2008年10月31日
リコーダーアンサンブル コンサート
今年の冬も、私が所属する「麻布リコーダーアンサンブル」のクリスマスコンサートが催されますので、ご案内を。
お近くにおいでになる機会がある方はぜひお立ち寄りくださいませ。
六本木ルーテル教会
山谷マリヤ食堂支援
麻布リコーダーアンサンブル
第3回クリスマスチャリティーコンサート
出演
麻布リコーダーアンサンブルと仲間たち
演奏曲目(予定)
「ファエンツァ写本から」
ハープ独奏/塚原 真里子
「笛2本による<冬の贈り物>」
リコーダー2重奏/デュオねこまたぎ
「クラルサッハとスコティッシュソング」
愛しきグレゴール,ダンディーのバグパイパー,お手をどうぞ,美しきドゥーン川の岸辺
ハープと歌/Cruit mo chridh
「<オデカトン>より15世紀の3声の音楽」
「リコーダー合奏によるバッハ<イエスわが喜び>」
麻布リコーダーアンサンブル
日時
2008年12月7日(日)午後3時から(5時終演予定)
場所
日本ルーテル教団六本木教会(港区六本木6-16-44)
(http://www.roppongilutheran.org/)
地下鉄 日比谷線・大江戸線 六本木駅 徒歩15分
南北線・大江戸線 麻布十番駅 徒歩15分
料金
1000円(自由席)
お問い合わせは、わたくし冬野由記まで
(サイドバーの「オーナーへメッセージ」をご利用ください。)
お近くにおいでになる機会がある方はぜひお立ち寄りくださいませ。
六本木ルーテル教会
山谷マリヤ食堂支援
麻布リコーダーアンサンブル
第3回クリスマスチャリティーコンサート
出演
麻布リコーダーアンサンブルと仲間たち
演奏曲目(予定)
「ファエンツァ写本から」
ハープ独奏/塚原 真里子
「笛2本による<冬の贈り物>」
リコーダー2重奏/デュオねこまたぎ
「クラルサッハとスコティッシュソング」
愛しきグレゴール,ダンディーのバグパイパー,お手をどうぞ,美しきドゥーン川の岸辺
ハープと歌/Cruit mo chridh
「<オデカトン>より15世紀の3声の音楽」
「リコーダー合奏によるバッハ<イエスわが喜び>」
麻布リコーダーアンサンブル
日時
2008年12月7日(日)午後3時から(5時終演予定)
場所
日本ルーテル教団六本木教会(港区六本木6-16-44)
(http://www.roppongilutheran.org/)
地下鉄 日比谷線・大江戸線 六本木駅 徒歩15分
南北線・大江戸線 麻布十番駅 徒歩15分
料金
1000円(自由席)
お問い合わせは、わたくし冬野由記まで
(サイドバーの「オーナーへメッセージ」をご利用ください。)
タグ :リコーダー
2008年10月26日
カレーの龍
今夜、ふと思い出したのです。
昔、郷里の住まいの近くに「カレーの龍」というカレー専門店がありました。
隣県や、海峡の向こうからも、わざわざ食べに来る人がいるというお店でした。
一度、ためしにと、食べに行ったことがあります。
インド風というのでも、なにか目につく変わったところがあるでもなく、まったくのシンプルなカレーです。
金属のお皿に、よくある型にこんもりと盛ったご飯とカレーソース。
具は、ややおおぶりの角切りにされた牛肉がひとつだけ。(ただ、この肉はすっかり煮込まれていて、とろりと溶けてしまいそうな柔らかさですが) 野菜などはありません・・・というより、ソースにすっかり煮溶けているのでしょう。
つまり、ただ、ひたすら「カレーライス」なのです。
しかし、そのカレーソースは、ちょっと家庭はもちろん、他では食べたことがない風味がありました。残念なことにこの「味」をリアルに言葉でつづる力を、ぼくは持ちえないのですが、格別変わった味というのではありません。小麦粉と油で仕込んだルーに、たぶんオリジナルの配合をされたカレー粉、野菜などでじっくりと熟成させたのでしょうが・・・まさしく「日本式カレー」以外の何物でもありえないのに、決して日本のどこにもない(似たものさえない)カレー、という言い方でおわかりいただけるでしょうか。
「かつて一度も起きたことはなく、しかも常に起きているところのもの」
これは、さる高名な学者が『神話』について定義してみせたお言葉なのですが、『龍』のカレーに、こういう言葉を連想してしまったのでした。・・・と言うと、あたかも「『龍』のカレーは『神話』である」と言ったかのごとくですが、もちろん、そんな大げさな話をしているわけではありません。
も少し『目線』を変えて、ほかの譬えをさぐってみると、そうそう、こんなのはいかがでしょう。
よく演歌やスタンダードなポップスの名手にいるでしょう。どこといって目立った個性を感じさせるわけではないのだけれど、その人が歌うと、ただただ「ああ、いい歌だなあ」と確かな聴きごたえを感じる。何年も何年も経ってみると、ああ、あの人は大歌手だったんだなあ、と思い返される、といった人。そんな感じ・・・ああ、これじゃ「演歌の龍」の世界だなあ・・・
最近、いわゆるB級モノも含めて、各地の食べ物屋さんがテレビやなんかで採りあげられることは多いけれど、たいていは際立った個性や、素材のすばらしさをクローズアップした、いわば「個性派」ぞろいですね。「何の変哲もないけれど、ただただ美味しく忘れ難い」お店というのは、やはり採りあげにくいでしょうね。コメンテーターもコメントしようがないものね。
郷里の駅前あたりもだいぶ再開発されたと聞いたけれど、
『カレーの龍』
まだ、あるかなあ。
あの横丁に。
昔、郷里の住まいの近くに「カレーの龍」というカレー専門店がありました。
隣県や、海峡の向こうからも、わざわざ食べに来る人がいるというお店でした。
一度、ためしにと、食べに行ったことがあります。
インド風というのでも、なにか目につく変わったところがあるでもなく、まったくのシンプルなカレーです。
金属のお皿に、よくある型にこんもりと盛ったご飯とカレーソース。
具は、ややおおぶりの角切りにされた牛肉がひとつだけ。(ただ、この肉はすっかり煮込まれていて、とろりと溶けてしまいそうな柔らかさですが) 野菜などはありません・・・というより、ソースにすっかり煮溶けているのでしょう。
つまり、ただ、ひたすら「カレーライス」なのです。
しかし、そのカレーソースは、ちょっと家庭はもちろん、他では食べたことがない風味がありました。残念なことにこの「味」をリアルに言葉でつづる力を、ぼくは持ちえないのですが、格別変わった味というのではありません。小麦粉と油で仕込んだルーに、たぶんオリジナルの配合をされたカレー粉、野菜などでじっくりと熟成させたのでしょうが・・・まさしく「日本式カレー」以外の何物でもありえないのに、決して日本のどこにもない(似たものさえない)カレー、という言い方でおわかりいただけるでしょうか。
「かつて一度も起きたことはなく、しかも常に起きているところのもの」
これは、さる高名な学者が『神話』について定義してみせたお言葉なのですが、『龍』のカレーに、こういう言葉を連想してしまったのでした。・・・と言うと、あたかも「『龍』のカレーは『神話』である」と言ったかのごとくですが、もちろん、そんな大げさな話をしているわけではありません。
も少し『目線』を変えて、ほかの譬えをさぐってみると、そうそう、こんなのはいかがでしょう。
よく演歌やスタンダードなポップスの名手にいるでしょう。どこといって目立った個性を感じさせるわけではないのだけれど、その人が歌うと、ただただ「ああ、いい歌だなあ」と確かな聴きごたえを感じる。何年も何年も経ってみると、ああ、あの人は大歌手だったんだなあ、と思い返される、といった人。そんな感じ・・・ああ、これじゃ「演歌の龍」の世界だなあ・・・
最近、いわゆるB級モノも含めて、各地の食べ物屋さんがテレビやなんかで採りあげられることは多いけれど、たいていは際立った個性や、素材のすばらしさをクローズアップした、いわば「個性派」ぞろいですね。「何の変哲もないけれど、ただただ美味しく忘れ難い」お店というのは、やはり採りあげにくいでしょうね。コメンテーターもコメントしようがないものね。
郷里の駅前あたりもだいぶ再開発されたと聞いたけれど、
『カレーの龍』
まだ、あるかなあ。
あの横丁に。
タグ :カレー
2008年10月23日
2008年10月19日
2008年10月16日
紅葉登山記(吾妻)
初心者をふくむ何人かを案内しての紅葉登山記です。
≪一日目≫
8:30
予定通り、浄土平に集合。
紅葉が見ごろとあって、駐車場もかなり車が入っている。ただ、予定通り早めに到着したので、余裕。
参加者は、はやばやと営業を始めていたお店で焼き芋を入手、少し腹ごしらえ。
荷物、足回りをチェック。前日に少し雨が降ったらしいが、好天続きだったので、靴は履きなれた底厚のスニーカーでよしとする。ザックを持っていない参加者には、予備のザックをわたし、荷物の詰め替え。雨具も配布。ただし、お天気は良いのであくまで風除け。
ビジターセンターで状況を確認後、コースを仮決め。
まず、一切経山を目指し、その後に疲れ具合などをはかりながらコースを調整することにした。
9:00
浄土平を出発。一切経山を目指す。
気温は低く、風もあるので顔がかなり冷たいが、暴風というほどではないので、落ち着いてゆっくり登る。
最初がかなり急な岩だらけの道。休み休み進む。
一切経山の頂上が見えてくると、ようやく道がなだらかになる。
《一切経山頂へ》
このあたりの風はやや落ち着いている。
途中、バテ気味だった初心者さんも元気を取り戻したようだ。
一切経山へのルートは岩だらけで、あまり緑や紅葉はない。
10:30
一切経山頂上。
初心者ながら、ほぼ順調なタイムで山頂に着いた。たいしたものだ。
ここは風が強い。
しかし、おかげで、霧におおわれがちな山頂が晴れ渡っている。
一切経山頂からは、浄土平の向かい側にある吾妻小富士が見下ろせる。
《一切経山から吾妻小富士を見下ろす》
一切経山頂の先までゆくと「五色沼」を見下ろすこともできる。五色沼というと裏磐梯の同名の湖沼群が有名だが、この五色沼は山中の孤立した沼。
風で霧が飛んで、「魔女の瞳」とも呼ばれる碧い沼が鮮やかな姿をみせている。
《五色沼 ―― 魔女の瞳》
10:45
一切経山から、いったん来た道をくだり、酸が平・鎌沼方面に向かう。
ゆるやかな下りで、一切経山までのかなり急峻な上りで苦労した参加者も楽しげ。
《一切経山から酸が平へ》
酸が平が近づいてくると、徐々に紅葉が目につき始める。
《酸が平までもうすぐ》
11:30
酸が平小屋に到着。
ここで昼食をとる。
小屋に入り、ガスコンロを使ってシチューもどきを作った。
まず小さな鍋に持参したミネラルウォーターを沸かす。
90秒でゆであがるパスタを投入し、
あらかじめ油で炒めて瓶詰にしてきたベーコンと野菜(たまねぎ、ジャガイモ、ニンジン)を加え、
火が通ったら、粉末タイプのシチューの素を加える。
ただそれだけだが、かなり美味しい。山でガスを使う時には、たいていこれを作る。
このシチューもどきとバケットが昼食。バケットを切り分けて皆でシチューもどきを食べる。
食後はふたたびお湯を沸かし、これも前夜に粗挽きして持ってきたコーヒー豆でドリップコーヒーを淹れた。
ここで、参加者の疲労度や足の具合を確認。
相談して、午後は、東吾妻山はやめて、鎌沼周辺を歩いた後は浄土平に下山ルートをとることにした。
東吾妻山からの眺望をあきらめるのは惜しいが、酸が平や下山ルートの紅葉をゆっくり見ながら下山するのも悪くない。
12:15
片づけて、小屋を出る。
まずは、酸が平の木道を鎌沼に向かって歩く。
《酸が平から酸が平小屋方面を望む》
12:30
鎌沼周辺を散策後、酸が平から浄土平への下山路をとる。
下山路は、あたりの紅葉、黄葉がちょうど見ごろで、実に楽しく目ににぎやかな下りになった。
《浄土平への下山路》
《紅葉の下山路》
ススキ野原もあって、この下山路は飽きない。下山で飽きの着ない道というのも珍しいかもしれない。
《ススキ野原》
一時間も歩けば、浄土平はもうすぐ。浄土平付近も紅葉が盛り。
《浄土平はもうすぐ》
13:30
浄土平に到着。
浄土平で第二の昼食をとるつもりだったが、この時期、この時間、かなり混み合っている。駐車場も満車で、臨時駐車場も混雑している。レストハウスの食道は満員で列ができているほど。そこで、少しゆっくりして(朝購入した焼き芋がまだ残っていたので、それを食べて)から、宿に向かう。
宿は、猪苗代湖近くのリゾートで、格安の素泊まり。(コンドミニアム式)温泉もある。合宿みたいな感じである。
夕食は、自炊は面倒というクチには、安くあげるためにも「居酒屋」をお勧めする。リゾート施設内の「レストラン」はけっこう豪勢で高くつくものであるが、居酒屋はいずこもリーズナブルなのだ。
そんなわけで、リゾート内の居酒屋で夕食をとった。値段以上に「居酒屋」のいいところは、いろいろなおかず=おつまみを少しずつ注文して、みんなで食べることができる。少しずつでてくるので、ゆっくりしっかり、おしゃべりしながら楽しく食べることができる。など、利点は多いのです。
夕食後は、当然、そのままバタンキュー。爆睡。
≪二日目≫
相談の結果、二日目は、疲れをいやすため、会津をゆっくり周遊することにした。
だから、二日目は「山登り」ではありません。悪しからず。
まず、金山町にある「井村君江妖精美術館」に向かう。
知る人ぞ知る?「妖精」に関する専門の美術館である。金山町の山上の沼沢湖という湖の湖畔にある。キャンプ場もあるような辺鄙なところにこんな美術館が、という穴場です。井村君江はアイルランドの妖精文学の世界では、これも知る人ぞ知る権威なのです。
妖精美術館でたっぷり楽しんだ(予想以上に時間をかけて)あと、会津若松市内に向かう。
ここで、なじみの蕎麦屋で新蕎麦を・・・と思ったら、その蕎麦屋さん「すず勘」が閉店していた!
で、近くに新しい蕎麦屋さんが開店していたので、そちらで昼食をとった。この店もなかなか美味しい。
・・・と、蕎麦屋さんの名前を記憶しておくのを忘れてしまった。(複雑な言い回しですね。私は、念じておかないと「名前」を忘れてしまうのです)でも、場所は記憶しているので、今度来たら名前をおぼえておこう。
あとは、若松の町をみんなでうろついた。
私は、ちょっとだけ、みんながお土産ショッピングに歩いている間、別行動。
これも何度か訪れた「会津一番館」というカフェでケーキセットを・・・(甘党でもあるのです) ひとりで楽しませていただきました。会津一番館は、むかし野口英世が下宿していた建物の一階にあるレトロなカフェで、店内には昔の小道具なんかがさりげなく置かれていて落ち着きます。コーヒーがマグカップで出てくるのですが、ちょっと京都のイノダみたいな感じで、なかなか美味しいのです。
そんなこんなで、みんなのショッピングが終わったところで、家路についたのでした。
いい天気に恵まれました。
≪一日目≫
8:30
予定通り、浄土平に集合。
紅葉が見ごろとあって、駐車場もかなり車が入っている。ただ、予定通り早めに到着したので、余裕。
参加者は、はやばやと営業を始めていたお店で焼き芋を入手、少し腹ごしらえ。
荷物、足回りをチェック。前日に少し雨が降ったらしいが、好天続きだったので、靴は履きなれた底厚のスニーカーでよしとする。ザックを持っていない参加者には、予備のザックをわたし、荷物の詰め替え。雨具も配布。ただし、お天気は良いのであくまで風除け。
ビジターセンターで状況を確認後、コースを仮決め。
まず、一切経山を目指し、その後に疲れ具合などをはかりながらコースを調整することにした。
9:00
浄土平を出発。一切経山を目指す。
気温は低く、風もあるので顔がかなり冷たいが、暴風というほどではないので、落ち着いてゆっくり登る。
最初がかなり急な岩だらけの道。休み休み進む。
一切経山の頂上が見えてくると、ようやく道がなだらかになる。
《一切経山頂へ》
このあたりの風はやや落ち着いている。
途中、バテ気味だった初心者さんも元気を取り戻したようだ。
一切経山へのルートは岩だらけで、あまり緑や紅葉はない。
10:30
一切経山頂上。
初心者ながら、ほぼ順調なタイムで山頂に着いた。たいしたものだ。
ここは風が強い。
しかし、おかげで、霧におおわれがちな山頂が晴れ渡っている。
一切経山頂からは、浄土平の向かい側にある吾妻小富士が見下ろせる。
《一切経山から吾妻小富士を見下ろす》
一切経山頂の先までゆくと「五色沼」を見下ろすこともできる。五色沼というと裏磐梯の同名の湖沼群が有名だが、この五色沼は山中の孤立した沼。
風で霧が飛んで、「魔女の瞳」とも呼ばれる碧い沼が鮮やかな姿をみせている。
《五色沼 ―― 魔女の瞳》
10:45
一切経山から、いったん来た道をくだり、酸が平・鎌沼方面に向かう。
ゆるやかな下りで、一切経山までのかなり急峻な上りで苦労した参加者も楽しげ。
《一切経山から酸が平へ》
酸が平が近づいてくると、徐々に紅葉が目につき始める。
《酸が平までもうすぐ》
11:30
酸が平小屋に到着。
ここで昼食をとる。
小屋に入り、ガスコンロを使ってシチューもどきを作った。
まず小さな鍋に持参したミネラルウォーターを沸かす。
90秒でゆであがるパスタを投入し、
あらかじめ油で炒めて瓶詰にしてきたベーコンと野菜(たまねぎ、ジャガイモ、ニンジン)を加え、
火が通ったら、粉末タイプのシチューの素を加える。
ただそれだけだが、かなり美味しい。山でガスを使う時には、たいていこれを作る。
このシチューもどきとバケットが昼食。バケットを切り分けて皆でシチューもどきを食べる。
食後はふたたびお湯を沸かし、これも前夜に粗挽きして持ってきたコーヒー豆でドリップコーヒーを淹れた。
ここで、参加者の疲労度や足の具合を確認。
相談して、午後は、東吾妻山はやめて、鎌沼周辺を歩いた後は浄土平に下山ルートをとることにした。
東吾妻山からの眺望をあきらめるのは惜しいが、酸が平や下山ルートの紅葉をゆっくり見ながら下山するのも悪くない。
12:15
片づけて、小屋を出る。
まずは、酸が平の木道を鎌沼に向かって歩く。
《酸が平から酸が平小屋方面を望む》
12:30
鎌沼周辺を散策後、酸が平から浄土平への下山路をとる。
下山路は、あたりの紅葉、黄葉がちょうど見ごろで、実に楽しく目ににぎやかな下りになった。
《浄土平への下山路》
《紅葉の下山路》
ススキ野原もあって、この下山路は飽きない。下山で飽きの着ない道というのも珍しいかもしれない。
《ススキ野原》
一時間も歩けば、浄土平はもうすぐ。浄土平付近も紅葉が盛り。
《浄土平はもうすぐ》
13:30
浄土平に到着。
浄土平で第二の昼食をとるつもりだったが、この時期、この時間、かなり混み合っている。駐車場も満車で、臨時駐車場も混雑している。レストハウスの食道は満員で列ができているほど。そこで、少しゆっくりして(朝購入した焼き芋がまだ残っていたので、それを食べて)から、宿に向かう。
宿は、猪苗代湖近くのリゾートで、格安の素泊まり。(コンドミニアム式)温泉もある。合宿みたいな感じである。
夕食は、自炊は面倒というクチには、安くあげるためにも「居酒屋」をお勧めする。リゾート施設内の「レストラン」はけっこう豪勢で高くつくものであるが、居酒屋はいずこもリーズナブルなのだ。
そんなわけで、リゾート内の居酒屋で夕食をとった。値段以上に「居酒屋」のいいところは、いろいろなおかず=おつまみを少しずつ注文して、みんなで食べることができる。少しずつでてくるので、ゆっくりしっかり、おしゃべりしながら楽しく食べることができる。など、利点は多いのです。
夕食後は、当然、そのままバタンキュー。爆睡。
≪二日目≫
相談の結果、二日目は、疲れをいやすため、会津をゆっくり周遊することにした。
だから、二日目は「山登り」ではありません。悪しからず。
まず、金山町にある「井村君江妖精美術館」に向かう。
知る人ぞ知る?「妖精」に関する専門の美術館である。金山町の山上の沼沢湖という湖の湖畔にある。キャンプ場もあるような辺鄙なところにこんな美術館が、という穴場です。井村君江はアイルランドの妖精文学の世界では、これも知る人ぞ知る権威なのです。
妖精美術館でたっぷり楽しんだ(予想以上に時間をかけて)あと、会津若松市内に向かう。
ここで、なじみの蕎麦屋で新蕎麦を・・・と思ったら、その蕎麦屋さん「すず勘」が閉店していた!
で、近くに新しい蕎麦屋さんが開店していたので、そちらで昼食をとった。この店もなかなか美味しい。
・・・と、蕎麦屋さんの名前を記憶しておくのを忘れてしまった。(複雑な言い回しですね。私は、念じておかないと「名前」を忘れてしまうのです)でも、場所は記憶しているので、今度来たら名前をおぼえておこう。
あとは、若松の町をみんなでうろついた。
私は、ちょっとだけ、みんながお土産ショッピングに歩いている間、別行動。
これも何度か訪れた「会津一番館」というカフェでケーキセットを・・・(甘党でもあるのです) ひとりで楽しませていただきました。会津一番館は、むかし野口英世が下宿していた建物の一階にあるレトロなカフェで、店内には昔の小道具なんかがさりげなく置かれていて落ち着きます。コーヒーがマグカップで出てくるのですが、ちょっと京都のイノダみたいな感じで、なかなか美味しいのです。
そんなこんなで、みんなのショッピングが終わったところで、家路についたのでした。
いい天気に恵まれました。
2008年10月11日
2008年10月09日
七瀬ふたたび
「七瀬ふたたび」を観ました。
昔、少年ドラマシリーズで観たのはいったい何年前だったろうか・・・四半世紀は経っていますよね。
昔みたときの七瀬は多岐川裕美さんだったから・・・やっぱり、ずいぶん昔に違いない。
今回の「七瀬ふたたび」は、ずいぶん演出も凝っていて、終始緊張感がただよっていました。
来週もしっかり観たくなりました。
昔、少年ドラマシリーズで観たのはいったい何年前だったろうか・・・四半世紀は経っていますよね。
昔みたときの七瀬は多岐川裕美さんだったから・・・やっぱり、ずいぶん昔に違いない。
今回の「七瀬ふたたび」は、ずいぶん演出も凝っていて、終始緊張感がただよっていました。
来週もしっかり観たくなりました。
タグ :七瀬ふたたび
2008年10月07日
名優
緒形拳が亡くなったという。
肝臓癌だったことを公開しないまま、この数年、あの円熟した存在感あふれる姿を銀幕やテレビを通して私たちにみせてくれていたのだという。
かけねなしに、名優と呼べるすばらしい役者だった。
一度だけ、新国劇での舞台姿を拝見したことがある。
小柄なのに、それに悪役だったけれど、あの島田正吾や辰巳柳太郎にも決して負けないすばらしい存在感があった。
映画やテレビでの名演については、あれこれここで書きならべる必要もないだろう。
そういえば、先日亡くなった吉田直哉とも縁の深い役者だった。
センセーションを巻き起こした大河「太閤記」や「義経」は、吉田と緒形の記念碑でもある。
高貴、高潔な人物、策謀家、悪逆非道、朴訥、卑しい性根・・・そして凡庸、あらゆる「人間」を体現することができた。
名優という呼称がこれほどあてはまる人を、すぐには思い当たらない。
すばらしい役者だった。
肝臓癌だったことを公開しないまま、この数年、あの円熟した存在感あふれる姿を銀幕やテレビを通して私たちにみせてくれていたのだという。
かけねなしに、名優と呼べるすばらしい役者だった。
一度だけ、新国劇での舞台姿を拝見したことがある。
小柄なのに、それに悪役だったけれど、あの島田正吾や辰巳柳太郎にも決して負けないすばらしい存在感があった。
映画やテレビでの名演については、あれこれここで書きならべる必要もないだろう。
そういえば、先日亡くなった吉田直哉とも縁の深い役者だった。
センセーションを巻き起こした大河「太閤記」や「義経」は、吉田と緒形の記念碑でもある。
高貴、高潔な人物、策謀家、悪逆非道、朴訥、卑しい性根・・・そして凡庸、あらゆる「人間」を体現することができた。
名優という呼称がこれほどあてはまる人を、すぐには思い当たらない。
すばらしい役者だった。
タグ :緒形拳
2008年10月06日
キリ番記念品
だいぶ経ってしまいましたが、77777キリ番の記念品が、先日、ニアピン賞の松田様に届いたとのお知らせをいただきましたので、お許しを得て公開させていただきます。
「農(みのり) 稲2008」 (パステル B4)
秋の記念品ということで、稲をイメージしました。
さて、次のキリ番は「88888」です。
その時がきたら、あらためてご案内しますね。
「農(みのり) 稲2008」 (パステル B4)
秋の記念品ということで、稲をイメージしました。
さて、次のキリ番は「88888」です。
その時がきたら、あらためてご案内しますね。
タグ :キリ番
2008年10月05日
吉田直哉氏逝く
今朝の新聞に、吉田直哉氏の訃報が載っていました。
77歳。まだ若い。
NHKのドキュメンタリー制作、というより日本のテレビドキュメンタリー界の草分けでした。
大河ドラマの演出も手がけたのですが、そのドキュメンタリー的手法は当時おおくの人を驚かせたそうです。今日の「大河」をはじめとして歴史ドラマが学術的側面を強く持っている、そのさきがけとなりました。
少年の頃、高校でOBが来校して講演するという催しが毎年ありました。その中で、NHKのプロデューサーが講演したことがあり、その際に彼の言った言葉が印象的でした。
「先輩から言われた。『誰にでもど真ん中のストレートが飛んでくることが1回はある。それを逃さずに打てば、生涯にひとつはヒット作を作れる』 ぼくにもそんなチャンスが来ると信じてます。もっとも、1本どころか、作る作品がことごとくヒットする人も中にはいる。吉田直哉は・・・あれは別格だな。ヒットどころかホームラン連発ですから」
そのころすでに「吉田直哉」という名前は、高校生だった私にも忘れられない名前になっていました。
「未来への遺産」というドキュメンタリーの制作者としてです。
そして、そのおよそ10年後に制作された「21世紀は警告する」も忘れ難い、というか今、あらためて観なおしたい作品です。
たしか、そのシリーズの初回のテーマは「民族と国家」だったと記憶しています。(タイトルは忘れましたが)
―― 民族と国家の枠組みの乖離が、かつては必ずしも問題にならなかったが、20世紀において民族の自立やナショナリズムがかつてないほど高まりを見せ、あらゆる国際紛争の火種になっている。この問題を、このまま21世紀に積み残せば世界は収拾のつかない混乱に陥る。 民族と国家の乖離を解決しなければならない(民族自決)のか、民族感情を抑圧せずに包含するあらたな国家理念(グローバル国家)を打ち立てなければならないのか ――
翌日の朝刊の講評には、この番組の内容を評価しながらも
「今、20世紀から21世紀への最大の問題は『核』であるはずだ。初回には核問題を採りあげるべきであった。なぜ『民族』なのか・・・」
という注文がついていました。
その記事を読んだ私は 「そうだろうか? 吉田氏は戦争の姿や道具や利害ではなく、そのもっと奥にある心の問題を採りあげ、そこに目がゆきとどいていない、まさにその点を『警告』したのではないだろうか」と感じました。
今、21世紀に入って8年が経ちました。
イラクをはじめとする中東のみならず、中国や東南アジアでも、アフリカでも、欧州でも、アメリカでも民族問題はあらゆる紛争の種となっています。山火事のように、ときに燃え上がり、おさまったかにみえても決して消えることなくくすぶり続けています。民族問題は21世紀に積み残されました。
「21世紀は警告する」
私にとって、吉田直哉という名前の、もっとも鮮やかな記憶を刻んだ番組でした。
77歳。まだ若い。
NHKのドキュメンタリー制作、というより日本のテレビドキュメンタリー界の草分けでした。
大河ドラマの演出も手がけたのですが、そのドキュメンタリー的手法は当時おおくの人を驚かせたそうです。今日の「大河」をはじめとして歴史ドラマが学術的側面を強く持っている、そのさきがけとなりました。
少年の頃、高校でOBが来校して講演するという催しが毎年ありました。その中で、NHKのプロデューサーが講演したことがあり、その際に彼の言った言葉が印象的でした。
「先輩から言われた。『誰にでもど真ん中のストレートが飛んでくることが1回はある。それを逃さずに打てば、生涯にひとつはヒット作を作れる』 ぼくにもそんなチャンスが来ると信じてます。もっとも、1本どころか、作る作品がことごとくヒットする人も中にはいる。吉田直哉は・・・あれは別格だな。ヒットどころかホームラン連発ですから」
そのころすでに「吉田直哉」という名前は、高校生だった私にも忘れられない名前になっていました。
「未来への遺産」というドキュメンタリーの制作者としてです。
そして、そのおよそ10年後に制作された「21世紀は警告する」も忘れ難い、というか今、あらためて観なおしたい作品です。
たしか、そのシリーズの初回のテーマは「民族と国家」だったと記憶しています。(タイトルは忘れましたが)
―― 民族と国家の枠組みの乖離が、かつては必ずしも問題にならなかったが、20世紀において民族の自立やナショナリズムがかつてないほど高まりを見せ、あらゆる国際紛争の火種になっている。この問題を、このまま21世紀に積み残せば世界は収拾のつかない混乱に陥る。 民族と国家の乖離を解決しなければならない(民族自決)のか、民族感情を抑圧せずに包含するあらたな国家理念(グローバル国家)を打ち立てなければならないのか ――
翌日の朝刊の講評には、この番組の内容を評価しながらも
「今、20世紀から21世紀への最大の問題は『核』であるはずだ。初回には核問題を採りあげるべきであった。なぜ『民族』なのか・・・」
という注文がついていました。
その記事を読んだ私は 「そうだろうか? 吉田氏は戦争の姿や道具や利害ではなく、そのもっと奥にある心の問題を採りあげ、そこに目がゆきとどいていない、まさにその点を『警告』したのではないだろうか」と感じました。
今、21世紀に入って8年が経ちました。
イラクをはじめとする中東のみならず、中国や東南アジアでも、アフリカでも、欧州でも、アメリカでも民族問題はあらゆる紛争の種となっています。山火事のように、ときに燃え上がり、おさまったかにみえても決して消えることなくくすぶり続けています。民族問題は21世紀に積み残されました。
「21世紀は警告する」
私にとって、吉田直哉という名前の、もっとも鮮やかな記憶を刻んだ番組でした。
タグ :吉田直哉
2008年10月01日
省エネ運転あなどれず
最近、遅まきながら、省エネ運転に血道をあげています。
何せ、片道50km、往復100kmを毎日通っているのですから、燃料費に気を配らないほうがおかしいですよね。
以前はコンパクトカーだったので、「18km/l」で当然と思っていたのですが、今思うと「20km/l」を達成できていたのではないかと、少し後悔しているところです。
さて、この春から、荷物と人をたくさん載せる必要が生じたのと、ディーラーさんからの有利な提案もあって、1800ccのステーションワゴン「ウィッシュ」に替えました。
当初は「15.5km/l」くらいで走って「このクラスなら、これでも立派なもの」とそれほど不満に思っていなかったのですが、最近、思い立って入念な運転をしてみると、あっという間に「16.5km/l」とリッターあたり1kmも走行距離が改善してしまいました。驚いた私は、その後も工夫を重ねて、今は「17.5km/l」。もう少し努力すれば「18km/l」も十分目標射程内というところまで来ています。
「18km/l」といえば、前のコンパクトカー(1000ccの「ヴィッツ」)に乗っていたころと同じ値です。
少しでも安価なガソリンスタンドを探して給油したとしても、リッターあたり2円程度安くなったとして、50リットル給油して100円安くなるだけです。
ところが、リッターあたりの走行距離が2km伸びれば、50リットルあたり100km走行距離が延びることになります。1割以上の燃費削減になるではありませんか。金額にして、一回の給油で1000円程度は節約できたことになりますよね。
これは大きい。
省エネ運転といっても、トリッキーなことをしているわけではありません。いろいろと試しながら、効果のあった運転は積極的に採用し、燃費を悪くする状況があれば、それを改善する、その繰り返しです。具体的には
・急加速、急発進はしない。(これはあたりまえ)
・加速時の目安を回転数を気にしながら決める。たとえば1500回転を超えない加速をする、とか、発進時に時速20kmまで4秒から5秒くらい時間をかける、とか。
・順調に走行しているときの速度を60km程度に安定させる。高速では時速80kmから90kmで走る。
・ブレーキを使いすぎないように、車間をあける。前の車が減速しても余裕でエンジンブレーキで少し減速すれば済みます。
信号が変わりそうなときは遠くからでも、アクセルから足を離して、エンジンブレーキで減速する。
要は、止まらない+速すぎない運転を心掛けるわけです。
・下り坂ではアクセルから足を離す。ブレーキも使わず、エンブレで速度を安定させ、スピードが上がりすぎないようにする。
・気がつかないほどの緩い下りや、平坦で減速しない道を見極めて、アクセルを踏まずにすむ場所ではアクセルから足を離す。(思ったよりもアクセルを踏まなくても走れるところが多いことに気づいて驚きます。アクセルは踏み続ける必要はないのですね。)
・上り坂ではアクセルを踏みすぎないように気をつける。
・信号待ちが長い交差点では、エンジンをいったん切る。(いわゆるアイドリングストップです)これが意外と効果甚大です。
そんなこんなで、今は、平均「18km/l」を目指して、日々、省エネ運転に努めているのです。
ちなみに、目下のこの1週間の平均アベレージは「17.8km/l」です。「18km/l」まで、あと一歩。
何せ、片道50km、往復100kmを毎日通っているのですから、燃料費に気を配らないほうがおかしいですよね。
以前はコンパクトカーだったので、「18km/l」で当然と思っていたのですが、今思うと「20km/l」を達成できていたのではないかと、少し後悔しているところです。
さて、この春から、荷物と人をたくさん載せる必要が生じたのと、ディーラーさんからの有利な提案もあって、1800ccのステーションワゴン「ウィッシュ」に替えました。
当初は「15.5km/l」くらいで走って「このクラスなら、これでも立派なもの」とそれほど不満に思っていなかったのですが、最近、思い立って入念な運転をしてみると、あっという間に「16.5km/l」とリッターあたり1kmも走行距離が改善してしまいました。驚いた私は、その後も工夫を重ねて、今は「17.5km/l」。もう少し努力すれば「18km/l」も十分目標射程内というところまで来ています。
「18km/l」といえば、前のコンパクトカー(1000ccの「ヴィッツ」)に乗っていたころと同じ値です。
少しでも安価なガソリンスタンドを探して給油したとしても、リッターあたり2円程度安くなったとして、50リットル給油して100円安くなるだけです。
ところが、リッターあたりの走行距離が2km伸びれば、50リットルあたり100km走行距離が延びることになります。1割以上の燃費削減になるではありませんか。金額にして、一回の給油で1000円程度は節約できたことになりますよね。
これは大きい。
省エネ運転といっても、トリッキーなことをしているわけではありません。いろいろと試しながら、効果のあった運転は積極的に採用し、燃費を悪くする状況があれば、それを改善する、その繰り返しです。具体的には
・急加速、急発進はしない。(これはあたりまえ)
・加速時の目安を回転数を気にしながら決める。たとえば1500回転を超えない加速をする、とか、発進時に時速20kmまで4秒から5秒くらい時間をかける、とか。
・順調に走行しているときの速度を60km程度に安定させる。高速では時速80kmから90kmで走る。
・ブレーキを使いすぎないように、車間をあける。前の車が減速しても余裕でエンジンブレーキで少し減速すれば済みます。
信号が変わりそうなときは遠くからでも、アクセルから足を離して、エンジンブレーキで減速する。
要は、止まらない+速すぎない運転を心掛けるわけです。
・下り坂ではアクセルから足を離す。ブレーキも使わず、エンブレで速度を安定させ、スピードが上がりすぎないようにする。
・気がつかないほどの緩い下りや、平坦で減速しない道を見極めて、アクセルを踏まずにすむ場所ではアクセルから足を離す。(思ったよりもアクセルを踏まなくても走れるところが多いことに気づいて驚きます。アクセルは踏み続ける必要はないのですね。)
・上り坂ではアクセルを踏みすぎないように気をつける。
・信号待ちが長い交差点では、エンジンをいったん切る。(いわゆるアイドリングストップです)これが意外と効果甚大です。
そんなこんなで、今は、平均「18km/l」を目指して、日々、省エネ運転に努めているのです。
ちなみに、目下のこの1週間の平均アベレージは「17.8km/l」です。「18km/l」まで、あと一歩。
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