2009年10月26日
テロリスト列伝 《序》
《序》
平成一三年の夏の終わり、米国進出を目論むベンチャー企業のコンサルにあたっていたぼくは、市場調査と提携先や事業拠点の目星を付ける目的で米国に出かけた。もともとは九月初旬に出かける予定を建てていたのだが、いろいろな事情で出発が八月下旬に変更されてしまったのだ。バカンスシーズンも終盤とはいえ、いくつかの企業訪問やリサーチも組まれていたから、キーパーソンたちがもしかしたら休暇中なんてバカなことになりかねない時期に出かけることには賛成しかねたが、顧客の事情でもあり、このスケジュールをぼくは呑んだ。幸い、いくつかの貴重な成果をあげて、ぼくは九月初旬に帰国した。そして、海外出張でさすがに疲れて、寝ぼけ眼で眺めた早朝のテレビニュースの画面に、ぼくは奇妙な光景をみた。その映像を新作ハリウッド映画の紹介かと思ったのは、ぼくだけではなかっただろう。
――都心の超高層ビルに突っ込む大型旅客機――
当初の予定通り九月初旬に出かけていたら、ぼくは、その映像の近くに居たかも知れない。
「911アメリカ同時多発テロ」
このテロリズムじたい、もちろん未曾有のものだったけれども、その後の米国民が、そして世界が見せたうねりは、ぼくにとってはもっと衝撃的だった。ブッシュが「テロとの戦争」を宣言してからのアメリカの市民感情の激しいうねり。あの国の国民があのようになるのか。そして、世界の政治や国民が見せたゆがんだナショナリズムのうねり。恐ろしかった。
911以来、テロという言葉が乱舞している。911は紛れもなくテロリズムだが、その衝撃波はテロという言葉をまったく曖昧なものにしてしまった。これもテロ、あれもテロ・・・。では、テロでない政治的、あるいは信条的武力行使とは何か。そんなものはあるのか、ないのか。どれがテロで、どれはテロでないのか。もともと定義や峻別はできない言葉だったのかもしれないが、こんなにも定義を求めたくなるほどの曖昧さは、かつてはなかったような気がする。
ぼくは学者ではないし、とうてい学者になれる器でもないので、ものごとを定義することはできない。だが、自分なりにテロリズムという言葉や概念を納得しておきたいと思った。そして、歴史を振り返ってみると、今日乱舞する「テロ」という言葉に照らしてみたら「テロリスト」ということになるのではないか、と思える人物や事件がたくさん浮かんできた。そこで、そんな人物たちのことを列伝として書き連ねてみようと思った。彼らの歴史上の評価がどうであれ、今日乱舞する「テロ」という言葉にあてはめてみれば、間違いなく、彼らは「テロリスト」である。
実は、この分野には、大先達がいる。
司馬遷は、その大著「史記」に「刺客列伝」という章を設けており、そこには歴史上の様々な刺客――暗殺者――の評伝が連ねられている。その中で、おそらく最も有名な暗殺者は、始皇帝(その時点では秦王政)を刺し殺そうとして果たせなかった荊軻であろう。考えてみれば、この暗殺事件じたいテロリズムであり、実行犯の荊軻はもとより、秦王の暗殺を企図した燕の太子丹も、荊軻に暗殺依頼を取り次ぐ形になった田光もテロリストということになる。「刺客列伝」は、今日の感覚でいえば「テロリスト列伝」と読み替えてもいいのかもしれない。
とうてい司馬遷にはおよばないけれど、(こうして引き合いに出すこと自体、不遜であるが)ぼくはぼくなりに(ただし、繰り返すが、ぼくは学者ではないので、史書としてではなく、あくまで小説として)テロリストたちの列伝を書いてみたいと思う。
長い、そして広大な歴史世界の中には、どうやら数え切れないほどのテロリストたちが居る。さて、誰からはじめるか。とりあえず、今の少々いらだった気分に素直に従って、ぼくは、まず、旧約聖書の中にみつけたテロリストについて書いてみることにする。
―― 連載 週末版として、土曜か日曜をめどに連載する予定です。・・・予定です・・・――
「サムソン」来週から再開します
テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その34)
テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その33)
テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その32)
テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その31)
テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その30)
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Posted by 冬野由記 at 00:53│Comments(0)
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