2007年03月20日
地下鉄サリンから12年
今日3月20日は地下鉄サリン事件があった日だと、今朝ラジオが言っていた。
1995年だったから、あれから12年経つのだなあ、と思う。
あの頃、私は、ここ北関東の片田舎から都心のオフィスに通っていた。
ノーマルなルートなら北千住というところで千代田線に乗り換えて霞ヶ関経由でオフィスに向かう。
しかし、あの日は、たまたま日暮里まで行って山手線を利用したのだった。
だから、あの事件は他人事(ひとごと)ではありえなかった。
オフィスに入ったら、仲間たちが心配してくれていたっけ。
きわどいところで、私は生かされてしまったのだと、ときどき思うことがある。
私と同じような通勤ルートを使っていた多くの人たちが巻き込まれたのだ。
巻き込まれてしまったことと、巻き込まれなかったことの差など、ほんとうは無いのだとも思う。
理由だって無いのだと思う。
そんなややこしい感情が、ときどき「お前はまだやるべき仕事をやっていないぞ」と響くこともある。
人には分というものもある。
どでかい仕事である必要はないのだろうが、何でもかんでも極限まで追求するというわけにもいかないのだろうが、何かひとつでも、悔いのない仕上げができたと思うような仕事ができるまでは、何か残してしまったままでいる、という気分からは離れられないのだろう。
とりとめもなく、あの日のことを思い出して、とりとめもなく、惑ってしまいました。
Copyright (c) 2007 Fuyuno, Yuki All rights reserved.
1995年だったから、あれから12年経つのだなあ、と思う。
あの頃、私は、ここ北関東の片田舎から都心のオフィスに通っていた。
ノーマルなルートなら北千住というところで千代田線に乗り換えて霞ヶ関経由でオフィスに向かう。
しかし、あの日は、たまたま日暮里まで行って山手線を利用したのだった。
だから、あの事件は他人事(ひとごと)ではありえなかった。
オフィスに入ったら、仲間たちが心配してくれていたっけ。
きわどいところで、私は生かされてしまったのだと、ときどき思うことがある。
私と同じような通勤ルートを使っていた多くの人たちが巻き込まれたのだ。
巻き込まれてしまったことと、巻き込まれなかったことの差など、ほんとうは無いのだとも思う。
理由だって無いのだと思う。
そんなややこしい感情が、ときどき「お前はまだやるべき仕事をやっていないぞ」と響くこともある。
人には分というものもある。
どでかい仕事である必要はないのだろうが、何でもかんでも極限まで追求するというわけにもいかないのだろうが、何かひとつでも、悔いのない仕上げができたと思うような仕事ができるまでは、何か残してしまったままでいる、という気分からは離れられないのだろう。
とりとめもなく、あの日のことを思い出して、とりとめもなく、惑ってしまいました。
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Posted by 冬野由記 at 23:14│Comments(6)
│徒然なるままに
この記事へのコメント
僕の上司がたまたま上京し、1日違いで同じ時間帯の地下鉄に乗って
いたそうです。
その翌日にあの悲劇が…。
帰ってきてから「運が味方してくれたのだろうか?」等とのたまってましたが、
周りは「悪運が強いだけ」と心で呟いてました。(笑)
いたそうです。
その翌日にあの悲劇が…。
帰ってきてから「運が味方してくれたのだろうか?」等とのたまってましたが、
周りは「悪運が強いだけ」と心で呟いてました。(笑)
Posted by masayan at 2007年03月20日 23:42
masayan様
この事件は、身近なところで起きたものとしては、破格に大きな出来事でした。なぜ、あの日、日暮里まで行ってしまったのか、わた新とっては永遠の謎であり、永遠の問(とい)なのです。
9・11の前週まで仕事で米国に居たという経験もあります。
もともとは、9月初旬渡米の予定だったのが、急遽8月下旬に変更になったのです。もし、当初の予定通りだったとしたら、私は日本に帰ってこられなかったでしょう。
今でも、一緒に渡米した友人と会うと、あの不可解な予定変更(9月のほうがチケットも取りやすいし、価格も安かったはずなので、わざわざ8月に前倒す理由はなかったはずなのです)のことや、成り行きの不可思議さが話題になるのです。
冬野
この事件は、身近なところで起きたものとしては、破格に大きな出来事でした。なぜ、あの日、日暮里まで行ってしまったのか、わた新とっては永遠の謎であり、永遠の問(とい)なのです。
9・11の前週まで仕事で米国に居たという経験もあります。
もともとは、9月初旬渡米の予定だったのが、急遽8月下旬に変更になったのです。もし、当初の予定通りだったとしたら、私は日本に帰ってこられなかったでしょう。
今でも、一緒に渡米した友人と会うと、あの不可解な予定変更(9月のほうがチケットも取りやすいし、価格も安かったはずなので、わざわざ8月に前倒す理由はなかったはずなのです)のことや、成り行きの不可思議さが話題になるのです。
冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年03月21日 00:34
こんばんわ、
理由を捜すも、難しい感じですね。
私は、全然関係ないところで、TVを通じて知りましたから、
もうそんなになるか?ぐらいにしか思っていませんでした。
風化させてはいけない事なのに、
冬野さんには、不思議な力で生かされ、忘れてはいけない事を
伝える役回りが、おありなのでしょう。
事件や事故で亡くなった時に一つの死があり、
その事件などを知っている人、関係者の死で、本当の死が
訪れるような気がしています。
理由を捜すも、難しい感じですね。
私は、全然関係ないところで、TVを通じて知りましたから、
もうそんなになるか?ぐらいにしか思っていませんでした。
風化させてはいけない事なのに、
冬野さんには、不思議な力で生かされ、忘れてはいけない事を
伝える役回りが、おありなのでしょう。
事件や事故で亡くなった時に一つの死があり、
その事件などを知っている人、関係者の死で、本当の死が
訪れるような気がしています。
Posted by 佐藤あ at 2007年03月21日 01:17
佐藤あ 様
そうですね。
訪れた死は、終わりではなく死という歴史の始まりなのかもしれません。
たまたま仕事がらみで、ある事象の被害に関するデータの取り扱いについての分析に関わっているのですが、そこには死と遺された人々の暮らしが浮かび上がってきます。
一つ一つの事象や結果、影響は、この世の中全体の中に浮かんでは消えてゆく泡沫(うたかた)のようなものであって、私たちは、その泡沫しか見えていないけれど、あらゆる泡沫を生じては消してゆく水の流れのようなものの気配やかすかな音に、ときには耳をそばだててみる必要がある、今日はそんな気がしています。
彼岸という時期、なんだかそんなことを、ふと感じるようにできている季節なのかも知れません。
冬野
そうですね。
訪れた死は、終わりではなく死という歴史の始まりなのかもしれません。
たまたま仕事がらみで、ある事象の被害に関するデータの取り扱いについての分析に関わっているのですが、そこには死と遺された人々の暮らしが浮かび上がってきます。
一つ一つの事象や結果、影響は、この世の中全体の中に浮かんでは消えてゆく泡沫(うたかた)のようなものであって、私たちは、その泡沫しか見えていないけれど、あらゆる泡沫を生じては消してゆく水の流れのようなものの気配やかすかな音に、ときには耳をそばだててみる必要がある、今日はそんな気がしています。
彼岸という時期、なんだかそんなことを、ふと感じるようにできている季節なのかも知れません。
冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年03月21日 01:41
「地下鉄でサリンが撒かれたみたいだよ」と、出勤したらその時の勤務先の社長が言ったので、驚いたのを覚えていますよ。
兵器マニアの小生ならともかく、かなりマイナーな化学兵器の名前を、ただの設計事務所長の口から聞くとは、それだけで非現実感が強かったのを、思い出しました。
兵器マニアの小生ならともかく、かなりマイナーな化学兵器の名前を、ただの設計事務所長の口から聞くとは、それだけで非現実感が強かったのを、思い出しました。
Posted by 壇那院 at 2007年03月21日 02:41
檀那院様
そういえば、最近はニュース等を通じて兵器の名前が随分と流れていますね。十数年前までは、この国では、兵器の名前や軍事用語っていうのは、巷にはほとんど流れてませんでしたから。
言霊的な発想をするならば、言葉が巷に溢れるようになったということは、その言葉が指すモノたち自体も近づいてきているのでは・・・という不安がよぎります。
冬野
そういえば、最近はニュース等を通じて兵器の名前が随分と流れていますね。十数年前までは、この国では、兵器の名前や軍事用語っていうのは、巷にはほとんど流れてませんでしたから。
言霊的な発想をするならば、言葉が巷に溢れるようになったということは、その言葉が指すモノたち自体も近づいてきているのでは・・・という不安がよぎります。
冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年03月21日 12:45