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標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

2008年06月12日

十代の頃(音楽編) その2

 まずは、梅雨の庭先から。

 十代の頃(音楽編)  その2 十代の頃(音楽編)  その2 十代の頃(音楽編)  その2

 庭の紫陽花です。ちょっと地味な種ですが、梅雨のほのかな彩りとしては、このくらいが目に優しいように感じます。
 年の所為かな・・・

 十代の頃(音楽編)  その2

 庭の隅にはドクダミの群れもいっせいに花を咲かせました。
 ドクダミも、こうやって観ると圧巻ですね。

 さて、十代の音楽、回想の続きです。

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 幼い頃の最初の音楽との接点が、母が大量に買い与えてくれた童謡のレコードだったこと、そして、電蓄におまけでついていた45回転のドーナツ版に入っていたスケーターズワルツ(カラヤン)と蝶々夫人のアリア(カラス)が最初に触れたクラシック音楽だったこと、は以前の『回想』に書きましたっけ。小学校の低学年くらいまでは、わけもわからず、カラスが歌う『ある晴れた日に・・・』をボーイソプラノで(もちろん、私だって幼い頃はソプラノだったのです)鼻歌代わりに歌ってました。(周囲がどう思っていたかは、今となってはわかりません。変な子供だったに違いありません)
 高校に入学するまでは、もっぱらクラシック音楽は「聴くもの」か「口真似するもの」であって、自分が楽器を奏でるということは想像もしていませんでした。ただ、これも以前『回想』に書きましたけれど、幼稚園の学芸会で『指揮者』に抜擢(?)されたことが、ずっと強烈な記憶になっていて、楽器を奏でたり歌ったりする以上に「指揮をする」ことに対する憧れは保ち続けていました。

 さて、高校に入学してからしばらくして、友人に勧誘されて、ついに「吹奏楽部」に入ったのが、楽器というものと正面から向き合った最初の経験になりました。ただ、告白すると、楽器はともかくとして、密かに「指揮者になる」ことを(不遜にも)目論んでいたのでした。
 当初、ホルン志望だったぼくは、少し傷んだ学校備え付けのホルンで練習を始めたのですが・・・・少しすると幹事(いわゆる部長のことです。母校では生徒の責任者は『幹事』で、指導の先生を『部長』と呼んでいました)がやってきて
「あのね・・・ホルンは難しいし、実は経験者が入ってきてね・・・・」
 というわけで、チューバに移り、しばらく練習していたら
「経験者が入ってきたんだよね。で・・・・」
 とのことで、パーカッションに移り、シンバル命でがんがん練習して、そこそこ音ができてきたなあと思っていたら
「修理に出していたフルートが戻ってきたから・・・」
 と、ついにフルートに。
 当時、フルートには
 1年生が一人(これが、その後も永い付き合いになる親友との出会いでもあります)。
 2年生が一人(ある種の天才。厳しい人でした)
 3年生が一人(3年生は受験のため、じきに引退となりますが、憧れの、吹奏楽部の・・・いや、母校のマドンナでした)
で、3年生のマドンナが引退すると手薄になる情況だったのです。そこに「楽器経験の無い新入部員」を充てたのですね。
 しかし、これが、その後35年もつきあう楽器との出会いになったわけですから、なりゆきに感謝すべきでしょう。

 最初に使っていたフルートは、学校備え付けの楽器で、足部管(フルートは3本の管をつないで使うのですが、その一番下の管)は半田付けの痕もなまなましい安価な楽器でした。自分の、ちゃんとした楽器が欲しいなあと思っていたら、ある日、フルートの指導にときおり顔を出してくれていた先輩が、

「ぼくが以前使っていたムラマツ、よかったら安く譲るよ。今はヘインズを使ってるから、もう要らないんだ」
と。
 フルートをやっている方なら、『ムラマツ』『ヘインズ』という名前を聞けば、この先輩の発言の意味がお分かりになるでしょう。
 当時、ムラマツのフルートといえば、高校生には高嶺の花。世界中のプロが使っている日本が世界に誇る有名メーカーの楽器です。ヘインズもまた、世界のトップメーカー。
 この先輩は、実は、吹奏楽部員ではないのですが、プロを目指してフルートに打ち込んでいた人で、ときおり東京にレッスンに通っていたという人でした。(実際、すごくうまかった。ついに望みどおり音楽学校に進学し、後にプロになりました)
 そして、先輩が譲ってくれるという楽器は、総銀製のすばらしい楽器で、ふつうに高校生が入手できるものではありませんでした。それを、怖いもの知らずのぼくは、先輩の言い値をさらに値切って、ついに手に入れたのでした。
 この楽器、よほど目立ったようで、他校の吹奏楽部員は、ぼくの名前を覚えてくれなくて「ああ。○○高のムラマツさん」などと呼ぶのです。まあ、当時としては、そのくらい高校生が持っているのは珍しい楽器だったということですね。ただ・・・楽器はプロ級でも、腕前はふつうの高校生ですから・・・ちと恥ずかしいですね。
 この楽器を、今も使っているのです。

 さて、この先輩がくれたものは楽器だけではありませんでした。

 ― 続く ―

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タグ :フルート

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Posted by 冬野由記 at 21:41│Comments(3)音楽
この記事へのコメント
ラッキーボーイの由記さん!
結局数種類の楽器を心ならずも経験してムラマツが待ってたんだ! 運命だわ!
音への思い入れ、 伝わりますね。
Posted by jun1940 at 2008年06月14日 12:19
我が家も、アジサイ、ドクダミが真っ盛りです。

ここから数年ほど後になると学校備品も質量共にまるで違ってきたのではないですか?どちらがいいとは言いませんが、自分としては物があふれはじめる前の時代も経験して良かったと思っています。
続きが今から楽しみな終わり方ですね。
Posted by Sonore at 2008年06月16日 08:42
junjun様

 結果としてはラッキーでした。
 おかげで、フルートと出会えただけでなく、金管楽器、打楽器とも短い間ですが経験することができましたから、いろいろな楽器について理解するための足がかりを得ることができましたから。(あれこれと手を出す癖もついてしまいましたが)

Sonore様

 そうですね。
 今は、学校備え付けの楽器も、当時からするとうらやましいほど充実していますね。そういえば、当時、首里高校という強豪の演奏でオーボエが出てきて驚愕した記憶があります。当時、オーボエを持っている高校なんてほとんどありませんでしたから。昨年聴きに行った我が家の近くの高校なんてハープまでありました。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2008年06月18日 06:24
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    コメント(3)