さぽろぐ

日記・一般  |その他の都道府県・海外

ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 2人
プロフィール
冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

2009年02月16日

目標と「こころざし」

 私の奉職している学校は、いわゆる進学校ではありませんが、その中ではかなり成績の良い生徒がいます。
 彼は、器用なほうではありませんが、目標をたてたら、きっちり努力を重ねて、それを実現するなかなかの努力家です。
 努力の甲斐あって、志望大学に合格もし、来る春、彼は将来への足がかりを手に入れました。

 しかし、さきごろ行われた最後の考査では、かなり成績を落としました。
 目標を達成してしまったので、手を抜いてしまったのは明白です。

 彼には、弱点があります。
 かつて成績が振るわなかった彼は、塾にも通い、みるみる成績を上げていったのですが、どうやらライバルと自分をいつも比べ、何かと勝ち負けを意識する癖があるのです。

 「○○に勝った」
 「××に負けた」

 勝ち負けにこだわるのが、彼の弱点です。
 もっとも、この弱点は、当面の目標を達成する上では「負けん気が強い」という長所になります。ただし、その「負けん気」の相手は、いつだって「誰か」です。彼が勝ちたいのは「誰か」、たとえばライバルに対してであって、課題そのものや、ましてや自分自身ではありません。
 彼が努力する動機は、ですから達成感ではありません。何かができたことではなく、誰かに勝ったこと。大学に合格したことも、彼にとっては「何かを成し遂げた」のではなく「勝ち残った」というふうに感じられているはずです。
 だから、目標を達成した瞬間に、その次の目標設定ができないのです。
 目標設定ができない以上、努力の意義は失われます。
 今の彼は、そんな状況にあるのです。
 おそらく、大学に進み、そこで新たな敗北の可能性に出会い、ふたたび勝ち残るための「目標」が現れた時、彼は新たな努力の種を見出すことでしょう。

 しかし、この繰り返しでは、どこかで目標を見失うか、あるいは「勝つ相手」を求め続けて、結局は何かを「成し遂げる」ことなく人生を終えてしまいかねません。
 人生にほんとうに必要なのは、目標や目的ではなくて、成し遂げても成し遂げてもきりのない何かです。
 「こころざし」というのは、そういうことなのだと思います。
 「こころざし」というと大げさなようですが、こころざしを立てることじたいは、そんな大変なことではないと思います。
 「こんな男になりたい」とか「こんな女になりたい」とか、もう少しアップすれば「こういう人間になりたい」とか、これ、りっぱなこころざしですよね。抽象的で思いつきにくいなら、身近な所にモデルを探しましょうよ。「あんな人になりたい」とかね。

 ―― なあんだ、そんなことでいいの?

 と言われそうですが、考えてみてください。
 望んでいたような人間になれた、と思ったときから、こんどは、そのような人間であることを続けなければならない。
 これは、けっこう大変なことです。終わりがない。これでよし、というところがない。

 企業や国家でも同じですね。
 売上の達成は目標に過ぎません。戦勝も、経済発展も(GDPとか)、外交上の立場も、目標達成でしかない。
 その売り上げや、国力や、外交上の成果も、企業や国家の理念に即していればこそ意義があるのであって、そこからはずれていたら、いくら儲かっても、いくら外交上の立場が強くなっても、意義はないわけです。
 そして、理念――「こころざし」があれば、常に課題をもって前に進むことができ、驕ることもありません。

 あの宮澤賢治は、その遺されたノートに、彼のこころざしを記していました。

 ―― サウイウモノニ ワタシハナリタイ

 追っても追っても、「そういものになれない」と叫ぶ。
 それが「こころざし」というものなのだろうと、思うのです。

 さて、彼が、追っても追っても果てのない、彼の「サウイウモノ」を見つけることができるかどうか。
 しばらくは、様子を見守ることにしましょうか。

あなたにおススメの記事

同じカテゴリー(徒然なるままに)の記事画像
花季うつる
年賀(おそまきながら)
クリスマス終わった。
とりあえず月食を撮ってみた。
春の嵐
石岡カフェ
同じカテゴリー(徒然なるままに)の記事
 花季うつる (2024-04-21 22:01)
 の~んびりブレーンストーミング (2012-01-22 10:54)
 年賀(おそまきながら) (2012-01-05 15:53)
 クリスマス終わった。 (2011-12-26 00:09)
 とりあえず月食を撮ってみた。 (2011-12-11 00:34)
 子供の命軽く『定員7倍』幼稚園バス事故」 (2011-11-19 18:51)
Posted by 冬野由記 at 20:41│Comments(2)徒然なるままに
この記事へのコメント
負けん気が強いのに、目標を守れたことのない、根性のない子どもでした。
いろいろな大波小波をくぐり抜け、最近ちょっとだけ、自分であれば良いのだと思えるようになりました。

他人と比べることのない、こつこつタイプ。
向かっては行かないけれど、長いものにも巻かれない。
そんな人と一緒にいられることに、いつも感謝しています。
Posted by さむ at 2009年02月17日 00:02
さむ様

 ご無沙汰いたしております。
 コメントありがとうございました。
 目標は達成できたりできなかったりすることもありますけれど、
 むしろ「こころざし」があれば、顧みながら歩けますから。
 実のところ、
 「こんな自分でありたい」とか
 「今の自分は、わたしの自分であるか・・」
 など、かえりみる気持ちになれるようになるのは、ずいぶん年をくってからだとも思います。
 たぶん、最晩年に
 「自分は自分に届いただろうか」
 などと、ようやく振り返ることができるのだろうと思います。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2009年02月18日 06:31
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
目標と「こころざし」
    コメント(2)