さぽろぐ

日記・一般  |その他の都道府県・海外

ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 2人
プロフィール
冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

2010年05月30日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その29)

《サムソン その29》


 デリラは、縛られたサムソンの前に立った。
「サムソン。そのみじめな姿はどうしたこと? 自分で自分が情けなくならないの?」
 サムソンは答えない。ただ、鼻で小さく息を吐いた。
「神の怒りは降って来ないの? そんな縄で縛められて手も足も出ないの? ああ…そうだった。あなたを縛めたのはイスラエル人(びと)だったわね。イスラエルの神はあなたではなく、ペリシテに従う者たちを救ったというわけ?」
 サムソンがようやく答えた。
「お前か。我が同胞にわたしを捕縛させたのは、お前の入れ知恵と言うことか」
「私が?」
 デリラがサムソンの傍まで歩み寄る。ペリシテの兵が一瞬それをとどめようとしたが、動けなかった。デリラに奇妙な威があり、兵たちがたじろいだのだ。
 デリラは声を落として、サムソンの胸元に向かって囁いた。
「私は稚(おさな)いと言われた。ペリシテの長(おさ)たちが策を弄した。イスラエル人(びと)にイスラエルの英雄を捕えさせる。あなたの所為でイスラエルは割れる」
「ペリシテは愚かだ」
「そう。彼らは、稚ない私よりも愚か」
 サムソンは初めて怪訝な表情を見せた。
「お前は…わたしを憎んでいるのではないのか? 復讐を果たし、わたしを罵るためにここに来たのではないのか?」
「憎い。だが…」
 デリラは、サムソンの横に添い、縛られたサムソンの腕に触れながら顔をあげて続ける。
「ペリシテはもっと憎い」
「何があった」
「ペリシテの同胞たちは、私の家を焼き、父と姉を殺した。やっとの思いで帰りついたティムナの、かつて我が家だった焼け跡の前で、私は石を投げつけられた。彼らは、あなたの怒りを恐れるあまり同胞である父と姉を殺し、敵のもとから逃れ帰った私を蔑んだ」
「何だと」
「あなたが言うとおり、ペリシテは悪魔だ。もはや私には、本当に帰るところはない。帰るところがあるとすれば、それはあのエタムの岩屋だった。サムソン…」
「お前は」
「今、心の底から思う。私はあなたの神の事を知りたい。イスラエル人(びと)になりたい。そして、ペリシテを滅ぼしたい。それなのに、あなたの神はあなたを見捨てたらしい。私には帰るところも、復讐を果たす手立ても無くなったのか」
「デリラ!」
 サムソンの髪が逆立った。

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 22:12Comments(0)短編小説

2010年05月29日

藍より青く

――藍より青し――

 「青はこれを藍より取りて、しかも藍より青し」

 宮城谷昌光氏は、そのエッセーの中で、荀子にあるこの言葉を「弟子が師匠を超える」ということではなく、自己改革――革新(イノベーション)――を示唆しているのだと明かしてくれている。
 藍は、加工され手間暇をかけることで、より付加価値の高い「青」になる。

 最近の学生諸君をみていると、自身の能力を見切ってしまっているようなところがある。
 情報、それもかなり精度の高い、確からしい情報が誰にでも入手でき、誰にでもわかりやすい形で広められている時代である。その情報の海の中で「わたしの才能はこの程度。私に出来ることはこの程度」という判断を下し、「安全」のために「できそうなこと」しかしない。

 いっけん、大人の対応を早々に身につけているような感じもあるが、こういう生き方は、実のところ「幼年期」に閉じこもっているのと同じことになる。保護され、守られている世界から抜け出せないのだ。

 大人でも、そんな生き方――できることしかしない生き方――をすれば、やがて人生をジリ貧の中に追いやることになる。
 企業は、その力(資力、人材など)の三分の一くらいをイノベーション、つまり新規事業や製品、技術開発、新たな市場開拓などに振り向け続けなければ存続できない。これを一般論に過ぎないと思われる人もあるかもしれないが、企業というものが、今うまくいっている事業の継続のみで存続できると考える経営者は、居ないはずだ。(いたら、その会社は近い将来につぶれるはずだ)

 人間でも同じことで、今できないこと、できていないことを、少しずつでもクリアして行かなければ成長はない。いや、むしろ、こういったほうがわかりやすいだろう。

 『目標』というのは課題を明らかにする作業に他ならない。
 つまり『今できていないこと』の中にしか『目標』はないはずである。

 だからこそ、目標は達成できても、達成できなくても、目標に向けて注がれた努力は、必ず何らかの成果を生むのである。失敗や挫折が意味を持つのは、課題――今できていないことや、今の自分にとって明らかに難しいこと――を目標に据えた場合に限られるのである。

 今の自分にできそうなことや、さほど困難でないと見通せるような目標を据えるということは、実は、見せかけの目標設定であり、達成できたとしても(当然、達成できそうな目標なのだ)何の益も生まない。生むとすれば、自己満足だけだ。
 「ほら、自分にはできるぞ」
 これは、目標達成ではなく、現状の能力を証明したに過ぎない。もっと厳しく言えば、自分に自分の自慢をしているようなものだ。

 スポーツでも、碁や将棋でも、自分より強い相手と対戦することで(負けを繰り返しても)力がつく。反対に、自分より弱い相手や格下と対戦を繰り返せば(勝ちを繰り返すだろうが)どんどん弱くなる。そして、いつかは「格下」のはずの相手に負ける。

 さて、何が言いたいかというと、こういうことだ。

 今の自分にできないことや、できそうにないこと、やったことのないことに挑まないで叶う「夢」はないということである。
 今の自分にできそうな範囲で「努力」の真似ごとをしている限り、「夢」は、いつまでたっても憧れの夢想でしかない。
 「将来は○○になりたい」
 と言うなら、そのためにしておくべきことがあれば、たとえ失敗の危険があっても、今までやったことがなくても、到底できそうにないことでも、やってみなければ始まらないのだ。失敗も挫折もあるだろうし、挑むことで、今手にしているいくつもの大切なものを失うかもしれない。今よりも悪い状況に陥るかもしれない。でも、夢があるなら進まなければならない。
 そういう危険を身に受ける覚悟もせず、今の自分に出来る範囲のことしか思い描くことなく、
 「私には将来は○○になりたいというユメがある」
 と言われても、その「ユメ」が、ほんとうに将来実現したい夢なのだとは、ぼくには信じられない。
 そういう人には、こう言い直してもらいたいのだ。

 「私は○○に憧れています。だから、趣味で仲間と○○ごっこやってます」

 藍は、ぼろぼろにされ(叩く、打つ)、水分を抜かれ(乾燥)、腐らされて(発酵)、やっと鮮やかな青に生まれ変わる。
 青に憧れながら、藍のままで居たい人には「夢」は実現することはない。  

Posted by 冬野由記 at 21:56Comments(2)徒然なるままに

2010年05月23日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その28)

《サムソン その28》


 イスラエル人(びと)たちに捕えられる際に、サムソンは、彼のもとに集まっていた千人の若者たちに、自ら解散を命じた。
「わたしは、捕えられたのではない。これから、同胞とともにレヒに向かうのだ。お前たちも、ユダのそれぞれの家に帰るがいい。心配することはない。お前たちも聞いただろう。神はイスラエルをお救い下さったのだ。神はイスラエルをお許しにはなっていないが、見捨てることもなさらなかった。わたしも、お前たちも、神は決してお見捨てにならない。よいか、レヒまで私の後について来ることはない。思い思いに帰るのだ」
 サムソンの晴れ晴れとした態度に、いきりたっていた若者たちは静まり、やがてそれぞれに散って行った。『暴動』は、奇妙なほどあっけなく終結した。

 三千のイスラエル軍はレヒに到着し、レヒの城(まち)を取り囲んでいるペリシテ軍にサムソンを引き渡した。ペリシテの将軍たちは、目論みどおりに、しかもあっけなく事が運んだことに安堵し、レヒの囲みを解いてガザに向かった。将軍たちの安堵が兵卒にも染みていったのだろう、道々、兵卒たちはサムソンに罵声を浴びせ続けた。
 ――獅子を引き裂いたと言うからどんな化け物かと思っていたが、身体が大きいだけの意気地無しではないか。
 ――イスラエルの英雄よ。同胞に捕えられた気分はどんなものか。
 ――お前の神は何をしている。お前を救いには来ないのか?
 ――お前は、同胞に見捨てられた。そして、神にも見捨てられた。

 レヒに向かっていたデリラは、そんな凱旋軍と行きあった。そして、将軍たちも、兵卒たちも気づいていないが、デリラには、罵詈の中でサムソンが怒りを全身に染み込ませ、蓄えていることがわかった。だが、この程度ではまだ足らない。
 ――サムソンは、このまま連行され、ガザでひと暴れするつもりだ。ガザは痛手を蒙(こうむ)るだろう。だが、ペリシテは滅ぶまい。サムソンも危難に会うだろう。死ぬかもしれない。だが、サムソンは神の大義に殉じて死ぬことに満足するだろう。
 それでは、デリラの復讐は成らない。復讐を果たすには、サムソンの怒りを――それも義(ただ)しい怒りを――もっと膨らませなければならない。義なる戦いをもっと続けさせねばならない。そして、自身は、その日が来るまでサムソンの傍らに居なければならない。
 デリラは将軍たちに、サムソンに会わせてほしいと求めた。
 ――神官の長は、神殿での会議において約束しました。サムソンが捕えられたら、サムソンに会わせると。
 デリラの神殿における言動は広く伝わっていたから、将軍たちはサムソンとの面会を許した。また、少女に面罵されるサムソンを見物するのもまた一興だと考えた。

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 23:20Comments(0)短編小説

2010年05月23日

昔描いた絵


友達の家に、昔贈った絵が飾ってあった。
この絵は記録してなかったので、写メを撮らせてもらった。
明るい絵だなあ。

  

Posted by 冬野由記 at 02:30Comments(0)

2010年05月22日

友達の家の子猫(静止画)







友達の家で子猫を撮ってみた。
携帯から動画投稿してみたんだけど、携帯では確認できなかったので、写メール投稿もしてみた。  

Posted by 冬野由記 at 16:37Comments(0)徒然なるままに

2010年05月22日

友達の家の子猫(動画)





友達の家で子猫を撮ってみた。  

Posted by 冬野由記 at 16:12Comments(2)徒然なるままに

2010年05月17日

小浮気



写真が少々ボケているが、
「小浮気」
と書いて
「こぶけ」
と読む。
もちろん、地名である。
が、ちょっとドキリとする。  

Posted by 冬野由記 at 15:22Comments(4)

2010年05月16日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その27)

《サムソン その27》

 
 デリラは、イスラエル人(びと)たちがサムソンを捕えるために、エタムに討手を差し向けたという知らせを、ガザの親族の家で聞いた。
 ――神官の長が言ったとおりになった。
 そう言う親族たちに、デリラは小さく微笑んで見せただけだったが、心のうちで嗤った。
 ――ペリシテはふたつ過ちを犯した。ひとつは、ペリシテの法の執行を属民に委ねたこと。そしてもうひとつは、サムソンに怒りの種を与えたことだ。
 この十四歳の少女の眼は、統治者たちの頭上を越えて、イスラエルの長老と同じ高さで事の成り行きを見据えている。さらに彼女は、このペリシテの苦肉の策が、大義を見失いかけているサムソンに大義を思い出させるであろうことを見抜いている。
 ――思ったとおりになった。
 少女は、サムソンに大義を与えたかった。真の怒りを注ぎ込んでやりたかった。その怒りがサムソンの心と身体に満ち満ちた時こそが、復讐の時機(とき)だ。今のサムソンがペリシテの手に落ちたところで何の意味もない。
 ――サムソンはイスラエル人に従い、レヒまで連行されるだろう。そこでペリシテの将軍どもが、サムソンの怒りに火を点じよう。わたしは、その火に油を注いでやろう。それに、わたしは…わたしは、その時機(とき)が来るまで、サムソンの傍に居る必要がある。
 デリラはガザを出て、レヒに向かった。

 その頃、イスラエルの討伐軍は、エタムの荒野でサムソンたちの幕営地を囲んでいた。敢えて攻め込むことはせず、幕営地を囲み、食料や水の補給を断ったのである。サムソンに従っている若者たちは、およそ千人。討伐軍は三千。約三倍の兵数で持久戦に持ち込んだのである。若者たちはいきりたった。
 ――イスラエルの敵はペリシテではないか。今こそ、ペリシテを駆逐して約束の地を回復する好機なのに、同胞に軍を向けるとは。
 やがて、討伐軍から使者が来て、レヒでのペリシテとのやり取りとともに、長老の言葉を伝えた。
 ――神は、我らをまだお許しにはなっていないが、お救いくださった。我らが祝福をいただける日は必ず訪れる。
 エタムの荒野に来てから鬱屈した日々を送ってきたサムソンは、自分もまた救われたと思った。
 ――ペリシテは姑息なことをする。やはり、あの者たちは悪魔だ。
 討伐軍は、以下の条件を示した。サムソン一人を捕えるのみで、他の者たちは解散を条件に許す。また、サムソンは捕縛し、レヒまで連行するが、その身にいっさい危害は加えない。
 サムソンは条件をのみ、抗うことなく捕縛された。

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 23:46Comments(0)短編小説

2010年05月15日

明日は吹奏楽を聴きに

今日、美術館に行けなかった仇をとるというわけではないが、明日は吹奏楽を聴きに行く。
水戸市民吹奏楽団という市民楽団の「ファミリーコンサート」というのがあるのだ。
久しぶりに屈託のない音楽でのんびり寛いで来よう。

  

Posted by 冬野由記 at 21:44Comments(3)

2010年05月14日

明日は美術館だったのに

明日は美術館に行く予定だったのだが、あいにく学校行事が入ってしまった。
今回は面白そうなセミナーも企画されていたので楽しみにしてたんだけどなあ…。
というわけで、明日は学校だ。

  

Posted by 冬野由記 at 19:16Comments(4)

2010年05月13日

そうそう、眼鏡を替えたんだった。



 そうそう。
 眼鏡を替えたんだった。

 過日、友人からJINSというメガネショップを教えてもらった。
 安くてモノもいい(品質もセンスも)という。
 所要があって、そのお店のあるショッピングモールに出かけた際に、ちょっとお店を覗いてみたら、確かに安くてよさそうだ。それに、若い人たちで混みあっている。
 この友人、いつも洒落た眼鏡がとてもよく似合っているし、センスもいいので、
「今度眼鏡を替えるのでみたててほしい」
 とお願いしたら、快く買い物に付き合ってくれた。

 こういう小物を買う場合、自分で買いに行くとついつい保守的になる。つまり、ぼくの場合、同じコンセプトのものを継続して使う傾向がある。
 だから、こうやってセンスのいい誰かに選んでもらうと、ちょっと冒険もできるのである。

 確かに安い。
 レンズ込みで価格帯が4千円から1万円未満。最も高額のものでも9千円台である。平均的な価格帯が7千円台。これで、れっきとしたチタンフレームである。レンズもHOYAの上級品。こういうお店があるということを知らなかったと言えばそれまでだが、ちょっと唸ってしまった。
 安価なメガネショップが増えているが、そういう店でも、ちゃんとしたレンズとフレームを選べば、なんだかんだ言って2万円くらいはかかってしまう。現に、そういう安さを売りにしているショップで今まで買ってきた眼鏡が2万円前後だった。それが、7千円程度で作れるということは…
 例えば、同じ金額で3本。あるいは、それまで5年に1回程度眼鏡を替えていたのを、もっと気軽に替えることができるということになる。
「眼鏡」という装身具の入手の仕方というか、考え方が変わってしまう。実際、このところ度が合わなくなってきていて「どうしよう」と悩んでいたのである。

 で、思い切って、運転や屋外で使うものと、仕事(PC、書類)や読書用、それに日差しをきつく感じるようになったので、運転用のサングラスをまとめて買うことにした。もともと、眼鏡1本を買うつもりでひねり出した予算で、3本買えてしまうのだ。

 写真は、従来使ってきた2世代分(つまり、ここ10年使ってきたジョン・レノンのシリーズ)の眼鏡と、今度、友人のセンスに助けてもらって買った3点である。ずいぶん感じが変わるなあ。

  

Posted by 冬野由記 at 22:58Comments(9)

2010年05月12日

知恵熱…って

二日ほど、熱出して寝込んでしまった。
知恵熱かな…って、お前さんいくつにおなりだえ。
それを言うなら、
歳の所為で身体が気候についてかなくなった
だろ。

ついでに、少し痩せた。

  

Posted by 冬野由記 at 22:29Comments(4)

2010年05月09日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その26)

《サムソン その26》


 ペリシテ諸都市連合軍はユダに入り、レヒの城壁に向かって陣を敷いた。
 人々は恐れ騒いだが、長老たちは動じなかった。彼らはペリシテの陣に使者を送った。

「何ゆえ、突然、ペリシテは軍を発し、我らの城(まち)に向かって陣を敷くのか。イスラエルの民は長年にわたりペリシテ人によって自治を与えられ、我らはペリシテに従い、税を納め続けてきた。すなわち、我らはペリシテの法の下にあり、ペリシテの軍は我らを守るためにこそ動かされなければならない。法の下にある民を、法の執行者たるあなたがたが攻めるのは何ゆえか?」
「我らは暴徒どもと、その首領サムソンを討つために来た。サムソンは我らの法を犯し、ペリシテ人から盗み、ペリシテ人を殺し、ペリシテの農地を焼き、暴徒を煽っている。また、サムソンはイスラエルの名族であり、イスラエル人(びと)の統領であると聞く。ゆえにユダに軍を進め、レヒに陣を敷いた。イスラエルの民がサムソンとともに我らに戦いを挑むなら、我らはこの地の法の執行者として汝らを討つ。汝らが我らの法にこれまでどおり従うと言うなら、サムソンを引き渡せ」
「サムソンはここには居ない。あなたたちは間違っている。サムソンと暴徒を討ちたいならエタムへ進まれるがよい。サムソンは暴徒たちとともにエタムの荒野(あれの)に幕を営んでいる」
「我らは、サムソンがどこに居るかを問うていない。サムソンはイスラエルの統領のひとりであろう。こそ泥やただのならず者ではない。かの者は、多くのイスラエル人を従えてペリシテの法を犯している。これは叛逆である。だからこそ、我らは軍を発したのである。我らは、属民であるイスラエルの、叛逆に対する謝罪と首謀者の引き渡しを要求する」

 ――イスラエル人の手でサムソンを捕えて引き渡せ。
 この要求に若者たちや、日ごろからペリシテの支配下に甘んじていることに反発していた者たちは激高した。しかし、長老は笑った。
 ――ペリシテの世は、そう長くはもつまい。
 自らの法を自らの力で保つことができてこそ、地上の支配は神に祝福されるのだ。ペリシテはペリシテの法の執行を、属民たる我らに委ねようとしている。彼らは過ちを犯した。彼らは軍をエタムに向けるべきであった。でなければ、これを戦(いくさ)と明言し、ここで我らを殲滅すべきであった。どちらもしなかったペリシテは神の祝福は得られまい。そして、我らは殲滅を免れた。神は、我らをまだお許しにはなっていないが、お救いくださったのだ。皆、喜ぶがいい。我らが祝福をいただける日は必ず訪れると言うことだ。

 レヒの城門が開かれ、ペリシテ軍が見守る中、イスラエルのサムソン討伐軍はエタムに向かった。

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 23:52Comments(0)短編小説

2010年05月09日

初夏もうひとつ



初夏をもうひとつ。
あ、もうふたつ。
躑躅(ツツジ)と葉桜。
ふと、日本画を想う。
なんということもない、日常の季節の、身のまわりのありふれたモチーフを採り上げながら、そして、平たくシンプルな描法でもって、空気や空間や風や陽の移ろいを映し出すんですよね、匠たちは。
ああ…。

  

Posted by 冬野由記 at 13:05Comments(2)

2010年05月09日

紫雲


写メールなので画質がひどいけど、
校門前の堂々たる藤である。
こういう季節―初夏―になったということだ。
そして、ぼくは、今日も学校に来ているということになる。
部活である。
それにしても、他の部活はどうしたのかなあ。いや、どうするのかなあ。
そういえば、昨日はテニス部が来ていたっけ。

  

Posted by 冬野由記 at 10:45Comments(2)

2010年05月05日

奇妙な夢を見た

 GWは学校へ行ったり(ちょっと確認に寄ったのも含めれば毎日行ったことになる!)、ちょっとお出かけしたりで、けっこう充実した毎日を送ってしまったが、最終日の今日は、朝少し活動して帰宅後、遅い朝食を摂ってから、夕方まで転(うたた)寝してしまったので、休養日となった。
 その転寝で、奇妙な夢を見た。

 どこかへ、けっこうな人数を引き連れて旅に出かけている。
 ロッジかコテージか、けっこう大きな施設を借り切っている。
 旅のメンバーの中には、どうやらいろんな人間がいて、みなが同年輩と言うわけでもなく、中には若くて、いろいろと細々(こまごま)したことを手伝ってくれるメンバーもいたり、年配か何かで、その若いメンバーに何かと世話を焼かれていたりする人もいる。いわば、何かと気遣い、立ち働いてくれる若い友人はスタッフ的と言えるし、その世話を受けて旅に参加しているメンバーはお客さん的と言える。
 どんな感じかというと、そうだなあ…そうそう、たとえばどこかの大学の若手教授の研究室のゼミ旅行で、学生、研究生が数名に、主催者の教授(それが多分ぼくだな)、その教授の傍らで何かと手伝ってくれる気の利く学生(それが、上述のスタッフ的メンバー。もちろん女学生である)、そして客分の参加者というイメージかな。
 ただし、夢の中ではゼミ旅行だかなんだか、よくわからない。メンバーの構成がいかにもゼミ旅行的な感じで、場所はなんだか大きなロッジだということしか判然とはしないのである。
 いかにも二時間サスペンスの冒頭みたいな旅の光景なのだが、そんな、お客さん的メンバーである年配のご夫婦が、驚いたことに、夢の中では「天皇ご夫妻」だというのである。山中のロッジの旅行者に天皇夫妻が紛れ込んでいるなんて、さすがにサスペンス・ドラマでも無理がありそうだ。ま、SPも何もついていないし、お忍びということになろうか。いくらお忍びでも今上天皇にはそんな行動はありえないだろうなあ。ということは、次代かその後か…なんて、夢の話なんだから、あまり理屈っぽく追及する必要もないか。
 で、ぼくは、みんなをどこかの部屋に残して、たぶん、ロッジに着いたばかりで、各部屋の鍵とか、とりあえずの飲み物の準備とかで、どこか倉庫か厨房のような場所に行こうとする。すると、スタッフ的女学生が、ぼくに耳打ちするのである。
「エアコンが効きすぎて、ご夫妻が寒いとおっしゃっています」
「わかった。ついでにエアコンの調整もしておくよ」
 そして、ぼくが厨房のようなところで準備したり、エアコンのスイッチを調べたりしていると…事件が起きるのだ。
 彼女が駆け込んでくる。
「ご主人の方が急に…」
 倒れたというのである。そして、どうやらこと切れていると。
「奥様のお話ではもともと心臓に持病がおありで、エアコンで急に冷えたのが悪かったかもしれないと…」
 ご主人とか奥様とか言っているが、この二人は天皇と皇后なのだ!(夢の中です。念のため)
 ぼくは顔面蒼白である。
 ――お忍びで旅に参加していた天皇を、エアコンの設定に配慮を欠いた所為で死なせてしまった!?――
 持病があるんなら、若い学生たちと行動を共にするような旅に参加するなよ!
 少しは立場(国民の統合の象徴)を考えろよ!
 ああ! ぼくは平成を22年で終わらせた男と言われるんだ!
 とかなんとか腹の中でわめきながら(本当に、夢の中で独白したんだから可笑しい)、ぼくは彼女と現場(たぶんロッジのリビング)に走る…

 ところで目が覚めた。
 時計のチャイムが4回鳴った。4時だった。

 まったく、奇妙な夢だったなあ。
 なんでゼミ旅行で、なんで唐突に天皇ご夫妻なんだ。
 わからん。  

Posted by 冬野由記 at 23:55Comments(0)徒然なるままに

2010年05月04日

会津の桜





ふと思いたって、会津に来てしまった。
上二つは、猪苗代、亀ヶ城の桜。
下二つは、飯盛山の石部桜。
どちらも、GWなのに人がいなくて、静かな花見になった。
石部桜は気品と威厳があった。対話した気分になったよ。


  

Posted by 冬野由記 at 15:25Comments(4)

2010年05月02日

テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その25)

《サムソン その25》


「お言葉ですが」
 デリラは引き下がらなかった。一座がざわめく。長(おさ)は少女を見据えたまま頷いた。抗弁を遮ることはしないが、その眼は少女の思惑を量ろうとしている。少女もまた、長の眼をまっすぐに見つめながら続ける。
「お言葉ですが、今のサムソンは無敵ではありません。サムソンは、もともとイスラエルの族長たちに諮って兵を募り、私たちペリシテに戦いを挑むつもりでした。エタムに宿ったのも、かつてモーゼがこの地に侵入した道をたどり、モーゼのごとくイスラエルの民に君臨しようという意図からです。しかし、暴徒が勝手に暴れ出し、サムソンは彼らに担がれて、不本意なまま戦いを始めなければならなくなりました。サムソンは迷っています。大義を見失っています。私はサムソンの傍らにあって、彼を見てきました。今のサムソンは真の怒りを持つことができずにいます。怒りを持てぬサムソンは恐れるに足りません。サムソンを捕縛するなら、今を置いて他にありません」
 長の眼は、しばらく無言でデリラの眼を見つめた。
「お前は、何歳になる」
「十四歳です」
「おそろしい娘だな。たしかにお前は賢い。だが、まだ稚(おさな)い」
 デリラが唇に笑みをたたえて長を見つめる。
 長は思わず目を逸らし、神殿の天井に視線を移しながら答えた。
「サムソンは…イスラエル人(びと)が捕える」
 デリラが笑った。
「なるほど。たしかに仰せの通り、わたしは稚い。イスラエルの族長たちは、暴徒の首領を捕えよというペリシテの命に逆らえない。迷えるサムソンは同胞と戦えない。イスラエルはサムソンのもとで一つになるどころか、サムソンの所為で分裂する」
 長は眼を閉じた。額に刻まれた皺が動いた。
「納得したのなら、退がるがいい。サムソンは確かに捕える」
「ひとつ、お願いがございます」
「申せ」
「サムソンが捕えられたら、サムソンに会わせてください。あの者に言ってやりたいことがあります」
「よかろう」
 デリラは神殿を出た。
 ――あの娘、我らを試みようとした。
 長は、デリラとの問答を思い返しながら、なにか不吉な感に襲われた。しかし、デリラの登場によって策が変わったわけではない。長は手を振って散会を宣言した。
 兵が招集され、ペリシテ諸都市連合軍はサムソンの拠点があるエタムではなく、イスラエル人(びと)の本拠地ユダに向かって進発した。

――続く――
  

Posted by 冬野由記 at 21:57Comments(0)短編小説