2007年07月26日
チェロ弾きたち その7(「ハンガリーの完璧教徒たち」)
ベラ・バルトーク、フリッツ・ライナー、ヤーノシュ・シュタルケル、あと、私の好みからすると、ここにレオ・シラードを加えたいところだが、シラードは物理学者なので、本稿でははずしておこう。さて、彼らに共通することは何か。
いくつかあるが、まず、彼らはハンガリー出身者である。
第二次大戦前後の欧州におけるさまざまな情況が、彼らをアメリカに向かわせた。結果、彼らは米国において大きな仕事を為すこととなる。
それから、完璧主義。
彼らの完璧に対する志向にはただならぬものがある。単に精度を上げるといったことではなく、たとえばバルトークの行動には、作曲という使命における求道者、あるいは殉教者とでもいったおもむきがある。何よりも仕事に対する厳しさ、厳格さ、理想主義、あくなき追求精神があり、それはまず自分自身の仕事に対して向けられる。そして、同じ厳格さと同じ求道精神を他人にも求める。
バルトークは、当初、すぐれたピアニストとして米国に迎えられた。(バルトークのピアノ、シゲティのヴァイオリンによるベートーベンのソナタというレコードがあるが、なかなかの名手である)
というよりも、しばらくは、米国では「作曲家バルトーク」に対する仕事の依頼はほとんど無かった。彼が作曲家として米国で生きていけるように腐心した友人(あるいは信奉者)たちの中に、ライナーが居た。友人たちの支援によって、どうにか作品の発表の場を得たにもかかわらず、バルトークの求道者精神は、よくトラブルを引き起こしたらしい。本番中に、とつぜん実験的試みを始めて、万端ととのえた準備をご破算にしてしまったり・・・・それでも、ライナーたちの努力もあって、バルトークは二十世紀の大作曲家としての名声を得ることができた。
フリッツ・ライナー自身もまた指揮界のトラブル・メーカーとして有名だ。幾人かの巨匠は、彼を最高のパートナーと呼び、より多くの幾人かは
「もう二度と、彼と同じステージに上るのはごめんだ」
と言った。
あのランドフスカと協演するためにリハーサルを行っていたとき、ライナーがあまりにあちこちで「ダメだし」するので、ランドフスカ女史はついに切れた。
「わたくしの道はバッハの道ですのよ!」
ライナーは頬杖をついたまま言い放った。
「じゃ、バッハが間違ってるんだ」
ライナーの数ある逸話のなかでも、この話、私は大好きである。
かんじんのオケ、シカゴ交響楽団ともよく揉め事を起こした。
シカゴ響の世界ツアーの話が持ち上がったとき、ライナーは楽員たちに諮らないまま、スケジュールに無理があるとの理由で断ってしまった。これには楽員たちが怒った。
「シカゴの『ギャングの街』という汚名を晴らすチャンスだったのに」
彼らはストを決行したばかりか、等身大のライナーの人形を棒の先に吊るし、これを焼いた。プラカードには「ライナーを殺せ!」と書かれてあった。オケも負けてはいない。(それにしても「汚名を晴らす」も何も無いものだ。汚名は深まったのではないか・・・)
しかし、かんじんなことは、ライナーによって、シカゴ交響楽団は、精密な合奏能力と圧倒的なパワーを身につけ、その歴史における最初の黄金時代を築き上げたということだ。チョッキ・ビートと呼ばれた不親切な(指揮棒を振る間隔が狭く、チョッキ(ベスト)から上に上がらない)棒と、アイコンタクトのみによる指示という緊張の持続、容赦ない精確さへの要求によって、現在のシカゴ交響楽団に連なる「世界最高の性能」をもたらしたのは、他ならぬ彼なのである。
さらに、完璧主義に加えて、上記の逸話にも見られるおそるべき自負心。俺こそが正しく、世界一なのだ、と言わんばかりの態度。自分にも、他者にも妥協を許さず、遠慮なく要求する。すべては「音楽のため」なのだ。だから、彼らは求道者、いいや、殉教者といっていいのだ。完璧主義以上のもの。完璧に対する信仰といってもいい。
私は、彼らのそういった逸話を聞き、彼らの音楽を聴くと、あの屈原を思い浮かべる。「離騒」を読んでみるといい。その理想の高さ、高貴なる精神には感服する。しかし、ここまで己の精神の高貴を高らかに宣言されると辟易する。お友達にはなりたくないタイプである。実際、かれらは多くの友を失ったであろう。
さて、チェロ弾きの話である。
ヤーノシュ・シュタルケル。
彼も「完璧」を信仰する求道者である。
(以下、次号・・・なんちゃって)
Copyright (c) 2007 Fuyuno, Yuki All rights reserved.
いくつかあるが、まず、彼らはハンガリー出身者である。
第二次大戦前後の欧州におけるさまざまな情況が、彼らをアメリカに向かわせた。結果、彼らは米国において大きな仕事を為すこととなる。
それから、完璧主義。
彼らの完璧に対する志向にはただならぬものがある。単に精度を上げるといったことではなく、たとえばバルトークの行動には、作曲という使命における求道者、あるいは殉教者とでもいったおもむきがある。何よりも仕事に対する厳しさ、厳格さ、理想主義、あくなき追求精神があり、それはまず自分自身の仕事に対して向けられる。そして、同じ厳格さと同じ求道精神を他人にも求める。
バルトークは、当初、すぐれたピアニストとして米国に迎えられた。(バルトークのピアノ、シゲティのヴァイオリンによるベートーベンのソナタというレコードがあるが、なかなかの名手である)
というよりも、しばらくは、米国では「作曲家バルトーク」に対する仕事の依頼はほとんど無かった。彼が作曲家として米国で生きていけるように腐心した友人(あるいは信奉者)たちの中に、ライナーが居た。友人たちの支援によって、どうにか作品の発表の場を得たにもかかわらず、バルトークの求道者精神は、よくトラブルを引き起こしたらしい。本番中に、とつぜん実験的試みを始めて、万端ととのえた準備をご破算にしてしまったり・・・・それでも、ライナーたちの努力もあって、バルトークは二十世紀の大作曲家としての名声を得ることができた。
フリッツ・ライナー自身もまた指揮界のトラブル・メーカーとして有名だ。幾人かの巨匠は、彼を最高のパートナーと呼び、より多くの幾人かは
「もう二度と、彼と同じステージに上るのはごめんだ」
と言った。
あのランドフスカと協演するためにリハーサルを行っていたとき、ライナーがあまりにあちこちで「ダメだし」するので、ランドフスカ女史はついに切れた。
「わたくしの道はバッハの道ですのよ!」
ライナーは頬杖をついたまま言い放った。
「じゃ、バッハが間違ってるんだ」
ライナーの数ある逸話のなかでも、この話、私は大好きである。
かんじんのオケ、シカゴ交響楽団ともよく揉め事を起こした。
シカゴ響の世界ツアーの話が持ち上がったとき、ライナーは楽員たちに諮らないまま、スケジュールに無理があるとの理由で断ってしまった。これには楽員たちが怒った。
「シカゴの『ギャングの街』という汚名を晴らすチャンスだったのに」
彼らはストを決行したばかりか、等身大のライナーの人形を棒の先に吊るし、これを焼いた。プラカードには「ライナーを殺せ!」と書かれてあった。オケも負けてはいない。(それにしても「汚名を晴らす」も何も無いものだ。汚名は深まったのではないか・・・)
しかし、かんじんなことは、ライナーによって、シカゴ交響楽団は、精密な合奏能力と圧倒的なパワーを身につけ、その歴史における最初の黄金時代を築き上げたということだ。チョッキ・ビートと呼ばれた不親切な(指揮棒を振る間隔が狭く、チョッキ(ベスト)から上に上がらない)棒と、アイコンタクトのみによる指示という緊張の持続、容赦ない精確さへの要求によって、現在のシカゴ交響楽団に連なる「世界最高の性能」をもたらしたのは、他ならぬ彼なのである。
さらに、完璧主義に加えて、上記の逸話にも見られるおそるべき自負心。俺こそが正しく、世界一なのだ、と言わんばかりの態度。自分にも、他者にも妥協を許さず、遠慮なく要求する。すべては「音楽のため」なのだ。だから、彼らは求道者、いいや、殉教者といっていいのだ。完璧主義以上のもの。完璧に対する信仰といってもいい。
私は、彼らのそういった逸話を聞き、彼らの音楽を聴くと、あの屈原を思い浮かべる。「離騒」を読んでみるといい。その理想の高さ、高貴なる精神には感服する。しかし、ここまで己の精神の高貴を高らかに宣言されると辟易する。お友達にはなりたくないタイプである。実際、かれらは多くの友を失ったであろう。
さて、チェロ弾きの話である。
ヤーノシュ・シュタルケル。
彼も「完璧」を信仰する求道者である。
(以下、次号・・・なんちゃって)
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Posted by 冬野由記 at 05:32│Comments(0)
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