何百人もの男たちが松明を持って、口々に何か喚きながら走り回っている。サムソンは魅入られたように炎の海に向かって丘を下った。

 炎の向こうに、丘から下ってくる大きな影を誰かが見つけた。そして叫んだ。
「サムソン!」
 すると、狂ったように走り回っていた男たちが立ち止まり、丘を仰いで歓呼した。
「サムソン! サムソン! サムソン!」
 この時、もう後戻りはできないのだということをサムソンは知った。

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 23:57Comments(0)短編小説

2010年03月13日

お返し作り

 先月の15日の放課後、職員室の入り口で生徒が手招きしている(定期考査前だったので生徒は職員室に入れないのです)ので何事かと思って廊下に出ました。
「どうしたの?」
 と聞くと、かばんの中をがさごそさぐって、
「はい、これ」
 と、ぼくに袋を渡し、
「じゃね」
 と、そそくさと帰って行きました。

 袋には小さなチョコレートケーキとチョコレートが入っています。
 つまり、一日遅れのバレンタインということですね。
 ありがたく頂戴し夕方のお茶うけに食べてみたら、ケーキの中にもチョコレートが仕込んであります。食感からも手作りらしく思われたので、翌日その子に
「美味しかったよ。あれ、手作りだったの?」
 と聞くと、
「そうだよー」
 とのこと。

 とすれば、手作りには手作りで返すのが礼儀と言うものです。
 そんなわけで、久しぶりにキャンディを作ってみました。

 

 牛乳にシナモンをちょっと含ませたシンプルなキャンディと、いわゆるベッコウ飴です。
 さて、冷めてからが問題です。うまく固まりますかどうか。
 うまく出来たら、明後日、持って行くつもりであります。  

Posted by 冬野由記 at 23:51Comments(2)料理、レシピ

2010年03月09日

風の音色

 昨日(きのう)から「真冬並みの」寒さだそうです。
 たしかに寒かった。
 朝から重たい曇り空に冷たい風が吹きつけていましたが、昼下がりから降り出した雨が霙(みぞれ)になり、日暮れころにはとうとう綿雪が舞い始めました。明日の朝はうっすらと雪が積もっているかもしれません。

 ・・・ここまで漢語を使わずに書いてみました。
   もともと、あまり使わないようにしているのですがね (^^ゞ ・・・

 昼ごろ、そんな冷たい風を受けながら、吹きつける風の音が冬のそれと違うことに気づきました。
 風音がやや低い。音程ではなく、冬の風よりも音の質が低く、少しだけ重たくなっています。倍音が多く、とりわけ中音域の幅に厚みがあるので、風音が低く響くようなのです。
 それに比べると、冬の音はもっと高く、澄んでいます。倍音の少ない、笛のような音。
 春の風は、低く響くだけでなく少しふくらんで聴こえます。その所為かもしれませんね。前にも書きましたけれど、春の風は同じ温度でも、冬の風よりも重たく感じるし、冬のような鋭さが感じられない。

 ―― 風にも、季節ごとの音色がある。

 なるほど・・・。

 そんな当たり前のようなことに、いまごろになって興を催すとは。
 ぼくも、ずいぶんと鈍い。

 冬の風、春の風。
 それぞれに、どんなオノマトペを探してみようか。
 初夏、夏、秋・・・・それぞれ、どんな音色だったろうか。
 季節を待つ楽しみが、ほんの少しだけ増えた気がします。  

Posted by 冬野由記 at 20:34Comments(2)徒然なるままに

2010年03月08日

愛子内親王の不登校

 愛子内親王の不登校が報道されていますね。
 宮内庁と学校のコメントしか聞こえてこないのが気がかりですが、この時期の不登校を早目に乗り越えてしまわないと、後々にもっとつらい状態にはまりこむことが多いので、関係者(とくに保護者である皇太子夫妻と担任の先生)のしっかりした対応を期待したいところです。

 よく起きるわりに、こういう小学生低学年の不登校が具体的事例として世間で注目される機会はなかなかないのですが、皇族の不登校ということでマスコミが採りあげてくれているので、これを機に身近なところで起きているたくさんの不登校に対しても多くの人が関心を向けてくれるといいな、と思っています。
 ぼく自身が(以前「回想」カテゴリの記事にも書いたとおり)小学校低学年のころに不登校に陥ったことがありますから、どんな不登校でも(小学校に限らず)他人事とは思えないところがあります。最初の不登校は、転校後に、その学校の生徒たちの活発でワイルドな空気にまったくなじめず、ある種の恐怖さえ覚えたところに端を発します。怖いだけでなく、自分がそこでは異邦人であると強く感じ、そのような異空間に敢えて飛び込む理由も見出せず、そんな度胸もなかったのです。
 幾度かの不登校を乗り越えるには、何がしかの自信を獲得するしかありませんでした。小さな自信でもよかったのだと思います。そして、それを後押ししてくれた両親の存在はやはり大きかった。身体が弱く、気の小さなぼくを、父は毎朝のランニングで鍛え、母は「九九を速く暗誦する」という些細なことで自信をつけさせるためにつきっきりで九九の練習をしてくれました。加えて、学校でぼくが孤独に陥っていると推察した両親は、ぼくの知らない間にたびたび学校を訪れ、担任の先生と繰り返し話し合いを持ったようです。

 学校で何かあったとき、一番大事なのが、保護者と担任の腹を割った話し合いです。具体的な対策が出なくても、そうやって保護者と担任が真摯に向き合うことがなければスタートラインにさえ立てません。
 愛子内親王の保護者(皇太子夫妻なのだろうか・・・宮内庁なのだろうか・・・やはり皇太子夫妻であるべきでしょう)と学校、とくに担任の先生は直に会い、じっくりと話し合いを持たれたのだろうか。どうも、報道から聞こえてくる学校や宮内庁のコメントが、なんとなく、保護者と学校のコミュニケーションがきちんとなされていないままに流されているように聞こえます。親の顔が見えてこない。
 皇太子夫妻が学校に行くのが難しいなら、担任の先生に御所に来ていただいて(あえて絶対敬語を無視しますが)、皇太子夫妻は担任の先生と幾度も話し合いをするべきだと思う。そうしなければスタートラインにすら立てないから。愛娘に安定した学校生活を送らせたいなら、娘の健全な成長を望むなら、しっかり先生とコミュニケートしてもらいたい。とにかく、不登校は、結果的にそのまま続いてしまうのが一番よくないので。(本人がどんどんつらくなります)

 20代のころの皇太子は、一見温厚な立ち居振る舞いながら、かなり我の強い、粘りを見せる人だったという印象があります。部活の打ち上げ飲み会で構内の噴水に飛び込んだり(投げ入れられたといったほうが正解?)するほどオープンな人でもありました。そもそも、皇族として歴史学を学ぶという禁忌をとうとう覆してしまったのですから、粘りと我の強さは並みじゃありません。あのころの粘り強さでこういう問題にも立ち向かって、家族を守ってほしいなあ。

 ・・・ところで、皇太子夫妻ってPTA役員とかなさってるんだろうか。素朴な疑問・・・  
タグ :不登校

Posted by 冬野由記 at 20:35Comments(0)徒然なるままに