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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2010年04月30日

TDLなのだ。


こういうところに来ている。
いい天気である。
暑い。

  

Posted by 冬野由記 at 14:02Comments(2)

2010年04月25日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その24)

《サムソン その24》


 ガザにたどりついたデリラは、いったん親族の館に入った。
 一時の恐慌から人々はデリラの実家を焼き滅ぼしてしまったが、落ち着いて考えてみれば、この少女自身に何か落ち度があったわけではない。それに、彼らがデリラの家族を焼き殺してしまったのは、サムソンが暴挙に走った原因となった者への制裁というばかりではあるまい。サムソンの復讐を恐れるあまり、同胞を、その怒りを逸らすための生贄として差し出した。そのことを、どこかで後ろめたく感じていたはずだ。
 だから、ガザの親族はデリラをいたわった。
 そこで数日を過ごしたデリラは、やがて元の美しさを取り戻した。いや、かつて「姉よりも美しい」と言われながら、あどけない幼さを宿していた少女は、眩い輝きを放つ美しい女になっていた。
 デリラ自身、この館で心身を休め、誰もが目を瞠る美しさを得なければならないと考えていた。彼女は「家族を同胞に焼かれた上に、イスラエルの暴徒たちに犯され辱められた、哀れな娘」として、領主たちの前に立ちたくはなかったのである。
 そして、数日後、デリラは許されて神殿に入った。

 デリラが、神官やペリシテ諸都市の領主たちが居並ぶ神殿の広間に入った時、人々がどよめいた。広間の中央に進み出た小柄な少女の纏った白い衣の内側から、何か眩しい光が染み出しているかのように感じられ、広間が一瞬、明るくなったように思われたからである。そして、顔をあげたデリラの美しさに、居並んだ領主たちは溜息をついた。ただ独り、神官の長(おさ)だけが、デリラの美しさに眩惑されなかったように見えた。

「ティムナのデリラか?」
「はい」
「結論から言う。お前の、軍隊をエタムに差し向けてサムソンを捕縛せよという訴えは、気の毒だが容れられぬ」
 デリラは、長(おさ)の眼をまっすぐに見つめたまま、聞き返した。
「なぜでしょう」
「軍を向ければ、たしかにサムソンを捕縛できよう。しかし、われらの犠牲も小さくは済むまい。サムソンの豪勇は、誰もが知るところである」
「では、あの暴徒たちも放置されるのですか?」
「いや。サムソンは捕える。サムソンが捕らえられれば、暴徒たちは統率者を失い、やがて自然に消滅する」
「軍を使わずに、サムソンを捕らえることなど、できるのですか?」
 長(おさ)が微笑んだ。
「力で力を圧倒するばかりが政(まつりごと)ではない」

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 19:57Comments(0)短編小説

2010年04月25日

のどかだ。


駅にたどり着いたら、列車が出た後だった。
次の上りまで30分。
のんびり待つさ。

  

Posted by 冬野由記 at 17:35Comments(0)

2010年04月25日

陽春


今日も休日出勤。
そして、今日もウォーキング通勤。
陽春。
気持ちのよい天気である。

  

Posted by 冬野由記 at 16:17Comments(2)

2010年04月21日

疲れたけど、うれしいぞ。

 なんだか身体が重たい。
 疲れがたまっているんだろう。昨夜も食後に爆睡してしまいました。
 二日分もメールを溜めた(つまり昨夜はPCを立ち上げなかった)のは久しぶりです。
 二者面談というものがあり(つまり、各生徒とサシでこれからのことや気になっていることを話しあう)これが、かなり精神的にハードなお仕事ではある。
 三年生なので、みんなの進路をすっきりとさせてゆかねばならない。大事なのは、進学とか就職とかの結果ではなく、心の底から納得して選んだ道かどうかです。迷っていたり、あいまいな点が残るのは仕方ないし、それが普通だとも思うので、ここでいう「納得」とは、何も明確な進路設定ができているかどうかというようなことじゃありません。
 たとえば、ほんとうは夢があって、そのための進学を心の奥では望んでいるのに、諸般の事情から「就職」と決めてしまっている生徒は少なくないのです。隠していたってわかる。そんな生徒たちは、どこか思いつめて決心しています。それだけに、いっけんきっぱりとしているし、頑固です。でも、わかるんだなあ。
 彼らが思いつめてしまっている障碍に対しては、案外打開策がいろいろとあるものなんですが、彼らは知らない。あるいは、知識として知っていても、漠然とした不安や心配をかかえている。それに、そういう生徒ほど、家や親の事をおもんばかり、いろいろなことを「推察」しすぎて、一歩退きさがってしまう。
 そういう子は、なんとか背中を押してあげたいじゃないですか。
 大丈夫、心配はいらないんだよって。

 今日は、ほんとうに疲れてしまったけど、うれしいことがあったので、今夜はよく眠れそうです。
 ある生徒が、ついに進学を決意したのです。
 今日も、初めは、きっぱりと「就職」と答えたんですけどね。
 そう決心した最大の理由は何か、なんとか聞きだした。
 やはり「家計」だ、とやっと、小さな声で答えてくれた。
 奨学金のことを、ほんとうに詳しく説明しました。
 どのくらい借りることができて、どんなふうに使えるのか。いつから、どんなペースで返していけばいいのか。実際の数字を使ってシミュレーションして見せた。
 おうちに、いっさい負担をかけずに、4年間しっかり勉強できるんだよ。
 4年かかるけど、4年後から先は、今就職するより、もっと大きな恩返しができるようになるんだよ。

 どうして、こんなにしつこく進学をすすめてしまうのか。
 実は、ぼくには、その子が作業服を着てラインに立っている姿がどうしてもイメージできなかった。
 その子が仲間たちと勉強に打ち込む姿や、多くの子供たちに囲まれて溌剌と仕事をしている姿ばかり想像されてしまう。
 こういうとき、ぼくは、ぼくの直感を信じる。

 その生徒にも、同じこと言いました。

 大学に行きます。親にもそう言います。だから、大学の事をいろいろ教えてください。
 最後にこう言ってくれたときは、ほんとうにうれしかった。
 こうなったら意地でも、この子を、相応しい大学に合格させてみせる。

 だから、今夜はじつにいい気分なのです。
 さっきから身体は重たいし、腰はうずくし、肩は痛いんですけどね。
 でも、今夜はよく眠れそうだ。  

Posted by 冬野由記 at 22:10Comments(3)徒然なるままに

2010年04月20日

お詫び…しておこう。

 お詫び、といって、つまり、昨夜(日曜日の深夜)、週末連載のはずの「サムソン」をすっぽかしてしまったことです。
 日曜日、学校に出て、生徒があんまり熱心なので夕方まで学校に居て、結局家に帰ったのが8時で、夕食を済ませたら眠くなり、仮眠をとるつもりでひと眠りしたら爆睡してしまって、気づいたら朝だったというわけです。
 (上古文学的な文章で書いてみました。平安時代の王朝文学って、現代の作文のお手本としては使えない文(ふみ)運びですね)
 というわけで、あらためて、二日遅れでサムソンを書くのも何なので、一回休載して、来週の日曜日に次を書くことにします。

 ところで、今夜(月曜日の深夜)は友人と語り合って、いろいろなことを話したのですが、その話題に誘発されたのかどうかは定かでないのですが、帰りの車でふと気付いたことがあります。
 サムソンは「テロリスト列伝」ということで書き始めたのですが(今でもその点は変えてないつもりなのですが)、一種の恋愛小説という側面が生じていることに気付いたのです。「恋愛」といっても、惚れたのなんのということではないのですが、サムソンとふたりの女性の間で起きたことは、恋愛、あるいは結婚における事件でもある…と言えるのじゃないか、ということです。書いた本人が言うのも変ですが、今夜、気付いたのですよ。
 いつのまに、こんな話になっていたのか…と、筆者が驚いたりしてます。
 今更ながら、小説を書くっていうのは、不思議な行為ですね。ほんと。  

Posted by 冬野由記 at 01:32Comments(0)徒然なるままに

2010年04月17日

あ! 明日は「かすみがうらマラソン」かあ。

 そうか。
 明日は「かすみがうらマラソン大会」が開催されるんだった。
 明日は出勤する予定なのですが、ルートがちょうどマラソンコースの近くに沿っているので、渋滞しそうです。
 ということは…。
 明日は、マラソン大会にちなむわけではありませんが、最寄駅から、ウォーキング通勤ならぬ、ジョギング通勤といきますか。
 お天気もよくなりそうだし。  

Posted by 冬野由記 at 21:58Comments(2)徒然なるままに

2010年04月17日

アイスランドの火山と聞くと

 アイスランドの火山の噴火による火山灰の影響で、欧州の航空便が混乱しているらしい。

「アイスランドの火山」と聞くと、大好きなヴェルヌの『地球の中心への旅(地底探検)』を連想してしまう。
 この物語では、探検者たちはアイスランドの火山の火口から地底に降りて、長い冒険の末に、地中海のストロンボリ島の火山から(なんと吹きあがる溶岩流に乗って)地上に出る。ぼくの友人の一人は、ヴェルヌ作品の中でこの『地底探検』が一番好きだと言っていた。(彼は土壌生物学者である。むべなるかな…)
 じっさいリアリティがあって、なかなか興味深い小説だ。地底世界がある種のロスト・ワールドであるという設定は、この作品から始まる。コナン・ドイルの『ロスト・ワールド』の着想も(ドイル作品では、ロスト・ワールドはギアナ高地だが)私見では、ウェルズの『地底探検』から得ているのではないかと考えている。

 縁起でもないと言う人があるかもしれないが、ヴェルヌの想像力に従えば、アイスランドで大きな火山の噴火があったということは、地中海沿岸あたりでも、連動して山が火を吹くかもしれない、ということになるか。
 日本や世界各地でも、このところ地震が頻発しているし、どうも大地がイラついているような昨今ではある。
 少しばかり、みんなでガイア(大地、地球)に「ごめんなさい」をしておいたほうがよさそうだなあ。

 そういえば…あの『マハーバーラータ』(古代インドの大叙事詩)でも、終末戦争の発端は大地の女神の苦悶とブラフマン(神々の王)への請願であった。
「人間が増えすぎたため(その上、勝手な振る舞いをする)、重くて耐えられない。何とかしてほしい」
 ブラフマンは神々に命ずる。
「みな、人間として地上に降り、それぞれの神性を発揮して、女神の苦難を救うように」

 女神が耐えきれずに訴えたりしないことを、祈るばかりであります。  

Posted by 冬野由記 at 19:36Comments(2)徒然なるままに

2010年04月17日

朝ご飯(いつもの洋風茶碗蒸し)


このブログをずっとお読みいただいている皆さんには、もうおなじみの週末の朝ご飯。
洋風茶碗蒸し、または卵のグラタン。
今回の具はソーセージとほうれん草です。

今朝は、なんと雪。
今日は車の12ヶ月点検。
ついでに冬タイヤを夏タイヤに交換してもらう。
雪が舞った日に夏タイヤに交換とは、おかしな春だなあ。

  

Posted by 冬野由記 at 11:14Comments(3)

2010年04月17日

ブロムシュテット

 指揮者は、年を重ねて巨匠化すると、テンポが遅くなって、音楽の構えもゆったりとしてくる人が多い。テンポ感や音楽の持って行き方があまり変わらない人も、もちろんいるわけで、そういう場合「年をとっても若々しさを『失わない』」と言われたりします。
 先週はマーラーの9番、今週はベートーベンのエロイカと、FMで久しぶりにブロムシュテットの指揮を聴いたのですが、壮年期よりも明らかにテンポが速くなっていて、音楽に鋭さが増してきている感じがしたので驚きました。御歳82歳。上に述べたように、年をとってもテンポが変わらないどころか、速くなっているのです。
 以前からシャープで響きの美しい音楽をやる人でした。ポリフォーンな音楽の扱いにはとりわけ素晴らしい手際を見せる人でもありました。ですが、テンポはむしろ速すぎず、透明でありながら豊かな響きをじっくりと聴かせてくれたという印象が強かったので、今回の演奏には意外な感じを持ったのでした。今の若い指揮者たちと比べても、ずいぶん速い。
 マーラーにしてもベートーベンにしても、こんな歯切れのよい演奏は久しぶりに聴いた気がします。それでいて、各声部の扱いやフレージングは入念で、速いわりに一気に突っ走ったとか、さらりと流したという印象がなく、むしろしっかりした味付けの料理を時間をかけて食べたときのような充足感があります。
 その響きの美しさと透明感ゆえに、以前から好きな指揮者でしたが、あらためて惚れなおしたといったところです。

 ブロムシュテットはベジタリアンで、酒、タバコはおろか、コーヒーさえ飲まないのだそうです。ずいぶんとストイックな生活をしているようですが、本人はストイックだとは思っていないかもしれませんね。もっとも、これくらい生活を律する(修道僧のように)には、ある種の強い意志と、それを持続する執着が必要なはずで、禁欲的生き方も、突き詰めれば、享楽的な生き方よりも強くアグレッシヴな欲求や執着(心身を積極的に清浄にしておきたいという欲求)を持たねば貫けないはずです。本質的には、ブロムシュテットは情熱家なんでしょうね。  

Posted by 冬野由記 at 00:25Comments(0)音楽

2010年04月16日

やはり盛り上がってしまって

 やはり盛り上がってしまいました。
 吹奏楽部です。
 新入部員たちが、週末も練習したいというので、日曜日に練習することになりました。
 (もともと日曜に出るつもりだったんですけどね)
 というわけで、あさっては部活指導で出勤です。
 めでたしめでたし。
  

Posted by 冬野由記 at 19:01Comments(0)徒然なるままに

2010年04月16日

部活盛り上がりの予感

 吹奏楽部に入りたいという新入生が5人も来ました。
 (小規模校なので、5人というのは大きい)
 男子もいる。
 (文化系部活は女子が多いのです)
 聞けば、ぼくが昨年度何度か指導に行った近隣の中学校の吹奏楽部の出身者だそうで、ぼくを覚えていて、仲間を募ってやってきたのです。
 経験者もいるし、人数も数名になれば、けっこうしっかりしたアンサンブルくらいにはなりそうです。
 今のところ、全員が金管というのが気にかかりますが、上手に吹ければ金管アンサンブルはかっこいい。
 今年はアンコン(アンサンブルコンテスト)に出られるかもしれないぞ。  

Posted by 冬野由記 at 05:43Comments(0)徒然なるままに

2010年04月15日

春雨桜


春雨に濡れる名残の桜もいいものだ。
春の雨空は、不思議と明るい。


  

Posted by 冬野由記 at 15:02Comments(2)

2010年04月14日

一番乗りと殿

 「との」じゃなくて「しんがり」と読みます。

 『一番乗りと殿(しんがり)』

 つまり、このところ、
 ――朝は最初に職場に入り、夜は最後に職場を出る。
 そういうパターンが常態化してきているということです。

 愚痴っているのではありません。
 これが、けっこう快適なリズムだったりする…。

 5時に起きる。
 7時に職場入りする。誰も来ていない。
 なんだか飛び回っているうちに5時になる。
 今日も、部活希望者が来たので、いろいろとやっていたら5時をまわっていた。
 そのあと、ゆっくりとデスクワークする。
 さて、そろそろ…と思ったら8時前くらいになっている。
 もう、誰も残っていない。

 一番乗りと殿。
 静かに仕事もできるし、なかなかいいものですな。  

Posted by 冬野由記 at 21:34Comments(2)徒然なるままに

2010年04月14日

春の宵…か。



今日も居残り(残業)だな。
春の宵…だな。

写真は夕暮れの筑波山と、昼下がりに撮った桜。


  

Posted by 冬野由記 at 18:34Comments(2)

2010年04月13日

春の嵐 名残の桜




昨日から未明までの風雨で、桜がだいぶ散った。
でも、葉桜混じりの、こんな桜もいい。
散った花びらを従えて、春の黄色が現れた。
色も移る。
季節も移る。

  

Posted by 冬野由記 at 15:10Comments(4)

2010年04月11日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その23)

《サムソン その23》


 デリラの館を焼いたのは、ペリシテの市民たちだ。
 ティムナ近郊の農地がイスラエルの暴徒たちによって焼き払われた時、人々の間を駆け巡った噂はすでにサムソンが暴徒たちの首魁であると告げていた。ペリシテ人(びと)たちは驚き、慄いた。

 ――なぜ、あのサムソンが、私たちの農地を焼くのか?

 ペリシテはこの地域の宗主として、服属する諸民族とは巧くやってきたはずだった。イスラエル人の自治も信仰も抑えつけることはせず、そのかわりに税は徴収したが、格別イスラエル人を虐げることもしていない。多少の軋轢はあったかもしれないが、イスラエルもペリシテの統治を受け容れ、ユタの地におさまっていた。しかも、サムソンは、ペリシテの統治に不満を持つ若者たちを抑えて、ペリシテとの友好関係を保とうとしている有力者であるはずだ。そのサムソンが、なぜペリシテに害をなすのか。
 そのうち、ティムナで起きた事件が人々の耳に入った。

 ――ティムナの者たちがサムソンを婚礼の席で辱めた。
 ――そればかりか、舅は娘を婿から取りあげて、婿の友に与えたと言うぞ。
 ――サムソンは怒り、友を殺して逃げた。
 ――そして農地を焼いた。
 ――彼らがサムソンを怒らせた。

 この災厄の元凶が、同胞のサムソンに対する仕打ちであると知った時の彼らの怒りは凄まじかった。周辺の諸都市から激高した市民たちがティムナに殺到し、デリラの家を焼き払い、姉も父も殺してしまったのである。

 焼け跡に立ちすくむデリラを罵っていた市民たちも、やがて、この少女を哀れに思った。考えてみれば、彼女はその幼い身体に父や姉の犯した罪を背負って、あのイスラエルの暴徒たちの生贄になったようなものだ。誰かが言った。

 ――ガザに行け。

 ガザには神殿がある。領主たちも集まっていよう。ガザにおもむいて領主たちにサムソンの居場所を告げろと、そういうことか。勝手なものだ。
 何も言わず、ガザに向かって歩きはじめたデリラは、身体の奥底で冷たく嗤った。
 サムソンもお前たちも、サムソンの神もお前たちの神も、どちらも滅びればよい。

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 23:04Comments(0)短編小説

2010年04月11日

ハーバードの講義

NHK教育で日曜日の6時(つまり今ですが)からやっている「ハーバード大学の白熱教室」がなかなか面白い。
ハーバードの公開人気講義を放映しているのだが、久しぶりに大学に顔を出した気分になる。大学も学生も、そして教授も、こうあってほしいものだ。
ついでに、高校の授業も少しでも、こんなふうにできたらなぁ。
  

Posted by 冬野由記 at 18:15Comments(0)

2010年04月11日

静かな休日出勤


誰も居ない。
静かな休日出勤。
ときおり、建物から出て春風に遊ぶ。
毎日がこんな具合なら言うことなしだが…。
仕事ははかどるな、確かに。

  

Posted by 冬野由記 at 11:36Comments(4)

2010年04月10日

大仏開眼2

「大仏開眼」の後編を観た。
美しいドラマだった。
吉備真備が好きになってしまった。
聖武天皇の行幸についても――平城京を出た理由も戻った理由も――それなりの解を出してみせてくれた。
史実はどうであれ、あらたな人物像や視点といった発見をもたらしてくれる、そんなドラマや小説は嬉しい。
ドラマの「吉備真備」という人物像に託された生き方が美しい。
印象的な台詞もたくさんあった。
「これまでのことは、これからのためにあったのだと思ってほしい」
「皇女(みこ)が大王(おおきみ)になれば、それは私の誇りになる」
『皇女』と『大王』のところを他の言葉に替えれば、そのまま、ぼくがある人にかつて言った言葉でもある。真備(吉岡秀隆)が言ったときはびっくりしたなあ。
なんだか自分に染み込んでいったドラマだった。
吉備真備、なんだか好きになってしまったなあ。  

Posted by 冬野由記 at 21:36Comments(0)徒然なるままに