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冬野由記
冬野由記
標高と緯度の高いところを志向する癖があります。そんなわけで、北国でのアウトドアや旅が好きになってしまいました。
旅の印象を絵にしたり、興が乗れば旅に携帯した笛を吹いたりすることもあります。

2007年09月09日

チェロ弾きたち その10(ルネサンス 上)

 古楽演奏が、一種のブームを経て、今やクラシック音楽の世界ですっかり市民権を得ているようだ。
 多くの意欲的な音楽家が、古楽演奏に加わり、あるいは、そのエッセンスを各自各様に採り入れて成果を上げている。

 ただし、その意義や、古楽演奏の先駆者たちの意図を、彼らに続く多くの『古楽演奏家』や『古楽ファン』たちにはプロ、アマを問わず十分に理解されていないように感じることがある。
 いわく、

「バッハの音楽はバッハの時代に即した楽器と奏法で行うべきだ」
 ―― それが正しく、そうでないものは正しくない ――

 古楽復興の意味はそんなところにあるわけではあるまいに・・・

 古楽演奏のパイオニアたちは、どうして古楽に目をむけ、それをすさまじい執念で追求してきたのか。
 私にしても、思春期の頃、いろいろと聴いていて
 ―― モーツアルトは本当にこれでいいのか、
    バッハも本当にこれでいいのか ――
 という思いを抱いたことはある。
 だから古楽というのではなく、何かもっと工夫や発見があっていいはずだ、という思いだ。
 その手がかりを、たとえばアーノンクールたちは『その時代』に求めてみたのだと思う。復古が目的ではなく、新たな表現や彼らの想像力が求める手がかりを得ることが目的である。

 よく似た話をどこかで聞いたことがある。
 いわゆる『ルネサンス』だ。
 長く続いた中世という幽い、表現においてさまざまな制約が課せられた時代にあって、表現者たちの想像力や表現意欲があらたな自由を求めて『古代ギリシア』にその手がかりを『発見』した。復古ではなく再発見である。
 ―― 人間的な神々 ――
 というのは、彼らが発見したあらたな価値であって、古代ギリシアの観念でないことは明白である。じっさい、ギリシアの神々は世界の秩序を守るためなら、おそろしく冷酷に、そして苛烈に人間を足蹴にし、罰し、翻弄する。
「お前たちは、くだらぬ人間だ。思い上がるな」
 これこそが神々の主張だ。
 だが、ルネサンスの表現者たちにとって、古代ギリシアの神々は『人間的』でなければならなかった。

 では、古楽演奏のパイオニアたちにとって『長く幽い中世』とは何だったか。

 あまり指摘されないことかもしれないが、第二次世界大戦という大事件は、古楽運動の始まりにも大きな影響を与えていると思う。
 ご存知の方も多いと思うが、戦争をはさんで、欧州では演奏スタイル・・・いや、それ以上のものが大きく変貌してしまった。たとえば、ウィーン・フィルの演奏手法は戦前と戦後ではまったく違う。ちょっと変わったというレベルではなくコンセプトそのものが大きく転換してしまったのである。
 戦前のSP録音(復元)でウィーン・フィルを聴くと、その響きが信じがたいような透明感をもっていることに驚く。もちろん録音の古さとSPという方式の違いも考慮に入れる必要はあるだろうが、私たちがよく知っているウィーン・フィルは、むしろ独特の翳りを持った、ふっくらとした暖かい響きが特長だと感じていたから、それとは逆に透明でシャープな響きを聴かされて驚いたものである。
 後に知ったことだが、戦前のウィーン・フィルは『ノン・ヴィブラート』と『ポルタメント』を大切なコンセプトにしていて、だから、マーラーやR・シュトラウスの音楽はヴィブラートをかけずに、その代わりポルタメントを多用した甘い歌で奏でられていたわけだ。若いヴァルターのモーツアルトもそのように響いていたのだ。
 今、幸いなことに、わたしたちはノリントンたちによる『当時の演奏の復元を試みた』CDでそれを味わうこともできる。第一、私が最初に聴いたマーラーは(おかしなことに)ヴァルターが戦前のウィーン・フィルを指揮した第五交響曲のアダジェットだった。(おかげで、他のどの演奏も遅く、重く、もたれて聴こえるようになってしまった。ヴァルターと戦前のウィーン・フィルの所為である)

 何かの機会に聴いていただければわかると思うが、ちょっと演奏スタイルやカラーが変わったというレベルの変化ではないのだ。たった十年かそこらで、演奏がまったく別の時代と思えるほど、百年を隔てているかと思えるほど、だんだんとではなく、気がついたら変わっていたのだ。
 ヴァルターは最終的には米国に亡命した。ただ、その軌跡をみれば想像がつくが、どうしてもどうしても欧州から離れたくなかった、そんな人だったはずだ。でも、戦後、五十年代に歓呼の声に迎えられて、あの懐かしいウィーンに帰ってきた彼は、結局米国にとどまり、そこで生涯を閉じた。なぜだろう。もしかしたら
 ―― 戦争が終わって帰ってきてみたら、彼が知っていた欧州は、欧州の音楽は、そこには無かった。あるのはつらい思い出の残り香ばかり ――

 フランスでも同じようなことが起きている。私が大好きなパリ音楽院管弦楽団(コンセール・バトゥワール)は、戦後しばらくはその薫り高い『パリ』の音楽を続けていたが、六十年代に、発展的解消をとげてしまった。『発展的』に再編されたパリ管弦楽団には、もはや戦前までのパリの伝統は残されていない。アンドレ・マルローは、すぐれた表現者であり、立派な人だとも思うし、私は、彼の『空想美術館』という理念におおいに刺激を受けたものだが、文化大臣としてコンセール・バトゥワールのオーケストラを解散してしまったことだけは・・・お恨みもうしあげます・・・という気分だ。

 戦前から戦後にかけて、音楽を学び、羽ばたこうとしていた思春期の音楽家たちにとって、この『音楽の変貌』がどれほどの衝撃を与えたか。
 1929年に生まれ、戦前のヴィーンでチェロを学んでいたアーノンクールが、戦後ほどなくして、二十代の若さで古楽運動にまい進してゆくことになる、その理由として、つい十年ほど前に『正統』として学んだはずの奏法が、すっかり違うものにすり替わっていたことの衝撃があった、という想像は、あながち間違っていないような気がする。つい十年前の正統が簡単に失われるのだとしたら、もっと過去の奏法や音楽のなかに、はかりしれない表現のヒントが隠されているはずだ。
 そして、半世紀を経て、その衝撃は大きな果実を結ぶことになる。


『チェロ弾き』の話なのに、肝心のチェロ弾きが登場しないまま、続きになってしまいました。でも、そのチェロ弾きに触れるには、私なりの古楽演奏に対する受け止め方を述べておかねばならない気がしたので、こんな角度から入ることになってしまいました。
 と、ここまで書くと、次回あたり、誰が登場することになるか、チェロがお好きな方には想像がつくかも知れませんね。


Copyright (c) 2007 Fuyuno, Yuki All rights reserved.

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Posted by 冬野由記 at 10:43│Comments(4)音楽
この記事へのコメント
表現法の変化は時代を反映しているのだろう。
先日東京芸大美術館へ金毘羅宮展にいった。長蛇の列で隣の建物で歴代卒業生の自画像展を見て短蛇になるのを待った。
自画像は自画像だという固定観念が消し飛んだ。写真替わりの精巧な暗い背景の自画像から次第に個性的表現になり、近年の「何処に顔が?」と探しても解らないオブジェ的自画像まで。
音楽もしかり!演奏法も恐るべき変貌をみせるのだ!
Posted by jun1940 at 2007年09月10日 08:41
私の中では、チェロといえば、パリで生まれアメリカに渡った方かな?
北海道に来る度チケット取りにチャレンジするのですが、なかなか取れないのです。

アーノンクール懐かしい。
LP時代に何枚か持っていました。
実家にまだあるかなぁ
Posted by さむ at 2007年09月10日 23:35
ご無沙汰いたしております。

お加減、いかがでしょう??
わたしゃあ、かなり疲れています。

アーノンクール指揮モーツァルトのレクイエム、昨年でしたっけ?録画で見ましたがインタビューで、「私は古楽器を用いた、カビ臭い音楽をやろうという訳ではないのだ」と言ってました。
もうこの一言で十分かと。
Posted by at 2007年09月14日 00:58
皆様

 すっかりご無沙汰してしまいました。

>junjun様

 自画像展、TVでもやってましたね。
 自画像はよく美術学校や高校の美術の卒業課題になったりします。
 その意味が、なんとなくわかるような思いがしました。
 自分を一度見つめてみる。
 それが表現の原点なのかもしれません。

>さむ様

 パリ生まれ、米国へわたり・・・
 現在の大家でこのパターンなら・・・
 ヨーヨー・マ氏かな?
 屈託のない明るくやわらかい音は、ちょっと他では聴けないですね。

>あ 様

 私もかなり疲れてますです。
 むか~し、あのマルティン・リンデも、
「古楽器のオリジナルにこだわる人が居るが間違ってる」
 と言ってましたね。
 ピリオドの演奏法に学ぶものは多くありますが・・・

冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年09月14日 23:39
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