2007年07月16日
波乱の連休だった
この連休は台風に翻弄された。
台風一過、と思ったら、今朝は新潟で大地震とのニュースが飛び込んできた。
昨夜から、父の体調がふたたび思わしくない。明日当たり、病院に連れて行こう。
と、この連休は波乱含みで終わろうとしている。
それにしても、越後方面はこのところ、地震や豪雨に見舞われ続けている。
以前、(もうだいぶ以前になるが)信州に用事があった帰りに、小谷温泉というところに立ち寄ったことがあった。小谷は、そのだいぶ前に、豪雨であたりいったいが壊滅的な打撃を受けた。私が訪れたときも、あちこちで川筋の復旧工事が行われていて、温泉宿の宿泊者も工事関係者が多かった。災害の復旧というのが大変な時間と労力を要するということ、その間、観光も含めて地域の生活を維持するのが大変だ、ということを如実に感じたものだ。
地震と台風、豪雨は、この列島に暮らしている分には、誰もがその被害を受ける可能性のある災害だけれども、報道で知らされるたびに、かつて目にし災害の爪あとを思い出す。
私自身も、幼い頃、大水で、大きな製図版の筏に乗って避難したことがある。水も風も、恵みの元だけれども、ときに人間の手に余ることもあるのだなあ、とつくづく思う三日間だった。
Copyright (c) 2007 Fuyuno, Yuki All rights reserved.
台風一過、と思ったら、今朝は新潟で大地震とのニュースが飛び込んできた。
昨夜から、父の体調がふたたび思わしくない。明日当たり、病院に連れて行こう。
と、この連休は波乱含みで終わろうとしている。
それにしても、越後方面はこのところ、地震や豪雨に見舞われ続けている。
以前、(もうだいぶ以前になるが)信州に用事があった帰りに、小谷温泉というところに立ち寄ったことがあった。小谷は、そのだいぶ前に、豪雨であたりいったいが壊滅的な打撃を受けた。私が訪れたときも、あちこちで川筋の復旧工事が行われていて、温泉宿の宿泊者も工事関係者が多かった。災害の復旧というのが大変な時間と労力を要するということ、その間、観光も含めて地域の生活を維持するのが大変だ、ということを如実に感じたものだ。
地震と台風、豪雨は、この列島に暮らしている分には、誰もがその被害を受ける可能性のある災害だけれども、報道で知らされるたびに、かつて目にし災害の爪あとを思い出す。
私自身も、幼い頃、大水で、大きな製図版の筏に乗って避難したことがある。水も風も、恵みの元だけれども、ときに人間の手に余ることもあるのだなあ、とつくづく思う三日間だった。
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Posted by 冬野由記 at 17:27│Comments(4)
│徒然なるままに
この記事へのコメント
ほんと、自然って、いろいろな幸をくれますが、時に、人間に対し、厳しさを見せますね。
自然を次々に破壊して、いる人間に対して、警鐘をならしているような気がするのは気のせいでしょうか・・・
自然を次々に破壊して、いる人間に対して、警鐘をならしているような気がするのは気のせいでしょうか・・・
Posted by nyankohime at 2007年07月16日 22:48
nyankohime様
自然に対して都合のよい解釈をしないよう、自らを戒めることが必要ですね。
自然の手の内で生かされている、そんなセンスが大切かもしれません。
冬野
自然に対して都合のよい解釈をしないよう、自らを戒めることが必要ですね。
自然の手の内で生かされている、そんなセンスが大切かもしれません。
冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年07月16日 23:14
台風の生まれる場所で育ちましたが、沖縄は台風であまり痛い思いをすることは無いのに、本州はぜんぜん学習してないな、と思うときがあります。お国柄でしょうか。。
Posted by ayappi at 2007年07月17日 22:27
ayappi様
そうですねえ。
学習していない、というよりも
「災害は特別な出来事」であり、災害を想定しない形で生活や財産のありかたをととのえてしまう、そういう癖が徐々についてしまったのではないでしょうか。
たとえば、家屋でも、壊れやすいところは壊れてもすぐに補修できるようにあえて軽く作っておいて、そのかわり基礎や柱は思い切り(無駄と思えるほどに)しっかり作っておく、というような、そんな古民家があったりしますね。
こういう言い方はおかしいかもしれないですが、最近の家屋は「うまく壊れる」ようにはできていないように思います。
冬野
そうですねえ。
学習していない、というよりも
「災害は特別な出来事」であり、災害を想定しない形で生活や財産のありかたをととのえてしまう、そういう癖が徐々についてしまったのではないでしょうか。
たとえば、家屋でも、壊れやすいところは壊れてもすぐに補修できるようにあえて軽く作っておいて、そのかわり基礎や柱は思い切り(無駄と思えるほどに)しっかり作っておく、というような、そんな古民家があったりしますね。
こういう言い方はおかしいかもしれないですが、最近の家屋は「うまく壊れる」ようにはできていないように思います。
冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年07月17日 23:57