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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

2007年07月21日

チェロ弾きたち その5(「瞬間(とき)よ止まれ」デュ・プレ)

 ジャクリーヌ・デュ・プレ。

 エルガーの協奏曲を、彼女はいったい何度そのステージにかけたことだろう。
 いくたの巨匠指揮者たちが、彼女をその傍らに招き、いくたびこの曲を指揮したことだろう。
 その音楽の、なんと大きなプロポーション。誰はばかることなく輝き、その背筋はまっすぐに天に向かって伸びていた。まっすぐすぎたのかもしれない。天に近づきすぎたのかもしれない。

 デュ・プレの演奏について、わたしが幾千もの言葉を連ねたとて、それらの言葉はもはや鮮度を失っていることだろう。だから、もうその演奏のことをあれこれ語ることはできないし、すべきでもあるまい。なぜ鮮度を失うのか。なぜ言葉は朽ちるのか。

「若いうちは、やりすぎるくらいがちょうどいいんだ」

 バルビローリが微笑みながらそう語ったとき、彼はなんと幸せそうだったことか。
 そう、彼女を傍らに棒を振った多くの老巨匠たち。
 ジャクリーヌも輝いていたが、それ以上に、その光を浴びて幸福なときを持ったのは、他ならぬ彼らだったのだと、遺された多くの録音や映像を観、聴きするたびに思う。

 瞬間(とき)。

 彼女を聴くとき、わたしは「瞬間(とき)」を思う。

 類まれな才能を与えられた、若く、力あふれる身体に、天が注ぎ込んだのは、至福の瞬間(とき)に他ならない。そして、その最高の瞬間は、永遠の氷に封じ込められた。
 遺された彼女の録音を聴くとき、私たちが聴くのはジャクリーヌではない。ジャクリーヌに注ぎ込まれた瞬間(とき)の結晶なのだ。彼女の一瞬は永遠を得、わたしたちは、その永遠を聴く。
 だから、わたしたちは、彼女の演奏について語る言葉を持たない。持てない。
 瞬間(とき)について、何を、どう語れというのか。

 ときは過ぎてしまった。
 ・・・過ぎにし瞬間(とき)を想う、
   悲しも・・・

 ジャクリーヌ!
 あなたに注がれた瞬間(とき)に耳を澄ますとき、
 わたしたちは、あのファウスト博士の言葉をおくるしかあるまい。
 そして、彼と同じように、わたしたちも永遠の中に封じられるのだ。

 ―― Verweile doch! Du bist so schön.
   瞬間(とき)よ止まれ! お前は、なんて美しい ――


Copyright (c) 2007 Fuyuno, Yuki All rights reserved.

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Posted by 冬野由記 at 00:22│Comments(2)音楽
この記事へのコメント
冬野 様

このチャロ奏者のことを連載されるというので、
いつかデュオプレに触れられると思っていました。

カザルス、ロストロの教えを、ちょっとめんどくさいものとして
袖にし、輝くだけ輝いて、消えていく。

死んだ人は歳を取らないといいますが、デュプレの演奏は、
いまでも多くの人を魅了させずにはいられないくらい、
瑞々しいものです。
が、同時にエルガーのコンチェルトに表れる何かもの悲しい、
そして弓から血を絞り出すような音色、、、、
ライプで聴くことは敵わないですが、女性チェロ奏者にはぴったり
の曲です。

晩年、後進の指導をされていたようですが、最後の録音は、
ピーターと狼のナレーションだったそうです。
Posted by at 2007年07月21日 10:10
あ 様

 けっして素通りできない人というのがありますね。
 ジャクリーヌはそんなひとりでしょう。
 最高のときに筋肉をおかされて、弾けなくなる。
 カザルスのように弾かなくなったのではなく・・・運命は残酷でした。
 その後、ながく(決してながくなかったかもしれませんが)生きたことも含めて。
 ナレーションは聴いてみたい気もします。
 ただ、個人的にはバレンボイムの指揮は・・・ビミョーです。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年07月21日 18:36
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チェロ弾きたち その5(「瞬間(とき)よ止まれ」デュ・プレ)
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