2010年02月07日
テロリスト列伝 Ⅰ『サムソン』(その15)
《サムソン その15》
花嫁を置いて、友とも訣別してティムナの街を離れたサムソンだったが、しばらくは悔いに苛まれた。自分の怒りは正当だったと、今でも信じてはいる。しかし、怒りにまかせて強盗を働き、長年の友とはあんな別れ方――剣の柄に手をかけさせた――をした。そして、何よりも困難を乗り越えて結ばれたはずの恋人を、捨てたも同然に置き去りにしてきた。両親や一族の長老たちをさんざん説き伏せて実現した彼女との結婚を捨ててしまった。これでは両親にあわせる顔もない。友の言うとおり、花嫁に罪はあるまい。確かに花嫁は自分をだまして秘密を聞きだしたが、彼女にそれを強いたのはあの客たちだろう。
サムソンは両親の待つ家にも帰ることができず、ティムナ近辺の野に隠れたが、いっこうに討手のかかる気配がない。アシュケロンで三十人ものペリシテ人(びと)を、それも立派な身なりの商人たちを殺したにもかかわらず、サムソンを下手人として糾弾するような噂も聞かない。それとなく探った実家の様子も平穏そのものだ。
考えてみれば、ティムナに居た男が、その夜のうちに遠いアシュケロンで三十人もの商人を殺し、衣服を奪ってティムナに戻るなどということ自体、あり得ない話ではある。事実、サムソンはそれを実行したのだが、それを信じる者はいないであろう。無論、証拠はもとより、証人も目撃者もいない。被害者は皆死んでいるのだ。彼らを殺したことに悔いはない。これはペリシテの客たちに対する正当な復讐である。しかし、花嫁を置いてきたことと、友と喧嘩別れしたことに悔いが残る。すでに復讐は果たされたのだ。
サムソンは立派な仔山羊を手に入れると、それを持って花嫁の家を訪れた。あらためて、花嫁を妻として迎え、彼女を連れて両親のもとに帰るためである。しかし、彼女の父はサムソンが花嫁の部屋に入ることを許さなかった。
「娘はすでに他の方の妻となった。あなたは婚礼の席を蹴って娘を捨てたのではないか?」
「他の者に嫁いだと? 裏切ったのか? これは不貞ではないか!」
サムソンが怒鳴ったとき、花嫁の部屋の扉が開いた。
「裏切った? 不貞だと?」
中から出てきたのは友であった。
「裏切りと言うが、君のしたことは侮辱でもなく裏切りでもないと言うのか。たとえ君が手を触れていなくとも、婚礼が始まればこの人は処女とはみなされない。そして、婚礼のさなか、君はこの人を捨てた。君がこの人を辱め、私がこの人を救ったのだ。この人は、今はもう私の妻だ。不貞だと? 私の妻を侮辱することは許さない!」
友に詰(なじ)られたサムソンの毛が逆立った。彼の怒りに圧されながらも、父親がなだめるように言った。
「サムソンどの。ご覧の通り、この娘はもはや人妻となった。あなたにも言い分はあるだろうが、娘があなたに捨てられたと考えたとしても無理はありますまい。そこで、よい考えがあるのだが、どうだろう、かわりに妹のほうを貰ってくださらんか? 妹もそれを望んでおる」
――続く――
「サムソン」来週から再開します
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Posted by 冬野由記 at 00:00│Comments(0)
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