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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

2008年06月28日

高校国語の講師を募集しています

 私の勤務する高校で、急遽、国語の常勤の先生が必要となりました。
 校長から募集に協力してほしい旨の依頼があり、許可を得た上で、このブログにも募集のお知らせを掲載することにしました。

 茨城県(県南)の県立高校です。
 国語の常勤(つまり仕事内容は基本的には「教諭」と同じです)の講師を募集します。
 7月中旬から働いていただくことになります。
 急な欠員が生じたのですが、この時期はなかなか先生が見つからず、困っているのです。

 というわけで、高校国語の教員免許をお持ちで、茨城県南に通えそうな方。
 もし、この記事をみてご興味がございましたら、左のサイドバー下方の「オーナーへメッセージ」を使ってご一報くださいませ。より詳しい内容や、連絡先をお知らせいたします。
 よろしくお願いいたします。
  

Posted by 冬野由記 at 08:53Comments(2)徒然なるままに

2008年06月28日

こんな老舗もありました

 前回の記事「使いまわしVSサービス品質」の続編です。

 こんな老舗に出会ったことがあります。
 それは、銀座のあるすき焼き、しゃぶしゃぶの名店でした。
 そのお店、夜は、自分の財布ではちょっと行けないような老舗の有名店だったのですが、昼は、近くのサラリーマンやOLのために、かなりリーズナブルな価格でちょっとしたランチの御膳を出してくれる、知る人ぞ知る穴場でした。
 出てきたのは、きざみキャベツの上に薄切りの肉と、おろしポン酢をあえた「冷しゃぶ」の御膳でした。
 分量は・・・かなり控えめ。
 「やっぱりな・・・だからこの値段なんだ」
 と思ったとき、運んできてくれた仲居さんがにっこり笑って
 「お肉もキャベツもおかわりできますから。足りなければ遠慮なくおっしゃってくださいね」
 と。
 あの、リゾートの「これでもか山盛り」のジンギスカンとはまったく逆のサービス。
 無駄も出ないし、個々のお客に最適な分量を必要なだけ出して、満足を売る。
 やや広めの座敷で、ゆったりと食べることもできるし、
 そんな雰囲気の中だから、こちらも
 「もう少しもらおうかな・・・」
 という落ち着いた節度ある欲求になります。

 こういうお店が老舗なんでしょうね。
  

Posted by 冬野由記 at 02:29Comments(3)徒然なるままに

2008年06月26日

使いまわしVSサービス品質

 「使いまわし」の露見、摘発が大流行(おおはやり)です。
 とうとう廃業した老舗料亭の事件の記憶も生々しい中、名古屋のしゃぶしゃぶ店でもお客の食べ残しを使いまわしていたとか。

 ただ、この「使いまわし」の報道を目にするたびに、正直に言うと複雑な気分に陥るのです。
 「とんでもない! 言語道断!」
 とまで言い切れない、なんだか煮え切らない不愉快な気分に陥るのです。
 ・・・困ったなあ。

 顧客サービス、つまり商売の道としては、お客の残したものを別のお客にそのまま出す、というのは確かに顧客に対する裏切り行為には違いない。その意味では許してはならないでしょう。報道でよく言うように「食品衛生」上でも問題はあります。ただ、一方で「確かにモッタイナイよな」という気持ちも湧き上がってくる。もちろん、業者側の動機がどんなものかはわかりません。もったいないといっても、「食べ物を捨てるのはもったいない」のか「お金がもったいない(コストダウンのために)」というのか・・・。
 じゃあ、「お客の残した肉や箸をつけなかった魚は、一度出した以上迷わず捨てる」のが正しい行為であるか、と言われると「それはもったいないよな」という気持ちになってしまう。
 だから、不愉快になるのです。

 だいぶ以前、サラリーマンをやっていたころ、社員旅行での出来事です。
 スポーツ複合施設を備えたリゾートでのこと、お昼はジンギスカンでした。次から次へと運ばれてくるスライスされた羊肉。一目で食べきれないという分量が各テーブルに配られてゆきます。食後、テーブル上には山盛りの肉や野菜が残ったままの皿が並んでいました。
 「もったいないな。なぜ、こんなに運んできたんだろう。皿が空になってから補充すればすむのに」
 「残った肉はどうするんだろう。捨てるのかな。いや・・・」
 ― もし、他のお客に出すとしたら、そのほうがいいな。いや、そうすべきだな ―
 そのときは、ほんとうに、そんな気分になったのです。
 実際、その当時は、たとえば肉料理に添えてあるパセリなんかは、たいていのレストランでは「使いまわしている」というのが、常識的感覚ではありました。ぼくがパセリを食べるのを見た友人が「お前、それ(使いまわしのパセリ)食べるのか?」と言ったことを覚えています。そうそう、回転寿司などは、ある程度回ったら廃棄するシステムになっていますよね。これももったいないと感じません?

 使いまわし事件は、どうやら業者のモラルだけの問題ではなさそうです。
 モラルと言うなら、上記のジンギスカンのような、食べきれないほどの食事を運んでくるところから改めなければなりません。お客もまた、食べ残すほどの料理を注文する愚を改めなければなりません。豊作だからと言って大量の食品を処分しなければならなくなるようなシステムを改めなければなりません。そして、もしかしたら、お客の食べ残しを「衛生的に」再利用できるような技術や手法が確立され、社会に認知されることも必要になるかもしれません。こういう世界にも心(意識改革)技(技術や手法)体(社会システムや認知)が必要なのでしょう。
 一連の事件が不愉快なのは、私たち自身の食生活や外食時の食に対する態度が、同時に問われているからなのかもしれません。
  
タグ :使いまわし

Posted by 冬野由記 at 06:32Comments(3)徒然なるままに

2008年06月23日

数字の罠:たとえば食料自給率

 気がついたら10日ほどもご無沙汰していました。
 最近は、帰宅後に夕食を済ませて一息入れたら就寝、というようなパターンになっていて、夜のネット遊びがおろそかに??なっているのです。

 最近良く耳にする数字。
「日本の食料自給率が40%を切っている」
 のだそうです。

 日本の食料自給率が、ほぼ100%だった頃があります。
 第二次世界大戦をはさんだ前後、昭和の初期ですね。
 昭和の初期には、たしか東北地方では大飢饉があって、娘の人身売買を行政(役場)が斡旋するというほど酷い状況だったという記録に触れたことがあります。自給率100%とは言っても、酷い食糧事情であったわけです。

 こんな極端な例を引き合いに出して「だから40%でもいいのだ」と言うつもりはありません。
 ただ、40%という数字にばかり目を向けていると、何かかえって危ういような気がするのです。

 たとえば、最近、行政からこんな文章が回ってきました。
 『お米の生産調整にご協力を』
 『わが県は(生産調整の)ノルマの達成率が全国的にも低いので率先して・・・』
 『今年も作柄がよさそうなので、このままだと・・・』

 お米が余って、国が困っているというのです。最近はあまり報道で採りあげられることもありませんが『減反』は、今も推進されています。自給率40%、つまり海外から60%の食料(原料も含めて)を輸入する一方で、お米をはじめとして余って困っている国内産の食料も少なくありません。最近話題になったバター不足の裏にも、畜産家に対する国の政策(『付加価値の高い』食品の生産を奨励する一方で、そうでないものを抑制しようとする)に現場が振り回されているという側面があるように感じます。

 我が家を含めて、身の周りの『食』の情況をみてみると・・・・
 たとえば、いまやたいていの家庭が○○ヒカリとか○○ニシキとか○○コマチといったブランド米を購入していますね。普通のお米は売れていないのです。野菜や果物も、ある種の『贅沢』な志向をもって選別していることを、多くの人は否定できないでしょう。
 「安いものを買うように心がけている」
 と言っても、それは「安い牛肉」や「安い海老」を求めているのであって、肉料理の数を減らそうとか、日々の献立をシンプルにしてしまおうとか、あるいは非ブランド米に切り替えようとか、ふだんの野菜は地元産のものだけですませようとか、そこまで節約しているわけではありませんよね。季節の野菜中心の一汁一菜で済ませている、という家庭は、まだまだ少数派だと思います。

 つまり、40%・・・その裏の60%の中身は、ある程度の贅沢や志向にあわせた選別から生ずる輸入が、かなりの割合を占めているのではないか、ということです。
 「40%!」と叫んで、食料政策を云々するのも間違いではありません(国の農業や畜産に対する政策はほぼ一貫してうまくいっていないように思います)が、一市民としては、まず、私たちの食生活を見直すところから始めたいなあ、と思う、今日この頃なのです。

 と言いつつ・・・○○コマチを注文してしまうわが身が、ちょっと悲しい。
  

Posted by 冬野由記 at 06:31Comments(4)徒然なるままに

2008年06月12日

十代の頃(音楽編) その2

 まずは、梅雨の庭先から。

   

 庭の紫陽花です。ちょっと地味な種ですが、梅雨のほのかな彩りとしては、このくらいが目に優しいように感じます。
 年の所為かな・・・

 

 庭の隅にはドクダミの群れもいっせいに花を咲かせました。
 ドクダミも、こうやって観ると圧巻ですね。

 さて、十代の音楽、回想の続きです。

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 幼い頃の最初の音楽との接点が、母が大量に買い与えてくれた童謡のレコードだったこと、そして、電蓄におまけでついていた45回転のドーナツ版に入っていたスケーターズワルツ(カラヤン)と蝶々夫人のアリア(カラス)が最初に触れたクラシック音楽だったこと、は以前の『回想』に書きましたっけ。小学校の低学年くらいまでは、わけもわからず、カラスが歌う『ある晴れた日に・・・』をボーイソプラノで(もちろん、私だって幼い頃はソプラノだったのです)鼻歌代わりに歌ってました。(周囲がどう思っていたかは、今となってはわかりません。変な子供だったに違いありません)
 高校に入学するまでは、もっぱらクラシック音楽は「聴くもの」か「口真似するもの」であって、自分が楽器を奏でるということは想像もしていませんでした。ただ、これも以前『回想』に書きましたけれど、幼稚園の学芸会で『指揮者』に抜擢(?)されたことが、ずっと強烈な記憶になっていて、楽器を奏でたり歌ったりする以上に「指揮をする」ことに対する憧れは保ち続けていました。

 さて、高校に入学してからしばらくして、友人に勧誘されて、ついに「吹奏楽部」に入ったのが、楽器というものと正面から向き合った最初の経験になりました。ただ、告白すると、楽器はともかくとして、密かに「指揮者になる」ことを(不遜にも)目論んでいたのでした。
 当初、ホルン志望だったぼくは、少し傷んだ学校備え付けのホルンで練習を始めたのですが・・・・少しすると幹事(いわゆる部長のことです。母校では生徒の責任者は『幹事』で、指導の先生を『部長』と呼んでいました)がやってきて
「あのね・・・ホルンは難しいし、実は経験者が入ってきてね・・・・」
 というわけで、チューバに移り、しばらく練習していたら
「経験者が入ってきたんだよね。で・・・・」
 とのことで、パーカッションに移り、シンバル命でがんがん練習して、そこそこ音ができてきたなあと思っていたら
「修理に出していたフルートが戻ってきたから・・・」
 と、ついにフルートに。
 当時、フルートには
 1年生が一人(これが、その後も永い付き合いになる親友との出会いでもあります)。
 2年生が一人(ある種の天才。厳しい人でした)
 3年生が一人(3年生は受験のため、じきに引退となりますが、憧れの、吹奏楽部の・・・いや、母校のマドンナでした)
で、3年生のマドンナが引退すると手薄になる情況だったのです。そこに「楽器経験の無い新入部員」を充てたのですね。
 しかし、これが、その後35年もつきあう楽器との出会いになったわけですから、なりゆきに感謝すべきでしょう。

 最初に使っていたフルートは、学校備え付けの楽器で、足部管(フルートは3本の管をつないで使うのですが、その一番下の管)は半田付けの痕もなまなましい安価な楽器でした。自分の、ちゃんとした楽器が欲しいなあと思っていたら、ある日、フルートの指導にときおり顔を出してくれていた先輩が、

「ぼくが以前使っていたムラマツ、よかったら安く譲るよ。今はヘインズを使ってるから、もう要らないんだ」
と。
 フルートをやっている方なら、『ムラマツ』『ヘインズ』という名前を聞けば、この先輩の発言の意味がお分かりになるでしょう。
 当時、ムラマツのフルートといえば、高校生には高嶺の花。世界中のプロが使っている日本が世界に誇る有名メーカーの楽器です。ヘインズもまた、世界のトップメーカー。
 この先輩は、実は、吹奏楽部員ではないのですが、プロを目指してフルートに打ち込んでいた人で、ときおり東京にレッスンに通っていたという人でした。(実際、すごくうまかった。ついに望みどおり音楽学校に進学し、後にプロになりました)
 そして、先輩が譲ってくれるという楽器は、総銀製のすばらしい楽器で、ふつうに高校生が入手できるものではありませんでした。それを、怖いもの知らずのぼくは、先輩の言い値をさらに値切って、ついに手に入れたのでした。
 この楽器、よほど目立ったようで、他校の吹奏楽部員は、ぼくの名前を覚えてくれなくて「ああ。○○高のムラマツさん」などと呼ぶのです。まあ、当時としては、そのくらい高校生が持っているのは珍しい楽器だったということですね。ただ・・・楽器はプロ級でも、腕前はふつうの高校生ですから・・・ちと恥ずかしいですね。
 この楽器を、今も使っているのです。

 さて、この先輩がくれたものは楽器だけではありませんでした。

 ― 続く ―
  
タグ :フルート

Posted by 冬野由記 at 21:41Comments(3)音楽

2008年06月07日

文化祭

 本日は、前任校の文化祭。
 生徒たちの日ごろの心がけ(ということにしておきましょう)のおかげか、昨日から梅雨の晴れ間の五月晴れ。
 朝から遊びに行きました。

 各教室を回って、模擬店やアトラクションに顔を出すと、
 「あーっ!」
 と、あちこちで懐かしい顔たちが声をかけてくれます。
 みんな元気そうです。
 時間がもつかな・・・と思っていたのですが、あっという間に2時間。
 時間が足らないくらいです。

 文芸部の展示室。
 ずいぶんと喜んでくれました。ありがたいなあ。
 顔を真っ赤にしてる子も居ます。
 もしかして・・・惚れられてるのかな・・・なんてね。
 新しい部誌。
 みんな、がんばってます。

 12:00
 吹奏楽部の演奏が表で始まりました。
 腕が上がったなあ。
 音に軽みが。
 部員も増えたようだし、アンサンブルがソフトになりました。
 余裕のようなものが、音に軽さと柔らかさをもたらしているのでしょう。
 音の向こうの音楽に、もう少ししたら出会えます。

 美術部の展示。
 確実にステップアップしています。
 色づくりの天性は、あらあらしい筆致のむこうに、闇夜ににじむ光を手に入れようとしています。
 精緻な職人魂は、意匠のような硬い二次元の上に、人物の動きのうねるような三次元の流れをついにつかまえました。
 若いというのはすばらしい。
 ほんの数ヶ月が、すばらしい進歩をもたらします。

 文化祭がはねた後、文芸部+アニ部の打ち上げ?にお邪魔しました。
 一年生も加わって・・・なんと男子の文芸部員が加わった・・・ますます盛んになりますように。
 ある生徒に
 「元気?」
 と聞いたら
 「生きてます」

 生きてるなら大丈夫。

 さて、現任校の文化祭は秋、十月です。
 ちょっと遠いけれど、遊びに来てもらえるように、部活を盛り上げておこう。
  
タグ :文化祭

Posted by 冬野由記 at 20:55Comments(3)徒然なるままに

2008年06月01日

晴れ間。庭の花たち。

 今日は久しぶりの好天。
 久しぶりのゆっくりできた休日。
 また、カメラを持って庭に出てみました。

  

 庭の裏手の雑木林に自生している木苺です。
 今日はきれいに撮れました。

 

 これも同じく、雑木林に自生しているアジサイです。
 地味で素朴ですが、木漏れ日に似合います。

 そして、あの薔薇。

 

 黄色の新しい花がよく開いています。
 もうじき開く蕾がいくつかついています。
 にぎやかになりそうです。

 明日からは、また雨模様に戻るとか。
 次の晴れ間は土曜日ごろになりそうです。
  

Posted by 冬野由記 at 21:09Comments(4)徒然なるままに