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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

2007年09月26日

郷里の食べ物屋さん

 一昨日の記事にいただいたjijii様のコメントにレスしたおり、ふと郷里の懐かしい食べ物屋さんや、いろいろなことを思い出しました。苦い思い出もありますけどね。

 レスに書いたのは、日明(「ひあがり」と読みます)というところで、高校生の頃よく通った(寄り道は感心しませんが・・・)蕎麦屋さん。「ひょうろく」という屋号でした。ここの天丼に蕎麦というのがお気に入りでした。天丼はちょっと変わっていて、小ぶりな丼に天つゆをちょっとまぶした海老天を載せてあるのですが、ご飯のほう、揚げ玉を載せて天つゆをかけた後、丼のふたをしてから逆さにして、一度つゆを切ってしまうんですよ。これが美味いんですね。「ひょうろく」今もあるんだろか。

 もひとつ、ある思い出があります。
 郷里には「J屋」という、天麩羅屋さんがありました。有名なお店で、かなり遠くからも食べに来るお店でした。小学生の頃、父に連れられて、この「j屋」で天麩羅を堪能した思い出があります。
 高い店ではありません。美味しい天麩羅をたっぷり、安く出してくれる、そんなお店でした。そもそも、天麩羅っていうのは、そういう料理ですよね。
 その頃、「j屋」はおじいさんとおばあさんが、ふたりで切り盛りしていて。おじいさんが厨房で揚げる、おばあさんが給仕をする。狭い店内はカウンターと、座れる畳の席があって、ちょうど蕎麦屋さんみたいな感じです。昼にはサラリーマンや遠方から食べ気に他お客で、すごい混みようでしたが、おばあさんが見た目はゆっくりながら、てきぱきと給仕をしながらお客を待たせませんでした。
 「海老天」
 と頼むと、こぶりな海老の天麩羅が、お皿に盛り合わせの形で出てきます。
 「野菜天」といえば、野菜の天麩羅盛り合わせ。
 ご飯と味噌汁は、おかわりし放題。
 たくさん食べても、ぜんぜんもたれませんでした。
 揚げ油に工夫があるらしく、とても軽く揚がるのです。後日聞いた話によると、店主であるおじいさんは、他所からやってくる人に気前よく揚げ方などを教えてくれたらしいのですが、油の配合だけは絶対に教えなかったそうです。
 私は、盛り合わせ、野菜天(これだって盛り合わせですけど)、そして海老天(の盛り合わせ)とどんどん食べました。もちろん、ご飯も味噌汁もおかわりしながら。
 海老天を食べて、ちょっと驚きました。
 殻が半分くらいむかずに残したままになっているのです。

 「殻が、はんぶん残っとうよ」
 私が父に問うと、
 「残っとんやないぞ。それが、あのじいさまの工夫なんや。食うてみぃ」
 尻尾ごと口に入れて噛むと、尻尾も殻もカリッと砕けて、香ばしいかおりと甘い海老の味が・・・
 「うまいなあ」

 わたしのような子供も含めて、客がおかわりをしながら、こんどは「これ」、それから「あれ」と、わいわい言いながら食べるのを、おばあさんは本当にうれしそうに笑いながら給仕をしてくれました。カウンターの向こうでは、小柄で痩せたおじいさんが黙々と天麩羅を揚げています。
 そういうお店でした。

 後年、大人になった私は、友人と郷里に戻った際に、なつかしくて、このお店「j屋」を探しました。

 「たしか・・・このあたりだったなあ」

 『j屋』

 看板を見つけました。たしかに、まだ「j屋」はありました。しかし、平日の昼間、昼休みの時間はちょっとすぎていましたが、それにしても妙に静かです。お店に入ると、一組が店内に残っていました。お店は心なしか少し広くなっているようです。そして、カウンターの向こうには、もちろん、あのおじいさんではなく、おそらくその後継者でしょう、中年の男が天麩羅を揚げていました。

 さて、何を揚げてもらおうか・・・とメニューを見ようとしたら

「すみません。昼は、天丼と天麩羅定食だけなんですよ」

 ずいぶんと、さびしくなったものだな。
 そう思いながらも「定食」を注文して、待っていると、入り口ががらがらと開いて女性と子供の声が。
 すると、カウンターごしに店主が言う。

「すみません。昼はもう終わりなんです」

 おかしいな。ぼくらは入れたじゃないか。

 店主は、その女性客が居なくなると

「子供連れは断ることにしてるんですよ。子供は食べ散らかすからね」

 私のテンションは一気に下がってしまいまいた。かつて、このお店の天麩羅を堪能していたころ、私はまぎれもなく、彼の言うところの「子供」だったのですから。

 出てきた定食は、何の変哲もない、どこにでもありそうな「天麩羅定食」でした。ただ、他の大衆食堂より高い。
 かつての「j屋」は、「安い」ことも売りだったのですが、いつのまにか「高級天麩羅店」になっていたらしい。

 私はなんだかさびしい思いで、「j屋」を出ました。
 あの活気に満ちて、いつも満員だったお店がなんだか静かになっていたわけも、もうわかります。
「j屋」は、ちょっと高いだけの、ありきたりな、それでいて店主が「職人気質」をきどっている嫌味な店に変じていたのです。
 まあ、こういう大衆のお店が、二代にわたって、その魅力とコンセプトを継承するのはとても難しいということでしょうね。

 あと、郷里には、客が選んだ伊万里やマイセンでおいしいコーヒーを飲ませてくれる素敵なカフェもあったのですが、今はないだろうなあ。引退後のコーヒー好きの趣味人夫婦が、ただ好きでやっているような洒落た店でしたから、彼らももうお店は続けてはいないでしょう。(元来、郷里の街にはカフェが驚くほど少ないのですが)

 もう帰る理由もみあたらないけれど、もし郷里に帰ったら、これらのお店は探さないことでしょう。
 探して、もし見つかっても、そこにあるのは、もはやそのお店ではない、そんなことになったら、ちょっとつらいですから。


Copyright (c) 2007 Fuyuno, Yuki All rights reserved.

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Posted by 冬野由記 at 23:15│Comments(3)旅と美味
この記事へのコメント
 多分、もう東京にも石垣島にも帰らないと思うから、そういうことは私にはないだろうなぁ。
Posted by ayappi at 2007年09月27日 01:21
それは、すごく残念で寂しいことですね。

芸能人が、昔通っていたお店がそのままの姿で残っている事がありますが、あれはほんの一握りなのかしら・・・・。
Posted by じゃらし at 2007年09月27日 07:05
>ayappi様

 帰郷、というコトバにはいろいろな感慨を感じますね。
 ふるさとは・・・遠くにありて・・・
 あの気分、よくわかります。
 もう帰ることも無いでしょうが、
 もし帰って、
 あのカフェが残っていて
 気に入りのカップを指して
 ブラジル・サントスが同じ香りと味で出てきたら
 とても嬉しい気持ちになるに違いありませんが、
 ただ夢としてとっておいたほうがよさそうです。

>じゃらし様

 どうでしょう。
 その天麩羅屋さんを再訪したときは二十年くらい経ってました。
 通っていた頃の店主夫婦は、すでにじいさま、ばあさまたちでしたから、そんなめぐり合わせもあったかもしれません。
 歳月というものは、ときに甘く、ときに辛いものなのですね。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年09月27日 22:25
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郷里の食べ物屋さん
    コメント(3)