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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

2007年05月25日

大相撲 観衆の品格

 大相撲のダイジェストを観ていて、ふと思いましたので書きます。

 横綱の品位とか、品格とか言われてますが、私には観衆の品位の下落ぶりが目に付きます。
 とくにあの座布団投げ。どうしてここまで堕ちたのか。
 いつから流行り始めたのか、ヤボ、野蛮で下品な行為でしかありません。
 それから、負けて退く力士にこれみよがしに身体を叩きにくるやから。

 昔むかし、座布団を投げてよこす風習は確かにありました。
 そのころ、相撲通のちょっとお金のある人は、上等の座布団を持参して相撲興行にやってきました。
 自前の高級布団に座って観戦する、お洒落な贅沢です。
 そんな相撲通が、いい相撲をとった力士に、ご祝儀として自分の座布団を投げてよこしたのです。
 上等の座布団は、ちょっとした贅沢品でした。今で言うなら宝飾品です。
 ところが、今のふらちな観衆は、会場備え付けの座布団をブーイング代わりに放るのです。
 自分のものではない人様の座布団を、あたりの迷惑も危険もかえりみずに、座布団投げを制止する館内放送も無視して。たちの悪い子供の悪さでしかないではありませんか。まったく、聞き分けのない、いい年をして。
 たとえば、球場で試合の様子が気に入らないからといって、ポップコーンやビールの空き缶をグランドに放り込んだりはしないでしょう? ちゃんとした大人なら。
 彼らは、よい相撲をとった力士に、ご祝儀代わりに、持参したシルクのスカーフやブランド物の上着を投げてやる度胸はあるでしょうか。ありますまい。

 力士の身体を叩くという習慣も、確かにありました。
 強い力士にあやかろうと、運を授かろうと、地蔵さんを撫でるように、力士の身体に触れるのです。
 たった今終わった勝負を、悔しさをかみ締めながら必死でふりかえりつつ歩む負けた力士に、無遠慮に走りより、遠慮会釈なく身体をパンパン叩くのは、相撲好きの行為ではありますまい。

 力士の品格の前に、観衆に品位を求めたいという気分です。
 よい観衆がよい相撲を育てるのです。
 今のような観衆に、よい相撲を育てる力があるとは思えないのです。

 とまあ、ダイジェストを観ながら思わず書いてしまいましたが・・・・
 昔むかし、東京に住んでいた頃、大相撲を観に連れて行ってもらったことがありましたが、記憶にある国技館の桟敷には、まるで歌舞伎の鑑賞にでも来たかのような大人の落ち着きが漂っていたように思います。(当時は紫煙も満ちていましたがね・・・)
 そこまで戻れ、とは申しませんが、観衆としてのごくあたりまえの品位、品格くらいはなんとか取り戻して欲しいものです。


Copyright (c) 2007 Fuyuno, Yuki All rights reserved.

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Posted by 冬野由記 at 02:15│Comments(10)徒然なるままに
この記事へのコメント
品格、失いたくないですね。
国家の〜の前に、個人の品格を確立させたい!
座布団投げはおかしいよ〜。止めるべき!
守るべきものが狂って来ている近年だ!
Posted by jun1940 at 2007年05月25日 08:15
座布団投げや力士の身体叩き。
やめて欲しいですね。

jijiiはうん十年前一度だけ大相撲観戦の
経験がありますが、こんなことはありませんでした。

こんな行為を禁止する方法はないものですかね。
一人がやれば、我もやる、面白がってやる、
やらねば損だとでも思っているのでしょうか。
嫌な群集心理ですね。

いっそのこと、座布団を置かない、持込禁止。
力士の身体叩きを警備員が制止する。
違反した客は今後入場禁止。
協会に進言したいですね。
Posted by jijii at 2007年05月25日 09:41
冬野由記さまへ

品格。国家の品格、男の品格、最近ヒットした派遣の品格(ドラマ)
女性の品格まで・・・・
そして、「観衆の品格」
残念ながら観衆の品格ないですね。
昔はふんわり飛んだ座布団も最近では勢いよく飛んでいくように
思いますが、こう思う感じるのは私だけかな・・・
相撲は国技です。
もっと上品に相撲を観戦いたしましょう。
Posted by Yume at 2007年05月25日 11:41
>jujun様

 国技国技といいながら、観衆のほうが調子に乗っているとしか思えないですね。
 スポーツ(と相撲を呼ぶかどうかは別にして)は、選手とファンが同調して成立しているのですから、観衆が襟をたださなければ。
 あのふらちな座布団投げ、いつから始まったのでしょうね。

>jijii様

 おっしゃるとおり、群集心理なのでしょう。
 しかし、このような稚い群集心理に巻かれてしまう市民を思うと、現政権の復古主義(アナクロニズム)は危険この上ないような気がします。
 jijii様のご提案、とくに「座布団を置かない」というのはおおいに賛成です。
 座布団を置かないか、座席に固定してしまうか、そうすれば投げたくても投げられないですね。
 でも、悲しいですね。
 やろうとしても出来なくしてしまわなければ、ことがおさまらないとしたら、私たちは自律が難しい市民だということになってしまいます。

>Yume様

 Yume様もそう感じますか?
 最近、飛び交う座布団を見ていると、回転しています。
 ブン投げているという感じです。
 誰かが怪我すればいいとでも思っているかのようです。
「柄が悪い」という言葉、相撲観戦者に対して使うことになるとは嘆かわしい限りです。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年05月25日 17:51
  冬野 由記 様

あるときは、抒情作家、又あるときは、画家・楽士、そして又あるときは、社会派の評論家。して、その本体は、方便法身の冬野由記。まるで、片岡千恵蔵演ずる「多羅尾伴内」のようですね。

大相撲の現実については、仰るとおりです。金を払った者は、神様だ、と思い上がっているお客がなんと多いことか。

今の大相撲は、「無差別体重の力士による、勝敗のみに拘った格闘技」となりました。心・技・体の精神で残っているのは「体」だけになりましたね。

勝負の判定についても、足の裏以外の皮膚が、土俵の俵・土俵内外の土に、先に接したものを、負けとする従来のルールを厳格にし、死体とか体が割れている等、曖昧な判定はしないことを徹底しなければ、見ていて面白くありませんね。

番付も、チャンピオン制にして、横綱は、引退ではなく、地位が下がるように改革するべきではありませんか。取組の本則を、有能な貴の浪が横綱になれなかったことを反省し、部屋別総当りではなく、力士別総当たりに変えるべきなのでは。

大相撲の組織や規律等を改善した後でなければ、観客のマナーについて、云々する資格は、相撲協会には無いでしょう。

                  おきな草 から
Posted by おきな草 at 2007年05月25日 18:01
おきな草様

 コメントを拝見して,、なるほど、と思います。
 そういえば、部屋総当り制というのも、昔からの制度ではないわけですね。
 相撲協会のさまざまな制度、結局、主催者側(協会)の利害得失からきているのでしょう。
 本来の勝負事、相撲というものの本質とは違うところで、いろいろな制度が決められているのでしょう。
 勝負事としての張り詰めた美意識が徐々に減退しているのは、こういった制度自体から見直す必要があるのかもしれませんね。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年05月25日 23:06
こんにちは。
私は相撲をあまり見たことがないですが、座布団が飛び交う光景はテレビで何度か見たことがあります。なぜあんなことをやるのかと疑問に思いつつも、いかんせん私にとっては未知の世界であるために「私が知らないだけで何か意味があるのだろう」ととりあえず納得していました。

今回、冬野さんの文章を見て昔はご祝儀代わりだったということを初めて知りました。
確かに「ご祝儀代わりに高級座布団」だとなかなか粋なのですが、備え付けの座布団を投げているだけでは単なるブーイングでしかないですね。まったく無粋でなりません。

ただ、そういった行為の意味や歴史。投げている人は知っているのでしょうか?
先にも述べたように、私は座布団を投げるという行為は知っていましたが、その意味は今まで知りませんでした。もしそんな私が国技館に行ったら……座布団を投げているかもしれません。
なぜか? 無知であるがために、「よく分からないけれど、そういうものなのだろう」と考えるからです。
まさしく愚かな群集心理です。

ですが今後、私が国技館に相撲を見に行くことがあっても座布団は投げません。なぜなら、今回冬野さんの文章を読んだからです。
座布団投げとは、高級座布団をご祝儀としてよこすことに意味があるのであって、座布団を投げればいいというわけではないと知ったからです。

その行為の意味や歴史。そういったものをちゃんと教えてくれる人がいれば、無粋な座布団投げもきっとなくなると思いますし、そう思いたいです。
一応観衆の方々も、“大人”なんですから。
Posted by 白湯 at 2007年05月26日 00:56
白湯様

 コメントありがとうございます。
 「どんな常識でも教わらなければ常識にはならない。知らないことは罪ではない」
 これは、私がよく口にするセリフです。
 自分でこんなことを言いながら、この記事では観衆を非難していますね。
 たしかに、若い観衆は「知らない」のでしょう。
 「知らない」ときに人はどうするか。
 落語の「本膳」ではありませんが、先輩や年かさの人の真似をしようとしますね。
 非難するだけでは何も変わらないですね。
 こういったことをさりげなく伝えながら、よいマナーというよりも(それはもちろん大切なアプローチですが)かっこいい観かた、今様に言うならば「クールな相撲鑑賞とは」という感じで、粋な観かたを伝えてゆく努力も必要なのでしょう。
 最近の若い人は、古い風習や「江戸の粋」みたいな薀蓄がけっこう好きだったりします。
 そんな角度から、相撲放送を一手に引き受けている公共放送が、相撲興行やタニマチの歴史、相撲観衆の伝統やスタイルの薀蓄をベースに「かっこいい観かた」を伝えてくれれば、などと思いました。
 目くじら立てるだけじゃ駄目ですね。たしかに。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年05月26日 01:08
こんにちは。
同感ですね!
オリンピック・国際大会でもよく感じるのですが、メダル以外は意味の無いようによくメダルに固執していますね。(特にメディア !!)
そうではないと思います、が・・・
本当のファンだったら、そこのところヨロシク!
またそんなにメダルが命なら、まず国際級に予算を付けて若くても尊敬・評価・食べられるようにしましょう。
と言いたいところです。
にわかファンは私のようにじっと観戦して、素直に感動!電信柱のかげから応援するのもひとつですね。
Posted by 元気でカイロ!! at 2007年05月31日 23:07
元気でカイロ様

 コメントありがとうございます。
 賞や勝利はなによりも頑張った選手たちのものですよね。
 ファンは選手を支え、育てるものなのに・・・
「ただ楽しむ」のに勝る礼はないと思います。それこそがファンの本分ですから。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年06月01日 01:09
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大相撲 観衆の品格
    コメント(10)